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第0回 家で出会う、算数の話                     

おかあさんねこは、答えを教えない

第0回 連載のきっかけ

35年にわたり、小学生を中心に、0歳から高校生までの
生徒さんと向き合ってきました。
その時間の中で、自分自身も学び続けてきました。

コロナを機に、教育のDX化は一気に進み、
1人1台タブレット支給に驚いていたのも、もう昔のこと。
宿題をタブレットで提出するのは、今では当たり前です。

我が子が高校生のころ、三者面談で
本人が将来の進路についてプレゼン資料を作り、
先生と親に向けて発表したときには驚きました。
けれど先日の6年生の授業参観では、
一人ひとりが「将来の夢」をプレゼンという形で発表していました。
今は、小学生が。

ある日のことです。
小4の男の子と、Zoomで話していました。
「後ろの背景画像、変わったね?」
「マイクラで作ったものをスクショしてるんだよ。」
思わず、心の中で感心します。
「先生の画像はね、AIで……」
先日知ったばかりの知識を、
少し披露しようとしたところ、
「あ、それならCopilotが――」
さらりと、続きを引き取られました。
数日前に私が覚えた知識を、
彼は当たり前のように共有している。
確かに彼はその分野に強い関心をもっているのですが、
特別な子というわけではありません。
遅かれ早かれ、今の小学生の、ごく普通の姿となるでしょう。

プレゼンも、マイクラも、プログラミングも。
一見、算数とは別の力に見えるかもしれません。

けれど、その土台には、

量をとらえる力があります。
「どれだけあるか」を、数える前に感じる力。

順序を意識する力があります。
何が先で、何があとか。
入れ替えるとどう変わるのかを見る力。

まとまりをつくる力があります。
ばらばらのものを、一つのかたまりとして扱う力。

それは、特別なスキルではありません。

時代がどれほど進んでも、
数と出会う順番だけは、変わらない。

量を感じ、
同じとみなし、
まとまりをつくり、
変化を見る。

その土台が揺れると、
どれだけ操作に強くても、
どこかで立ち止まります。

だからこそ、いま、あえて

いちばん最初の「数との出会い」について、
書いてみようと思いました。

「算数、教えなきゃ」と思うと、少し重たくなりませんか?

お風呂で数を数えさせたり、おやつで足し算をさせたり。
でも、どこか「これで合っているのかな」と不安になる。

もしあなたが算数を苦手だと感じてきたなら、
その不安は、とても自然なことです。

この連載では、算数が苦手なお母さんにこそ読んでほしい、
「数との出会い方」についてお伝えしていきます。

小学校入学前に大切な「数との出会い」

算数を教えるのが、正直むずかしい。
そう感じているお母さんは、とても多いと思います。

それは、「子どもにどう教えたらいいかわからない」という理由だけではありません。

多くの場合、お母さん自身が、算数を苦手だと感じてきた経験が、心の奥に残っています。

・途中から急に分からなくなった感覚
・理由は分からないけれど、授業に置いていかれた感じ
・いつの間にか「私は算数が苦手」と思い込むようになった記憶

これは、特別なことではありません。
教育の現場や研究でも、算数の苦手意識は早い段階で生まれやすいことが分かっています。

算数が苦手だったのは、能力の問題ではありません

少しだけ、立ち止まって考えてみてください。

あなたは、どのあたりから算数が苦手だと感じましたか?

足し算でしょうか。引き算でしょうか。それとも、分数や文章題でしょうか。
「わからない」と言う前に、なんとなく距離を取ってしまった記憶はありませんか?

多くの人が覚えているのは、「間違えた瞬間」ではなく、考える途中で先に進んでしまった感覚です。

算数の理解は、本来、段階を踏んで積み上がっていくものです。

その途中で立ち止まる時間が足りなかったとき、「できない」という感覚だけが残ってしまうことがあります。

教えなくていい。説明しなくていい。

算数が苦手なお母さんに、いちばん伝えたいことがあります。

教えなくていい。説明しなくていい。

一緒に見て、一緒に数えて、一緒に驚くだけでいい。

算数は、「わかる → できる」という順番で進むものではありません。

教育の現場では、体験を通して意味を感じ、そのあとで理解し、最後に技能として定着するという段階が大切にされています。

日常の言葉にすると、「感じる → わかる → できる」という順番です。

家庭で担うのは、このいちばん最初の、「感じる」という大切な部分なのです。

数を数えられる=わかっている、ではありません

お風呂で「いーち、にー、さーん」と数えられるようになると、少し安心しますよね。

けれど、数を唱えられることと、数がわかっていることは、同じではありません。

これは、算数教育の中でも、よく知られている点です。

数には、

・順に唱えられること
・量として捉えられること

という、異なる側面があります。

唱えられることは入口であり、量として感じられることが、その土台になります。

数字は「記号」、数は「量」

ここが、この連載の大切な考え方です。

数字は、記号。
数は、量。

「3」という数字は、量を表すための"印"です。

本来は、「これだけある」という感覚が先にあり、あとから数字が使われます。

ところが、家庭や学習の場では、数字や答えが先に来てしまうことがあります。

そうすると、数は「意味のある量」ではなく、「形」や「音」になってしまいます。

これは、多くの実践や研究の中でも、つまずきの原因として共有されてきた点です。

家でできるのは、「正しくする」ことではありません

おやつを並べる。
靴をそろえる。
洗濯ばさみを机に置いてみる。

数えなくてもいい。
正しく言えなくてもいい。

ただ、「ここに、これだけあるね」と、一緒に見る。

もし数えたなら、間違えても、すぐに直さなくて大丈夫です。

考えている途中を、止めないこと。
これが、理解を支える大切な条件です。

家で育てたいのは、正確さよりも、数に触れても怖くならない安心感です。

家で育つ安心感は、あとから力になります

学校では、具体的な物や図を使いながら、数え方や計算の意味を、段階的に学んでいきます。

家庭で、同じことを再現する必要はありません。

むしろ、家庭は、「考えてもいい場所」「間違えても大丈夫な場所」であることが大切です。

この安心感がある子どもは、あとから「わかる」に追いつくことが、多くの現場で確認されています。

この連載について

次回からは、猫の親子が登場します。

おかあさんねこと、その娘のみゅうちゃんです。

おかあさんは、算数の答えを教えません。説明もしません。

代わりに、一緒に見て、一緒に考えて、子どもの言葉を待ちます。

みゅうちゃんは、思ったことを、そのまま口にします。

間違えます。言い直します。急に別のことを言い出すこともあります。

でも、それが「わからない途中」の自然な姿です。

二人の会話を通して、「数ってなんだろう?」「量ってどういうこと?」という、計算の前に大切な感覚を、一緒に見ていきます。

この親子の会話は、教えるためのものではありません。

算数につまずく理由を、「能力」ではなく、数との出会い方の積み重ねとして見ていきます。

あなた自身が、どこで数から離れてしまったのかを、少しだけ振り返りながら、読んでもらえたらと思います。

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