「たくさん」に疲れた私が、noteを「片手間」で続ける理由。
必要な人のもとへ届けばいい。
noteで投稿していて今はそう思う。
note投稿、初期の頃は
たくさんの人にみられたい…
一気に爆発的に人を集めたい…
もっと、たくさん、多くに、大量に、
目立ちたい…
そんな思いで、書いていた時があった。
たしかに多くの人からのスキは気持ちいい。
中毒性はある。
でも今は、多くに、大量に、と動きまわると
「続かない」。
長軸で考えた時に(自然とそうなったんだけど)
思考力や体力の持久性は限られている。
だからあるものをどう振り分けて行うのか、そして自分に過剰な負担がかかっていないか、
それらを考えながら取り組んでいく。
noteを書いていて
つい最近までは(今でもだが)
「極自分」にフォーカスして感情の吐き出しや内省ばかり書いていた。
人を集められるような内容じゃないが自分にとっては書きやすいテーマだったし、だからこそ続いた面もある。
でも一応は実社会やプライベートに即して導き出した内省や感情の吐き出しなので、それなりの思考力は使ったと思います。
ただ「軽やかさ」はないので重いかもしれません。
まぁでもそれも人生なので。
ということで続く形で自然とnote投稿をしてきたのですが、今現在はやっていて、少なくても
必要な人や共感してくれる人に届けばいいや、と思っています。
note人口も増えているとかいう情報もあるし、
その中で、
いつか、たまに1人だけでも届けばいいや。
と気軽な感じ今は投稿しています。
このnoteで、血眼になって
ビューは、
スキは、
たくさん、
もっともっと!!
と力みながら
やっても承認欲求地獄のループにハマるだけ。
でも、ごくごくたまにくる多くのスキは嬉しい(最近は全然ない。笑)
そこは素直に受け取っています。
でもでもそれは本当にたまにでいい。
毎回ホームランはこない。
狙わずに淡々と自分の形で進めておけばよい。
そして、1人でも「あっこの感じは読んでくれたぽい!共感してくれたかも!」という感じがあれば、全然満足できる。嬉しい。
そんな感じで喜怒哀楽の感情を経ながら、結果として今もnoteを続けている。
しかし、思考がぐるぐるまわるタイプには
noteはいいかもしれない。
すぐに何かになるものではないが、続けている内に何かを得ているし、
ビジネスや仕事でも直接的な利益ではないが、間接的な、シナジー的な効果は得ているように感じる。
具体的に言語化されていくような
取り組みの姿勢が変わるような
たくさんの内省と気付きを投稿したので
それが体現されているのかもしれません。
そして、ぐるぐるまわる思考が利益という形で表出されるという目標も持っていく。
続けていく理由の1つとして。
ただ、他のことと並行して行っていく。
力まないために。
言い方はあれかもだが
自分の生活や他のこととのバランスから「心地よい片手間(余白)ぐらいのスタンス」でnote投稿していく。
ありがとうございました!!
