子育て時短社員が、起業して法人をつくり、経営者の相談役になるまでにやったこと
この記事について
このnoteは、私自身の経験をもとに、子育て中の時短社員だった私が独立起業し、法人と直接契約して、経営者の相談役として仕事をするようになるまでに、実際に何をしたかを書いたものです。
読んでほしいのは「自分のキャリアはこのままでいいのかな…」とモヤモヤしている人。子育てや時短勤務で、使える時間に限りがある人。そして、独立したい気持ちはあるけれど「やりたいこと」が固まっていないから動けない人。専門性はあるのに、それをどう売ればいいか分からない人。
読み終えたときに「今の自分でも、始められる!」と思ってもらえたら、それで十分です。
序章 ぼんやりした「やりたいこと」と、はっきりした「求められること」
キャリア面談で、よく使う図があります。
3つの円です。「できること」「やりたいこと」「求められること」。英語ではCan、Will、Mustと呼びます。3つが重なるところに、その人が力を発揮できる仕事がある、という図です。

独立や起業の話は、たいてい「やりたいこと」が語られます。「これがやりたくて起業した」「これがやりたくて会社を辞めた」。本屋に並んでいる本も、そういう形をしています。
私の場合、「やりたいこと」はありました。ただ、ぼんやりしていた。それは商品の形をしていなかったし、何をやるかは、市場を見ながら少しずつ絞られていったものです。
動き出したきっかけは、「やりたいこと」ではありませんでした。14年勤めた会社は居心地が良かった。コロナで世界が変わっていく中で、自分だけが同じ場所に立ち止まっていていいのか。転職するとか職場を変えるという意味ではなく、現状維持のまま、いわゆるコンフォートゾーンにいていいのか。そんな引っかかりが、先にありました。
だから私は、「求められること」と「できること」から埋めていきました。14年の間に求められてきたこと、市場が求めていること、自分にできること。そこを見ているうちに、「やりたいこと」の輪郭が出てきた。3つの円の交差点は、後から見つかったのです。
「やりたいことがなくても起業できる」とは言いません。私にも、ぼんやりした「やりたいこと」はありましたから。でも、「やりたいことが決まっていなくても、起業はできる」。それは、言えます。
その"居心地のいい場所"がどんな場所だったかから、話します。
第1章 子育て時短社員だった頃
時短で働いていた毎日は、記憶がないくらい分単位で動いていました。
子どもが熱を出しそうな日、体調を崩しかけている日は、朝いちばんに夫婦で今日のアポイントを確認し合う。万が一のときはどちらが対応するのか。すり合わせをしてから、子どもを保育園に送り、頭の中で「ロッキーのテーマ」を流しながら、「選手がスタジアム入りします!!」というくらいの気合いで会社に向かっていました。(本当に、何かと戦っていたのかもしれません)
新卒で高校の臨時教員を6年、そのあと人材業界に入りました。当時の仕事は人材紹介です。転職エージェントとして、地元の企業に求職者を紹介し、転職を希望する方に求人を紹介する。個人の方に後悔なくキャリアを選んでもらうことにやりがいがあったし、一方で、経営者が思い描く次の会社の姿に対して必要な人をどう配置するか、経営者の構想を聞きながら人で形にしていく仕事でもありました。キャリアコンサルタントの国家資格と、シニア産業カウンセラーの資格は、働きながら取りました。
会社の居心地は、良かった。会社のミッションと自分の思いが一致していて、この仕事は本当に地域の役に立っていると心底思いながら働いていた。14年いたので人間関係もできていて、甘えられるところは甘え、チャレンジできることはたくさんある。上司も、(全員ではありませんが)概ね好きでした。
「このままでいいのだろうか…」と引っかかったのは、産休・育休で会社を離れたときでした。2013年と2016年、2回とも、そうでした。
強制的に自分を振り返る時間ができる。新しい命が目の前にいる。人生は有限だという感覚を、たぶんこのとき強烈に持った。そして物理的に、仕事に使える時間が圧倒的に減る。それまでは残業が当たり前で、仕事を中心に生活が回っていました。それがもう、できなくなる。
会社には時短制度があったので、時短で復帰するつもりでした。ただ、1日8時間のところを7時間で戻るなら、8分の7の成果ではなく、他の人と同じか、それ以上の成果を出したい。今思えば、人より1日が長くないと成り立たない話です。でも当時は本気でそう思っていました。大学院に行こうかと考えたのも、その延長です。短大卒で学歴へのコンプレックスがあったし、キャリアアップへの志向も強かった。悪い意味で。それが本質ではないと気づく話は、こちらに書いています↓
育休中も、子どものことだけをしていればいい、とは思えなかった。私は私の時間が欲しい。私は私のために学びたい。子どもを産んでも、そう思っていいのではないか。「育休中は子育てのための時間なんだから、そんなことしなくていい」「育休中に三好さんが学んでいたら育休中の人たちが純粋に休めない」と思っている人が周りにいたことは、あとで知りました。
それでも私は、「皆さんが1年先に進む分、私もしっかり進んで帰ってきます!」という気合い十分で、育休に入ったのです。
復帰して、時短のまま、営業の課長代理にあたるアシスタントマネージャー、そしてリーダーを務めて、数年が経ちました。
そして2020年、世の中が止まりました。
第2章 コロナで止まった時間と、7か月のコーチング
緊急事態宣言が出て、会社の業務そのものができなくなったり、自宅で仕事をするようになったりしました。社会はどうなるのか、自分はどうなるのか。漠然とした不安がありました。
毎日読んでいる日経新聞で、たまたま目に入ったのがコーチングのマッチングサービスでした。コーチングは、勉強したことも受けたこともなかった。試しに受けてみようか、というくらいの軽い気持ちでした。
そのサービスでコーチを選ぶには、いくつかの質問に答えていきます。その中に「1時間いくらのコーチに依頼するか?」という選択肢があった。
私はそのとき、もし自分がこの先、対人支援の仕事をするなら、1時間3万円は受け取りたいと思っていました。自分は3万円もらいたいのに、5千円のコーチにお願いするのは変ですよね。そう思って、3万円のコーチを選びました。
最終的に2人が候補に残りました。1人は、花束を受け取ってスピーチをしているような写真の、少しギラギラした男性(何かで成果を出して表彰されているような)。もう1人は、Tシャツとデニムで、自然の中で、いろんな肌の色の子どもたちと一緒にいる男性。後者に決めました。ゆるいわけでも、ただ受け止めるだけでもなく、無理なく私の思う方向へ一緒にナビゲートしてくれそうだ、と思ったからです。
7か月間、伴走してもらいました。仕事のことだけではなく、生い立ち、両親、学生時代。自分のパターンを自分で見つけ出したり、チェアワーク(椅子を使って、相手の立場と自分の立場、過去・現在・未来を行き来するワーク)をやったり。
その中で、少しずつ自覚していったことがあります。ずっと好きだった会社は、もうあの頃の会社ではない。14年もあれば、会社も変わるし、自分も変わる。どちらが悪いということではなく、時の流れとともに、自然とそうなっていた。その中で、自分のことは自分で決めていきたい。当時は言葉にできていませんでしたが、今思えば、私はそう思って動き始めていたのだと思います。
自分も副業としてコーチングをやってみたい、と思うようになりました。ただ、せっかくやるのであれば、稼ぎたい。趣味ではなく、商売として。
そして7か月の終わりに、コーチにこう聞きました。
「商売の型を教えてくれる人はいませんか」
第3章 会社員のまま、朝礼で「100人コーチングやります」と言った
時間を少し巻き戻します。コーチに「商売の型を教えてくれる人はいませんか」と聞くより前に、自分で試していたことがありました。コーチングを、する側として。
コーチングは動画で独学しました。対人支援の基礎はあったので、それでいけると思った。決めたのは、まず100人にやること。実践の場は自分で作るしかありません。
ちょうど会社で副業が解禁になったところだったので、朝礼で言いました。
「私、副業でコーチングをしようと思います!まずは無料で100人、実践の実績を積みたいので、受けてもいいと思える方は、ぜひ私に連絡してください!」
朝礼でその言葉を聞いていたのは、同じフロアの70人ほど。同じ部署の人もいれば、挨拶くらいしかしたことのない人もいた。トイレや給湯室で「そういえば三好さん、コーチング受けたいです」と言ってもらう。そんなふうにして、30人くらいが集まりました。
実施したのはランチタイム。移動を除くと正味30〜40分。個室ではないので椅子のワークはできません。その代わり、テーブルにある水や塩こしょうを動かして、目で見える形にしながら話を進める。そんなコーチングをしていました。
会社員のまま、無料で、身近な人から。いま振り返ると、これが一番リスクの低い試し方でした。辞める前に、自分の商品が人に受け入れられるのかを、お金をもらわずに確かめる。
ただ、続けながら、ずっと引っかかっていました。これは商売の型なのか?と。
第4章 起業塾に入った ― ここで「法人向け」と「副業では無理」が見えた
コーチに紹介してもらった人の起業塾に入りました。
費用は45万円。副業のコーチングで月5万円稼ぐとして、9か月でペイする。そう夫にプレゼンして、入りました。
起業塾で覚えているのは、講師に言われた一言です。
「三好さんは、コーチやカウンセラーより、コンサル向きだよね」
私はそれまで、ずっとコーチングの路線で考えていました。でも言われてみれば、私には14年分の採用支援のノウハウがある。話しているうちに、法人向けのサービスという形が見えてきました。そして、法人向けにやるなら、会社員をしながらでは無理だ、と思った。
退職を切り出したのは、起業塾に入って1か月ほど経った頃です。上司は驚いていましたが、私の決断を尊重して、応援してくれました。夫も、快く後押ししてくれました。
では、その「法人向け」は、どうやって絞られていったのか。辞めるまでに何を準備し、辞めたあと何が起きたのか。
ここから先は、そのときに実際にやったことを、順番に書きます。
・ぼんやりした「やりたい」を絞るために、10人分やったこと
・14年分の経験を、人に渡せる手順に変えた問いの立て方
・辞める前に作った、応募先を選ぶための4象限
・「両方新しいこと」には手を出さない、という仕事の選び方
・時間で結んだ契約を、成果で結び直すためにやったこと
・値段を決めるときに、今も自分に問いかけていること
2020年11月に自分が書いたシートと、退職前の方眼ノートを開きながら書きました。当時の言葉を、そのまま載せています。
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