UXと速度

1991年に未来にいたかもしれない。
当時、ユーピーユー(UPU)というベンチャー企業にいた。
1991年といえば、世間はまだワープロかPC-98を使い、フロッピーディスクやMOを手で渡していた時代。インターネットはもちろん普及してない。

しかしこの会社は、「AIジャーナル」という人工知能の専門誌を1980年代に発行してたこともあり、当時としては変わった情報環境を作っていた。

たとえば全社員にMacintoshを配り、社内LAN(AppleTalk)を張り巡らせてそれらはネットワークで繋がっていたのだ。当時は一人一台パソコンどころかチームで一台のワープロの時代だ。

私はこの未来感あふれる環境にぞくぞくし、それだけの理由で大手企業の内定をお断りしてこの得体のしれない会社に就職することを決めた。

一人一台でネットワークにつながれたMacの向こう側には「VAX」というミニコン(サーバー)が鎮座していたと思う。

手元のMacでHyperCardを立ち上げ、条件を絞り込んで検索ボタンを押すと、LANを介してVAXのデータベースから情報が引っ張られてくる。

社内には独自の電子メーリングリストもあったし、ハイパーカードでアプリも作れた。ローコードみたいなもんだ。30年以上前に、自分は当時としては未来の働き方の中にいたと思う。

ではそこはユートピアだったのか?
答えは否だ。

理由はシンプルに、速度がめっちゃ遅かったのだ。

まず、ハイパーカード越しにVAXからデータを取ってくる仕組み。検索ボタンをポチッと押した瞬間、Macの画面は無限と思われるくらい待たされる。当時のLANの速度は、現在の光回線の数千分の一ではないか?

そして何より、私に配られたのは可愛い形をした「Macintosh Plus」も絶望的に遅い未来だった。

こいつの日本語入力(漢字変換)のスピードは、実務においては完全に「話にならない」レベルで遅かった。

締め切りの迫る企画書は、Macではなく、デスクの横にあった「ワープロ専用機」でサクサクと打って作っていたのだ。

「速度」は品質を左右する

私は仕事において、時間を測定するのが好きなんだけど、この体験が根っこにあると思う。「どんなに素晴らしい仕組みでも、体験する速度が遅いと話にならない」という教訓だ。

役所や病院の窓口でも、手続きがどれだけ電子化されても、処理完了までの時間がかかると不満しか残らないだろう。

人間が心地よいと感じる基準、つまり「UX」の正体のかなりの部分を、突き詰めれば「自分の時間を奪われないこと=速度」は大きな要素を占めるのではないか?

1990年のLocalTalkから、現代の超高速5Gや光回線、そして生成AIの時代になった。技術は進歩したが、人間の体験に関する本質は変わっていない。

コンピュータに何かを打ち込んでその反応が「一瞬」で提供できるかどうか? 申請したら一瞬で応答があるのか?

これからの時代も、勝者と敗者を分けるのは、「反応の速度」という名のUXなのだと思う。