「天幕のジャードゥーガル」 ー 後宮の奴隷の少女に、55歳の会社員が救われた話
偶然出会ったこの作品に、はまってしまうとは我ながら新鮮な気持ちだ。最終回を見終えた夜、なぜか少し寝つけなかった。
「天幕のジャードゥーガル」の第1期が、今月12日に最終回を迎えた。13世紀のモンゴル帝国を舞台に、捕虜となったペルシャ出身の少女・ファーティマが、後宮という一番自由のない場所から物語を動かしていく。そんな話だ。日本ではあまり馴染みのない中央アジア史のアニメが世界中に配信され、インドネシアなどイスラム圏の視聴者からも大きな反響を呼んだというニュースを見て、なるほどと思うと同時に、私がこの作品に惹きつけられた理由は、たぶんそこではないんだろうな、とも思った。
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全てを奪われた少女が、一番弱い場所から物語を動かす
ファーティマは、モンゴル帝国に全てを奪われた元奴隷だ。故郷を失い、家族を失い、後宮という、組織の中で一番発言力のない場所に置かれる。普通なら、そこで心が折れてもおかしくない。でも彼女は違った。表向きは大人しく仕えながら、内側で静かに知恵を蓄え、帝国そのものを変えようとする。
原作者のトマトスープ氏は、あるインタビューで、「復讐はよくない」という定番のテーマをあえて選ばず、「全部ぶち壊そうという物語があってもいい」という言葉で、この作品の姿勢を語っている(日本経済新聞、2026年9月)。この一言に、正直かなり救われた。
「後宮」という会社
55歳、会社員として働いてきて、ふと気づくことがある。私もずっと、ある種の「後宮」にいたんじゃないか、ということだ。
もちろん、女性が置かれてきた歴史的な抑圧や従属の構造そのものと、会社員としての私の経験を同列に語るつもりはない。それでも、表向きは従順に振る舞いながら、内側では何も諦めていないという感覚にだけは、性別を超えて覚えがある。
会社という場所は、自ら選んだようで、実はかなりの部分が「選ばされてきた」場所でもある。異動、昇進できなかったポスト、飲み込んだ意見。ファーティマの境遇ほど過酷ではないにせよ、似たような場面には、何度も心当たりがある。
彼女を見ていて気づいたのは、"従順であること"と"何も考えていないこと"はまったく別物だ、ということだ。後宮の中で目立たずに振る舞うことは、負けを認めることではなく、機が熟すのを待つための戦略でもありうる。
知恵は、誰にも気づかれなくても積み上がる
ファーティマの武器は、組織の後ろ盾でも、腕力でもない。知恵と、少しずつ集めた信頼だ。それは派手な瞬間には見えないけれど、何年もかけて確実に積み上がっていく。
私が今、こうしてnoteに文章を書いているのも、似たようなものかもしれない。

誰かにバズらせようとか、すぐに何かの役に立てようとか、そういう下心は正直あまりない。ただ、定年まで残り数年というタイミングで、私にしか書けないことを、少しずつ書き溜めておきたいと思うようになった。それがいつか、何かの形で私を助けてくれるかもしれないし、くれないかもしれない。それでもいいと、今は思っている。
復讐でも、忖度でもない道
ファーティマは歴史上、しばしば悪役として語られてきた人物らしい。でもこの作品は、彼女に「自分の意志で、何が幸福かを選ぶ」という道を用意した。復讐でも、諦めて従うことでもない、第三の道だ。
55歳の私にも、いつか同じような選択が来る気がしている。会社を恨む物語を書く必要もないし、「お世話になりました」と綺麗にまとめる必要もない。ただ、私が本当に大事だと思うことを、私の言葉で選んでいいんだと、この作品に教えてもらった気がする。
原作は秋田書店「ボニータ・コミックス」から刊行中。アニメだけでは描き切れていない細かい心情や、後宮内の人間関係の機微は、原作でこそじっくり味わえる。気になった方は、1巻から追いかけてみてほしい。
そんなわけで、最終回を見終えた夜、少し興奮してしまった理由が、ようやく私の中で言葉になった気がする。
アニメの最終回で、ドレゲネがファーティマに問う、「もう一度、私と一緒にたたかってくれる」かと, そして「二人で一緒に嵐を起こそう」と。この二人ようなつながりを、会社でもこのnoteの世界でも築いていけたらいいな、そう思った。
ぜひ、アニメか原作でこの作品を見てもらいたい。そして感想をコメントでもらえたら、1ファンとしてうれしい。
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