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読了日を振り返る日記/1月

1月4日

『世界99下』(村田沙耶香・著)を読み終わった。上巻を大晦日に読み終わり、年の瀬を跨いで下巻を読んだ。去年のGW前にTBS Podcast『こねくと』のなかのコーナー『空間時評』で紹介されていたことをきっかけに購入したものの、読むタイミングを逸していたタイトル。

その後、何度もYouTubeやPodcastで取り上げられていたこともあり、年末年始こそはこの上下巻に挑もうと思っていたのだ。世の37歳はもう少し年末年始らしい予定のひとつもありそうなものだが、ぼくは読書と、あとはひたすら駅伝を見るくらいのものである。というか、駅伝を見ながら読もうと思っていたけれど、けっこうしっかりテレビの前から動かずに見ていたために、あまり読書の時間がとれなかった。暇人が何を言ってんだ、とツッコまれそうだ。駅伝をじっとして見れるようになったというのは、もしかすると年老いたことによる変化のひとつなのかもしれない。

ともあれ、この唯一の予定を、仕事始めを翌日に控えた4日未明にやっと終えたわけだが、いわゆるディストピア小説というのを寒い時季に読むのは避けた方がいいというのが、この年末年始の学びだ。寒さと小説のディストピア的な世界観によってかたく縮こまった僕のからだは、黒田朝日の躍動によってなんとか外に出る活力を得て、友人の服屋で散財することで、翌日以降の出勤のモチベーションを取り戻すのだった。

ちなみに、これは2月のことだが、衆院選を経て改めて心に刻まれた一節がある。

「マルチ商法をやってる大学の子とおんなじ表情してるよ。自分の信じているものは絶対にいいのになんでこの馬鹿で幼い子にはわからないんだろう、早くおいで、おばかさん、っていう顔」

抜書きしていたけれど、もとは下巻のどの辺りにあったか分からない。もしかしたら、一部間違っているかもしれないけれど、ぼくのような左翼的な思想に偏っている人間の鳩尾を抉る一撃だと思う。

全体を通しての感想は、「なんか疲れた」とか、そんな感じだろうか。上巻で主人公の空子がはじめて決定的な分裂をするところから、もうずっと振り回されっぱなしだった。主人公にも、物語にも。そんななかで、なぜか得体も知れないピョコルンというペットだけが、静かに記憶の片隅に佇んでいる。作中では、パンダ、イルカ、ウサギ、アルパカの遺伝子が偶発的に組み合わさって誕生した、とされているが、個人的には小型のアルパカみたいな見た目を想像している。サイズ感と耳はウサギ?さて他の読者はどうなんでしょうか?

7日

『考察する若者たち』(三宅香帆・著)を読み終わった。
今年は、いわゆる名作をとにかくたくさん読もうと思っている。このキャンペーンはAudibleの力を借りて11月頃から始まっていて、昨年のうちに『沈黙』(遠藤周作・著)、『1984』(ジョージ・オーウェル・著)を読んだ。一応、今後も聴けるものは手当たり次第、履修していくつもり。この、「履修」ということばを、大学の授業の単位を取るようにコンテンツに使うのが、著者曰く今の若者っぽい感覚とのこと。履修することで、報われるらしい。

本を開きながらであれば、Audibleはだいたい3倍速で、電車などの移動中は2〜2.5倍速くらいが心地よい。等倍速で聴くとだいたい10時間程度の本なら、ぼくはおそらく6時間くらいかけてけっこうのんびり読むタイプだが、それ以上に「まだ先が長い」などと余計なことを考えるために、序盤はなかなか先に進まないし、そもそも本を開かない。その点、Audibleで3倍速にするとスクロールバーの下に残り3時間などと示される。つまり、あと3時間でぼくは名著の単位を取得し、報われるわけだ。もちろん、内容も楽しんでいるわけだが。

Audibleの活用は以前からいろんな人がネット上で言っていたことだが、特に理由もなくサブスクのコストをケチって、使ってなかった。もっと早くやればよかったと思っているが、一方で何を選んで報われるかは書店に出向いて自分で決めたい。

書店に行ってこの本を読みたいと思ったり、服屋に行ってこの服を着たいと思ったりすることは、難解で読めない本に出会ったり、似合わない服に出会ったりする確率を上げる。キャラに合わないものを買ってしまったと後悔する日もあるかもしれない。最適化されていないのだから。

服にしてもそうだが、画面上でスクロールするだけでは、なんとも味気ないではないか。別にキャラに合ってなくても着たい服を着ていいし、趣味じゃないジャンルでも名作は人生を豊かにしてくれる。とかなんとか言い訳をして、年明けからせっせと服を買ったり積読を増やしたりしている。

まったく関係ない話だが、年明け以降のアメリカによるベネズエラ攻撃によって、世界情勢はさらに混迷を極めている。懸念される台湾有事の誘因ともなり得るだろう。我が国の総理大臣も、よくわからんが、アグレッシブに中国の怒りを買っていることだし、だから、平和のままに報われられるうちに存分に報われなければならない。物価高騰で服を買う機会は減らす必要があるだろうが、本なら高すぎて買えないということはないし、そもそも自室に200冊以上の積読があることを考えると、読書は最後の趣味になるだろう。だから、だいたい年間50冊程度しか読まなかったぼくですが、今年は100冊読みたいと思っている。

16日

『Butter』(柚木麻子・著)を読み終わった。
三島由紀夫の『金閣寺』とともに『Butter』をバッグに入れて仕事に出勤し、お昼休憩のときに聴こうと思ったが、前者はAudibleに作品がなかった。なんとなく、明治から昭和にかけての文学や海外SFの名作を読むためにと思っていたけれど、Audibleのアプリを見ていると、最近のタイトルもたくさんある。だから、もう、タイトルがある限りの小説はすべてAudibleの力を借りて読もうと思った。そして、この『Butter』なんかは特にそうだが、声優の声がものすごく作品の空気に合っていて、内容ももちろんだが、声によってより強く作品の世界に引き込まれる。そうなるように声優を選ぶことは、当然と言えば当然なのかもしれないけれど。

そして、ものすごくどうでもいいけれど、Audibleで聴いたせいか、梶井真奈子のモノマネみたいなことをしたくなる。原文ママではないが、「わたしにはどうしても許せないものが2つあるの。フェミニストとマーガリンよ」というような具合に。この梶井という人間から主人公の里佳が薦められる食事の話があまりに印象的だったために、今年に入ってからやたらとラーメンを食べる回数が増えている。こだわりがないからと言って、さほど満足感のない食事で毎日をやり過ごし、たまに糖依存が爆発して、甘いものを爆食いしたくなるよりは、ラーメンの方がいいだろうけれど、間食のお菓子もしっかり摂っている。

食の贅沢とは金銭以上に気力体力を要するものだと痛感する。梶井のそうしたエネルギーは執念とか命の炎と呼んでもいいほどだ。自分はどんなに時間や金があったとしても、ああはなれないだろう。

ちなみに、著者の小説を手に取るのは意外にも初めてだった。自分で言うのも変な話だが、というのも、『Y2K新書』というPodcastが好きで、2,3年前によく聞いていたからだ。今思うと、なぜあれだけPodcastを楽しんでいたのに小説に手が伸びなかったのかは謎だ。おそらくPodcastが楽しすぎて、「おしゃべりの人」という枠に勝手に入れてしまっていたのだと思うが、小説家としての筆力はそれ以上に感服です。

17日

『BOX BOX BOX BOX』(坂本湾・著)を読み終わった。
14日に発表された芥川賞には惜しくも選ばれなかったが、いくつかの候補作の書評を見聞きして、特に読んでもいないのに、「今回はこれだろ」と踏んで買っていたのがこの本。

霧深い物流センターで働く人間たちの4人の目線から、とにかく労働の全体像からの疎外を象徴的に描いている作品。霧深い物流センターって何なんだ?とツッコみたくなるし、果たして物語と言えるのかという言葉も聞こえてきそうなくらいだ。あまり、最近の芥川賞候補作ではこの手の作品を見てない気がするが、作風は安倍公房なんかが近いだろうか。

テーマとしては、去年の秋ドラマでどハマりしていた『ちょっとだけエスパー』を思い出す。『BOX BOX BOX BOX』は純文学ということもあって、そのテーマにぎゅぎゅっと絞って1冊にまとめ上げられている。物流センターなのだから、同じ野木亜紀子脚本でも一昨年の映画『ラストマイル』の方を引き合いにだすべきだったか。
ちなみに、ぼくが勤める職場でも、仕事上で必要な情報を調べて資料を作成する過程にかなりAIが侵食してきていて、人間疎外を感じる。この延長線上で、ぼくのようにブルシットジョブをこなす人間たちがエッセンシャルワーカーになるのなら、あるいは言祝ぐべきことだと思うけれど、今さらそのように働けるとも思えない。そういう状況はそこかしこに広がっていることと思うが、みんなどうやってこの不安を飼い慣らしているのだろうか。

ちなみに本書を読み終わったこの日は、TOMOOの福岡公演の日だった。半年前にチケットを買って、待ちに待っていた1日。上半期でいちばんのイベントと言っても過言ではない。整骨院で施術を受けたのちに会場に行き、Tシャツとキャップを購入して、本は会場時間を待っている間に読んだのだった。今、この手のイベントはライブと呼ぶのが一般的なのだろうか。あまり、コンサートという言葉を聞かなくなった気がしているが、しかしライブって改めて考えるとなんのこっちゃとなるカタカナ英語である。

かくして、会場の中に入って、TOMOOの美声に聞き惚れたわけですが、ひとつ悔やまれるのは、上着を早いうちに脱いでなかったことだ。ポケットがあまり深くない上着だったために、脱いだ後から公演中にポケットの中身を知らぬ間に落とさないか、ということが気になって、途中の集中力を欠いてしまった。その後、トーク中にポケットの中をガサゴソして、カギやらスマホやらをバッグに移して、事なきを得たのだった。

25日

『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス・著)を読み終わった。
この本は『Butter』のあとにAudibleを聴きながら読み始めたのだったが、かなりあっという間に過ぎ去った平仮名ばかりの序盤は、Audibleがなければむしろ他の本よりかなり時間がかかっただろうと思う。というか、しばらく放置してしまいかねない。そう考えると、もはや、Audible様様というようになってきている。

この本は言わずと知れた名作だが、岡田斗司夫のYouTubeの切り抜きで改めて興味を持ってTSUTAYAだかBOOK OFFだかで買ったのが、3,4年前のことで、そもそもかなり長い間すでに放置していたのだ。SFはだいたいそうなることが多いが、やはり最初の数ページを繰って平仮名ばかりだったことが、手が伸びなかった理由だと思う。

そう言えば、この本を読んでいる間に、2月投開票の選挙が決定したり、立憲民主党と公明党が合流し、中道改革連合が爆誕したりした。この爆誕を契機に代表のおじさん(おじいさん?)2人が灰になっていれば、まだ推せただろう。

「きみは知能が高くなるにつれいろいろな問題をかかえることになるだろう、チャーリイ。きみの知的成長は感情的成長を追い越している。それからきみは進歩するにつれ、わたしに話したいことがたくさんでてくることに気がつくだろう。助けがほしいときはここに来ればいいということを覚えておいてもらいたい」

昨今の報道を見るに、知識や知性があることよりも、良くも悪くも感情の方が大事なんだということを痛切に感じる。まぁ、これは主に2月の話なんですけどね。しかし、どちらの方がより大切ということもない。どちらも大切であり、チャーリーの場合は皮肉にもそれぞれが成長していく過程でバランスを崩しているわけだけど、翻って昨今の日本社会は記憶や知性が部分的に欠落していく過程の中にあるように思う。

28日

『カウンセリングとは何か 変化するということ』(東畑開人・著)を読み終わった。
12月の後半から読んでいて、新書にしてはけっこう分厚いこともあり、最初はまったくスピードが上がらなかったが、1か月10冊の目標に向けてカレンダーに帳尻を合わせるように立て続けに読了している。先に挙げた政治関連のニュースもその間だったが、もうひとつのビッグニュースはレアル・マドリーの監督をシャビ・アロンソが解任されたこと。1月12日のことだった。

解任が表沙汰になってから分かったことだけど、エル・クラシコに勝利して勢いに乗ると思っていた矢先の11月初めに、選手たちに向かって「ここが保育園だなんて知らなかったぞ」とかなんとか言い放ったらしい。

レアルマドリーと言えば、ジダンやロナウド、ベッカムの時代に始まった銀河系軍団、つまりスター選手の集団であり、彼らによって他のビッグクラブとも一線を画するブランドを誇ってきたわけだが、そのプライドが足を引っ張っていて、その現状を変えるべく白羽の矢が立ったのがシャビ・アロンソだったと思っていたのに。

古い物語を終わらせること。古い自分を喪失すること。小さく死ぬこと。これが心にとって一番難しいことです。古い物語は心にこびりついていて、何度も何度も反復し続けます。
(中略)
これを終わらせるために、破局があり、そして大事な人との別れがある。

後任のアルベロアは、エムバペとビニシウスの両スター選手に阿るチーム作りをしており、このサッカーではおそらく思うような結果は得られないように思う。仮に今シーズン、何かしらの結果を手にしたとしても、その先があるとも思えない。成功よりも破局の方が数倍、あるいは数十倍も容易に想像できる。その時、次の別れは果たして、古い物語を終わらせることができるだろうか。

カウンセリングについては、もっと「〜の法則」とか「〜効果」みたいなコミュニケーションのウラ技的なものがあって、みたいなことをついつい想像してしまうわけですが、時間がかかる理由、時間をかけなければならない理由が実例を交えつつ、丹念に語られている1冊だった。

29日

『まず牛を球とします』(柞刈湯葉・著)と『アフリカから来たランナーたち』(泉秀一・著)を読み終わった。

前者はこの1か月のあいだ、主に通勤中の電車内で読んでいた。短編集なので、細切れの時間に開きやすかった。

聞いた話では最近の小学生は「牛」というと大豆の加工品を指すものだと思っているらしい。「饅頭」がもともと人身御供となった人間の頭部の代替品であったことを誰も覚えていないように、牛がもともと動物であったことを覚えている人間は徐々に減っている。

後者は主に入浴中やそのあとの就寝前までの時間に読んでいた。年末のうちに読んでいたら、箱根駅伝の見方は変わっただろうか。

商業化によって金が流れることで多くの世界チャンピオンが誕生し、その宣伝効果によって、スポンサーにまたお金が循環する。その仕組みの中で、ケニアが中長距離大国にのしあがり、たくさんのランナーが貧困から抜け出した。
しかし同時に、そうした成功の陰で、スポーツの根幹である公正性と、ランナーの肉体が蝕まれている。成績が振るわなければ容赦なく切り捨てられ、新たな選手に置き換えられる。キャンプから追い出されれば元の貧困生活に戻る。家族を養えなくなる。そんな切迫した状況に置かれた選手たちにとって禁止薬物は、悪魔の囁きのように魅力的に映ってしまうのだろう。
一時的にでも記録が向上すれば、お金を稼げる。スポンサーの目に留まる。家族に仕送りができる。たとえ後で発覚するリスクがあっても、貧しい彼らにとっては目先の生活の方が切実なのだ。皮肉なことに、ケニアを世界最強の中長距離大国に押し上げたランニングのビジネス化そのものが、世界最悪のドーピング大国を作り出してしまったとも言えるのである。

88年生まれのぼくは、人生の長い時間をバブル崩壊後の不景気の中で生きてきたわけだが、幸いにも幼少期から大きな災害や食糧難などには無縁だった。この先、数十年の間に肉や魚が食べられなくなり、貧困を実感することが増える可能性を思うと、勝手に鬱屈とした気分になるわけだが。

30日

『チーム・オルタナティブの冒険』(宇野常寛・著)を読み終わった。
この本は電子書籍で1,2年前に買って放置していたのだけど、12月と1月の仕事中の暇な時間に、トイレにこもったりして読んでいた。著者のエッセイや社会批評は好きだが、それらの過去に読んだ話がひとつの物語にまとめられている感じだろうか。あえて、この人が書くことの意味を考えると、それでよかったのかもしれないけれど、1冊の小説としてはなんとも言えない内容である。

さて、2月ももう終わろうとしているというのに、今さら1月の日記を書いている。というのも、これまで「なんでもない日常に短歌を拝借する日記」を書いてきたわけだが、しばらく日記を書いてないことやそもそも歌集を開く機会が減っていることもあり、もうこれを続けることは難しそうだと思って更新が遠のいていたからだ。たまに日記を書こうとしたときに、引用する短歌がない、となり、短歌がむしろ日記を書かない理由になってしまっている、というのもある。

一方で、Audibleとともに年末から始めた読書にまつわる習慣として、ブクログの登録がある。11月末頃に、それまで使っていたRakuten Reedeeが今年の3月でサービス終了することになったために、やむを得ず乗り換えたわけだ。なぜあえてマイナーなアプリを使っていたのか、今考えるとよく分からない。特に読書録などはつけてないものの、読みたい本としてYouTubeやPodcastで薦められた書籍をひたすら記録して、買うと「未読」を選び、読了後は削除していた。
つまるところ、Rakuten Reedeeは本選びの参考にして、同じ本を買わないようにするためにぼんやりと使っていたアプリだった。その辺りのアプリで管理するルールをブクログへの移行を機に改めて決めたこともあって、今後はブクログの「読み終わった日」を楔にして、日記をかいていこうと思い立ったわけだ。そういうわけで、2月の終わりを待とうかとも思ったが、善は急げ、とりあえず曖昧な記憶をもとに1月の日記を書いています。

2月分の更新は書く材料を予め用意して書こうと思う。とりあえず、各日付ごとに1000字程度の日記にまとめて、書くことを続けていきたい。

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