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現代短歌の魅力

 村上天皇の女御の藤原芳子という人は、『古今和歌集』をすべて暗記していたという。何でも、①習字 ②琴の演奏(現代の琴=箏より難しいらしい)③『古今和歌集』の暗記、の三つを、「お妃候補としての教養」として、父から薦められていたらしい。
 村上天皇は、その噂を聞いて、芳子の元を訪れて、『古今和歌集』の暗記がどの程度か夜通し抜き打ちテストをしたが、すべて正解だったそうだ。

 私は、その話を知って、「大変そうだなあ」と思った。『古今和歌集』は二十巻で1111首ある。平安のお姫様も大変である。

 と、思ったものの、考えてみれば、現代の学生も大変である。たくさんの科目のいろんな事柄を暗記したり、習得しなければならない。その多くが、社会に出てからあんまり役に立たない事柄である。
 芳子の勉強は、大変そうではあるが、書道と音楽と国語である。科目は限られている。
 1111首は多いようだが、『百人一首』を11回覚えると思えば、案外いけるのかも知れない。

 そう思った私は、無謀にも『古今和歌集』の暗記を断行しようと思ったことがある。今から二十年ほど前のことだ。
 単語ノートに『古今和歌集』の歌を一首目から書いて、通勤途中にめくって覚えていた。

  巻第一 春歌上
  巻第二 春歌下

 までは頑張って覚えたが、

 巻第三 夏歌

の途中で挫折してしまった。150首くらいの所で限界が来た。

 そもそも、一族の命運をかけて幼少期から特訓を重ねたであろう藤原芳子と、伊達や酔狂で「覚えてみようかな〜」とヘラヘラ始めた私とでは、モチベーションが全然違うのだ。
 挫折の原因は「モチベーション」もあるが、とにかく、似たようなお行儀の良い歌がずらずら並んでいて「飽きた」というのもある。特に、「春歌下」なんかは桜の散る歌ばっかりである。和歌の歴史に多大なる影響を与えた素晴らしい歌集だとは思うのですが、覚えるのはしんどいです。

 それに比べると、現代の短歌は自由で面白い。『古今和歌集』などの歌とはまた違った魅力がある。
 先日の「彩ふ読書会8周年イベント」の「本のプレゼント交換会」で、私は、

穂村弘『ラインマーカーズ』(小学館)

を、いただいた。所収の短歌は、どれもとっても個性的である。少し紹介したい。

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

 この歌の「言いたいこと」は、下の句の怒涛のひらがな部分「だるいせつないこわいさみしい」である。上の句は、イメージを広げる働きをしているように感じる。だとしたら、

「深海で泳ぐ魚よ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」
とか、
「放課後の黒板消しよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」
とかと、どう違うのだろう。

やはり、広い広い広いサバンナで、捨ておかれた(一般的に考えて)人に嫌われる「うんこ」に自分のだるさ、せつなさ、こわさ、さみしさを重ねているのではないだろうか。「象のうんこ」なら、自分の気持ちをわかってもらえそうだな、と。

 最初は、「象肌」の温もりだったのが、サバンナでだんだん冷えていく「象のうんこ」。だんだん乾いていく「象のうんこ」。風に吹かれる「象のうんこ」。

 「象のうんこ」は雅やかな表現を大切にする『古今和歌集』には決して出てこない言葉である。
 もっとも『万葉集』には「くそ」の歌が一首だけだがあるので、もともと、「歌」は自由で気軽なものだったのかも知れない。

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ

 この歌を読んで、私も手近にあったお箸をくわえて「雪だ」と言ってみた。やはり「ゆひら」になる。頑張ったら「雪だ」と言えなくもないが、特に「だ」が難しい。

 「ゆ」「き」「だ」が、「ゆ」「ひ」「ら」になることで、雪がひらひら落ちてくる感じが出るし、とぼけたようなゆるい平和な感じが出る。

 私は最初、風邪をひいた彼女を見舞った彼氏の歌なのではないかと思った。熱を測っている最中に「雪だ」と騒ぐ彼女を見て、「元気になってきたな」と安心している感じが「雪のことかよ」という口調に表れているように感じる。
 次に、彼女は風邪ではなく、「基礎体温」を測っているのではないか? と思った。そうなると、二人は「妊活中」の夫婦で、より親密で日常的な空気感が出る。いずれにしても、微笑ましい風景である。

 他にも、面白い歌がたくさん載っている。大切に読んでいきたい本である。

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