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「正義の教室」から正義の判断基準と監視社会を気持ちよく生きていく方法を考えた

今日は朝から「正義の教室」の読書会に参加してきました。

正義の3つの判断基準

日常生活で、何かしらの今後の方向性について話し合う際や対立が起きた時に何が正しいか議論される場面に出くわすと思います。

著者は正義は「平等」、「自由」、「宗教」の3つの判断基準で分けられると述べているのですが、議論の際、自分の考え方はどの基準に即したものなのか?議論で上がっている別の考え方はどの基準なのか?を考えてみたいと思います。

読書会ではこの3つの判断基準から、本で挙げられている次の場面の決断が正しかったと思うか意見をシェアしました。

休みの日の消防士が自分の娘を預けている保育園の火事に出くわす。発熱している自分の娘がいる救護室に行くか?30人の幼児がいる保育室に行くか?葛藤しながら結局娘を救う判断をする。

難しい判断ですよね。私はこの消防士が娘を救ったことは間違いではないと思います。やはり自分の家族を助けたいのは至極当然のように思われるからです。これは3つの判断基準では「自由」になると思います。
この物語の中で娘は助かったものの30人の幼児は亡くなり、この消防士は消防士を辞めざるを得なくなります。とても悲しいことですよね。。。。
読書会の中では迷うことに意味があるのではないかとの意見が出て、とても納得しました。
私がもし30人の幼児の1人の親だったとしたら、この消防士の行動を責めたくなる気持ちにもなるかもしれません。ただし、彼がこの場面に出くわしたのは休みの日で仕事としての業務ではなく、彼がいてもいなくても自分の子は助からなかったかもしれないこと、加えて彼の娘のところに行くまでの葛藤を知れば彼の行動はモヤモヤは残れど少しは理解できることのように思います。

何か事件が起きた際や判断がなされる際にはその意見が採用された理由だけでなく論点、それぞれの選択肢を比べた時に起きる葛藤(議論)をわかりやすく表現することが大事だなと思いました。

また何か対立が起こった時に相手側の考えを相手側の立場から見た視点で常に想像し、自分の立場と共通のWin-Winを見つけて妥協点を提案できる自分になりたいし、そうやって器を大きくしていくことで妥協点を見つけるスピードを速くして行きたいと改めて思いました。

監視社会で気持ちよく生きていくには?

また、この本の中では学校の生徒会で監視社会の象徴として「見守り君」の是非について語る場面があります。この学校ではいじめ対策のために「見守り君」というビデオがあちらこちらに設置されており、24時間インターネットで配信され誰でも見られるようになっています。

見守り君がいる学校の生徒はまさにコロナ下で監視されている私たちと重なって見えるとの意見がありなるほどそういう意見もあるんだなと思いました。
確かに今はSNSでなんでもすぐに拡散できる時代なので、川辺で大人数のバーベキューが行われていたりするとコロナ防止の観点からSNSで拡散されたりしていますね。

一方で私はあまり他人の目を気にして生活しているわけではなく、1人暮らしの自分が自分を守るためにコロナ下でどう楽しんで生活していくかを元に行動を決めたり、自分の大切な友達との関係を考えながらオンラインで話したりしています。

ただ他人の目が気になり苦しくなる方もいらっしゃるようでなるほどと思いつつ、他人の目を気にするのはある意味自分が社会とうまくやって行きたいことの現れだという意見もありました。
ここから考えると、他人といっても全人類に認められるのはある意味無理だと割り切ることは必要だと思います。自分が大切に思う人に対しては誇れる自分でありたいという想いで行動を決めていくのは素敵なことなんじゃないかと思ったりしました。

今日も楽しい読書会でした!




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