【シロクマ文芸部】最後の嘘
春の風がそよそよとレースのカーテンを揺らしている。元は真っ白だったカーテンも五年の月日が経ち日に焼けてしまっている。飾ってあった絵が外された壁はそこだけが白く光っている。
何もないがらんとした部屋の中で私たちは手持ち無沙汰に立ち尽くしたままだ。何か声を出してはいけないような、そんな感じがして黙りこくったまま時が過ぎていく。手にしたペットボトルのお茶は汗をかいてしずくがぽたんと足元に落ちた。
一緒に住み始めて五年の間、私はいつもただ一言を待っていた。「結婚しよう」その一言が聞きたくて、私はずっと待っていた。誕生日、クリスマス、何かの節目、そんな時、今日こそはという淡い期待を抱いては肩透かしを食らっていた。彼に訴えてみても、私の目を悲しげに見つめて「ごめん」と口づけてそれだけだ。
もう期待はしない、ただ一緒にいるだけでいい、そう思う事にした。それで毎日何とか過ごしていく事ができた。そんな日々が終わりを告げるのは、彼に掛かった一本の電話だった。
「俺、地元で見合いする事になった」
電話を切った彼は唐突に私に言った。彼の実家は会社を経営していて、いつかは彼も地元に戻りお父様の跡を継ぐ事になっていた。私はいつか彼と一緒に彼の地元に行く事になるのだと心づもりをしながら過ごしてきた。それなのに、目の前の彼は私に見合いをすると言っている。
「見合いって。私の事はどうするの?」
彼は俯いたまま「ごめん」と一言言っただけだ。
私は頭が真っ白になり、仕事以外は手につかなくなってしまった。本当は仕事も投げ出して泣いて過ごしたかったけれど、責任のある仕事を任されているのでそんな無責任な事はできないと気力を振り絞った。
彼が見合いのために地元に戻っている間に私は新しい部屋を決めた。そして自分の荷物もそちらに持って行った。私の荷物は軽トラックの引っ越し便で済むほど少ない物だった。これから彼と結婚して地元に戻る時のためにあえて物を持たないようにしていたのだ。
彼からしばらくして連絡があった。地元に戻る前に最後に会おうと。
ずっと続く沈黙を破るように、ペットボトルのお茶を一口飲んで私は口を開く。
「飛行機の時間は何時なの?」
「十五時四十五分」
「そろそろここを出ないといけないんじゃないの?カーテンの処分とカギの返却は私がやっておくから」
「ありがとう。最後まで世話を掛けるね」
彼はそう言うと、大きく息を吸って私の目を見つめて
「俺、渚の事、本当は愛してなかった。むしろ嫌いだったかも。顔も見たくなかったけど、別れを切り出すのも面倒だったんだよ。そしたら実家から見合いの話が出て、渡りに船とばかりにその話に乗ったんだよ」
と一気にまくしたてる。
「そう。分かってたわ。結婚をせっついてごめんなさい。幸せになってね」
「渚。俺、君の事はすぐに忘れてしまうよ。だから渚も俺の事なんてさっさと忘れていい奴見つけろよ」
彼はそう言い残しキャリーケースを手に部屋を出て行った。ばたんとドアが閉まった瞬間、私の目から涙が零れ落ちた。さっきまで必死でこらえていた涙は止まる事なく頬を伝う。少し落ち着いて鼻をすすった私は、最後に彼が吐いた嘘を思い出す。本当に彼は嘘を吐くのが下手なのだ。しきりに瞬きをしながら吐いた嘘は彼の一世一代の大芝居だったんだと思う。
私も彼の事はすぐに忘れてしまおう。大丈夫、私はそんなに弱くない。
「私だってあなたなんてすぐに忘れてみせるから。これは嘘じゃないわ」
姿の見えない彼の幻に大見得を切ると、日に焼けたレースのカーテンが春の風にふわりとまくれ上がった。
🍀 🍀 🍀 🍀 🍀
シロクマ文芸部に参加します💛
今週のお題は「春の風」です。
数日前からユーミンの『最後の嘘』という曲が頭をぐるぐるしていました。
なんとなく頭を離れずに、曲から小説を書いてみました。
今日も最後まで読んで下さってありがとうございます♪
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