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人は例外なく、身勝手に世界を見ている


アドラー心理学入門を読み返してみた

最近オーディオブックで、岸見一郎先生の『アドラー心理学入門』を聞き直しています。以前読んだときは総花的でなんとなくしかわからなかったのですが、アドラー心理学を勉強したあとですのでよく理解できます。しかもヒントも掴むことができました。第二章アドラー心理学の育児と教育の出だしのところですでにヒントがありました。もちろん子供のことではなく社会にある組織についてのヒントです。以下一部を引用したいと思います。

一昔前ならば親も教師も「権威」で子どもを従わせようとし、子どものほうもそのことを当たり前のことのように思っていました。その頃であれば、一貫性を欠いた合理的でない育児、教育も通用したかもしれません。しかしすでにアドラーは70年前に次のように書いています。
「子どもたちが、手を膝の上で組んで、静かにすわっていなければならず、
 動くことを許されないような学校はもはやない」
               (『個人心理学講義』159頁)

アドラー心理学入門 岸見一郎著

この一昔前のことが、組織では行われていると私は感じています。うちは社長が権威を振り回すようなことはないとおっしゃるかもしれません。確かにそのような組織は存在すると思います。しかし上司を立てる、社長を立てるという気持ちはあるはずです。これがなければ組織は崩壊すると多分思っているはずです。私もそういう点は大いにあります。トヨタ自動車に勤めていて豊田章男会長が言ったことに意見できるでしょうか?自分が権威を振り回していないと思っても、そうではないはずです。企業ではどうしてもこうなってしまいます。意見を言わないこと、社長の決定に何も考えず従うことは『手を膝の上で組んで、静かにすわっている』ことになりませんか?
私は上記文章を読んで『ああ組織ってこうなることを前提に物事を考えなければならない』と思ったわけです。
もちろんこの書籍を読み進んでいくとどのように考えていけばよいかのヒントも掴むことができました。
例えば、豊田章男会長が従業員からでた意見を『それってどういうこと』と尋ね従業員がたじろいもせずに意味を説明する。このような組織なら動くことを許された組織になるのではないでしょうか?しかし多くの場合は、自分は納得がいかなくても『いや、もういいです』となるのではないでしょうか?何度も繰り返し頭に入れているものですね。脳に刺激を与えればよいのですから。

すべての人は信念のメガネで世界を見ている。あなたもその例外ではない

今回は仮想論について学んでみました。向後千春先生の書籍には仮想論が次のように説明されています。

 私たちは何の疑いもなく、世界をまるでそうである「かのように理解」しています。しかし、それは自分の好きな「信念メガネ」をかけて見ているのです。これを「仮想論(fictionalism)」と呼びます。その反対は「客観論(objectivism)」です。客観論では、私たちは世界をありのままに認知することができるという立場を取ります。

アドラー実践講義 幸せに生きる  向後千春著

自分が見ている世界と他人が見ている世界は全く違うものであると仮想論は言っています。なんとなくこのようなことは感じてはいたのですが、こうまではっきり言われると衝撃的でした。『まったく違う』となるといくら話しても解ってもらえることはないことになります。私のような伝えることを仕事にしていると余計にこのことは感じてしまいます。時には『なんでこんなことがわからないんだろう』と思うこともあります。しかし仮想論では、当然のことだというのですから。しかも人はこのことを直ぐに忘れてしまいます。それでもわれわれは協力をしていかなければ高い成果をあげることはできません。そうかといって相手のことばかり考えていたら、自分がなくなってしまいます。他人の信念メガネで見たようなふりをして、あなたの気持ちはよくわかると言ってもそれは嘘になりますから、自分ではなくなるわけです。

信念メガネを持つことは悪いことではない

ある程度の信念メガネを持つことで私たちは生活が成り立ちます。例えば、朝は歯を磨くものだという信念を持つからこそ朝起きて迷わず顔を洗い歯を磨きます。会社には定時に出社するものだと決めているからこそ生活が成り立ちます。今朝は歯を磨くべきか、今日は出社するのだろうかなんて毎日、毎時間考えていたら生活ができません。ですから我々が信念メガネをかけていることは悪いことだけではありません。しかしそのメガネは他人とは違うということは認識すべきです。
例えば私の次男も三男もベルトをしません。作業着で出かけるときに『おい!ベルトは?』と聞くと『いらん!』私たちの時代だとベルトをせずにズボンを履くなどありえません。だってズボンが落ちるだろう。と思うわけです。しかしなぜか今の洋服って昔のようにズボンがずれ落ちるということはなくなってきました。フリーサイズでゴムが入っていたり、履きやすいように工夫がされているのだと思います。私のジーパンもベルトは飾りのようなものです。よくよく聞いてみると息子の言い分も一理あります。今やベルトはファッションなんでしょうね。だから私たちがベルトをしていないのは、みっともないというのは私たちの時代のファッションからするとみっともないというだけなんでしょう。

よき上司は常識を捨て、相手の常識を理解し始める

先ほどの例でわかるように、自分がこだわっていることなんて違う角度から考えればたわいのないことだと思います。自分のこだわりはちょっとの間だけ横においておいて相手の常識というものを聞いてやろうではありませんか。人はなぜか自分の考えを通そうとします。しかしそれは意味のあることなのでしょうか?自分の考えが正しいと証明できたところで、人が集まってそれ以上の成果があがらなかったら、なんのために集まっているのでしょうか?まず上司が自分の常識を捨ててみて、相手を理解することから始めては如何でしょうか?仮想論からするとそう簡単なことではないと思います。しかし私はそれが始まりだと思います。そして以前より共通認識を高める努力をお互いがしていくことだと思います。向後先生の同著には次のように協力について書かれています。

 相手とわかり合い、協力するためには、自分の私的論理を手放して、相手と共有できる論理を見つけ出していくことが必要です。これを「共通感覚(Common Sense)」と呼びます。共通感覚を見つけ出していくことが、言葉でのコミュニケーションの重要な役割なのです。

上司という表現よりマネジメントと考えると誰から共通感覚を見つけ出そうとするべきかが解ると思います。


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