DIC川村記念美術館との距離感
ああ、なくなってしまうのか、と思った

はじめての川村美術館は、2009年。
「マーク・ロスコ 瞑想する絵画展」を見たくて訪れて、
バーネット・ニューマンの“アンナの光“に鷲掴みにされた。
だから、その絵がなくなってしまってから、
川村記念美術館に行くたびにえも言われぬ喪失感に襲われ。
あの場所自体がなくなると聞いて、
緩やかになくなる運命だったのかもしれないとすら思いながら
今日その部屋に踏み入れて、
ああ、喪失を感じていたのは私だけじゃなかったんだと
今も思い出して涙が溢れそうになる。
いつも言葉少なに雄弁に語りかけてくれる場所だけれど、
「結びに」と書かれた言葉たちをみて、
もう半端なく、
この空間が存在したこと自体が奇跡的な芸術だと感じた。
「1990-2025 作品、建設、自然」は、
はじめて2009年に来たときから変わらない温度感で、ここに在って。
きっと次にこの絵に巡り会えたとしても、もっと窮屈な場所や、それが正義とすら言いたいかのようなただ白い空間に置かれるのだろうな。こんなふうに伸びやかに心地良さそうにそこに在ることはないのかな。と、胸が締め付けられるような想いで、
いつか、またね。と。
空間のすべて。
窓から射し込むひかり、窓ガラスに切り取られた木の根、薄暗くなっていく室内でなお圧倒的な存在感を放つ絵画、
ああ、そう、ぎらぎらと明るすぎなくて、押し付けがましくなく、自然にそこにいてくれるこの距離感が心地良かったんだ。

お金持ちだったら、この場所を私のものにするのに!と思ったり
かなしさ、さびしさ、怒り、やるせなさ、、、
いろんな感情が入り混じった気持ちで、茶室で最後の一席に滑り込み。
ひとりひとりに異なるお菓子を提供してくださるなか、
わたしの前に運ばれてきたのは、「春光」。
陽を受けてきらきらと輝くやわらかく穏やかな様に、
あたたかさを感じて、「ありがとう」に帰着した。
沈みゆく陽のなか、ゆるやかに回遊し、
いつか、またね。と自分なりにお別れを。
