言葉が通じなくても、伝わるもの。
旅先で、忘れられない人がいます。
名前も、はっきりとは覚えていません。
交わした言葉も、ほとんどなかった。お互いの国の言葉が、まるで分からなかったから。
それでも——あの人とは、確かに「通じ合えた」と思うんです。
言葉が、ひとつも通じなかった
ある街で、僕は道に迷っていました。
地図を見ても分からない。スマホの電波も悪い。途方に暮れていたら、近くにいた地元の人が、声をかけてくれました。
でも、その人の言葉が、まったく分からない。
僕の言葉も、もちろん通じない。英語も、通じない。
普通なら、ここで「無理だ」と諦めるところです。
でも、その人は、諦めませんでした。
身振りで、方向を示してくれる。
僕が首をかしげると、別の言い方(身振り)を試してくれる。
最後には、「ついてこい」というように、自分で歩き出して、目的地まで連れていってくれました。
ひとことも、言葉は通じていない。
それなのに、その人の「助けたい」という気持ちは、痛いほど、伝わってきました。
言葉は、伝達手段のひとつにすぎない
その時、思ったんです。
僕たちは、「言葉が通じること」を、コミュニケーションの全部だと思いがちです。
でも、本当は——言葉なんて、たくさんある伝達手段の、ひとつにすぎない。
表情。
まなざし。
声のトーン。
ちょっとした仕草。
そして、相手を思う、その気持ち。
これらは、言葉がなくても、ちゃんと伝わる。
いや、むしろ——言葉がないからこそ、よけいに伝わることすら、あるんです。
言葉でごまかせない分、その人の本当の気持ちが、まっすぐに届く。
通じ合うのに、必要だったもの
あの人と、なぜ通じ合えたのか。
言葉ではありませんでした。
必要だったのは、「分かろうとする気持ち」と、「伝えようとする気持ち」。
ただ、それだけだった気がします。
分かろうとすれば、相手の表情や仕草から、たくさんのことが読み取れる。
伝えようとすれば、言葉がなくても、なんとか伝わる。
逆に言えば——
どれだけ同じ言葉を話していても、分かろうとしなければ、通じ合えない。伝えようとしなければ、伝わらない。
通じ合えるかどうかは、言葉の問題じゃない。心の問題なんだと、あの人が教えてくれました。
だから、僕は人を好きでいられる
言葉の通じない国を旅していても、僕が寂しくないのは、たぶん、これを知っているからです。
言葉が通じなくても、人とは、つながれる。
笑顔は、どこの国でも笑顔だし、優しさは、どこの国でも優しさだから。
国も、言葉も、肌の色も違う。
それでも、人の根っこにあるものは、そんなに変わらない。
——そう信じられることが、旅の、いちばんの宝物かもしれません。
あの人に、もう一度会うことは、たぶんないでしょう。
お礼も、ちゃんとは言えなかった。
でも、もし読んでいたら——伝えたい。
言葉は通じなかったけれど、あなたの優しさは、ちゃんと届いていました。今も、忘れていません。
ありがとう。
——また、次の街で。凪より。
