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【短編小説】波が連れてきた 《シロクマ文芸部》


波の音が遠くで聞こえる。

海は嫌い。
どんどん波が重なって、大きくなって襲ってくる。
抗えないほどの力で引きずり込もうとするそれは、まるで1つの大きな生き物みたい。

「でもさあ、海に入ると気持ちいいよ?それに去年までは、波音も普通に泳いでたじゃん。」

そう言って、幼なじみの風香は私を海に連れ出そうとする。
この田舎で、私たちの主な遊び場は海か川か山だった。
最近の夏の暑さは異常で、風香が海に行きたがるのも当然だ。
それでも、私の答えは変わらない。
「海は、絶対嫌。」

結局、風香の意見を完全拒否することもできず、私たちは近くの川で遊ぶことにした。
そこなら、足をつける程度の深さだが、十分に涼しくなる。

二人で遊んでいると、クラスメイトの亮太と誠が自転車に乗って現れた。
「工藤と鳴海じゃん。何してんの?」
亮太が風香に話しかける。
「別に、川で遊んでただけよ。そっちは?」
「俺らも別に。暑いから。」
亮太と風香は、最近"イイ感じ"で、それは6年1組の全員が察していることだった。


「ねえ風香。私、喉が乾いちゃったから飲み物買ってくるね」
「あー、俺も着いていくよ。」
誠が話を合わせてくれた。
風香と亮太は、お互いをチラチラ見ながら何かゴニョニョ言っていたけど、私と誠は構わず出発した。

私が歩きなので、誠も自転車を置いて歩いてくれた。
近くの自販機までは5分ほどかかる。

「…なあ、お前は海に行ったか?」
誠が何気ない様子を装いながら聞いてきたのが分かった。
「ううん。…海は無理。」
「そうだよなあ、俺も近寄りたくねーもん。」
去年の夏、私と誠は海で同じものを見た。


5年生の時、私と誠は"付き合っていた"。クラスメイトも親も知らない。
人があまり来ない海岸で待ち合わせて、お喋りしたり、時々手を繋いだり。


あの日も、同じはずだった。
2人の時間が楽しくて、いつもより少しだけ帰りが遅くなったあの日。


日が落ち始めていた。
私たちは慌てて帰り支度をして、最後にふと海を見た。
「…ねぇ、あれ…」
誠も海を見る。


いつものちょっと茶色いけど、楽しくて、皆と遊んでいる海じゃなかった。


深く黒い波の間から、"誰か"が私たちを手招いていた。
いつもの波の音と違う、音が聞こえた。
音に合わせて、海の中の"誰か"が「こっちにおいで」と楽しげに言っている気がした。

満潮だった。
大きな黒い波が、"誰か"を飲み込む。
「あっ!」
私と誠は声を上げた。

いつの間にか私たちは波際まで近づいていて、波に足をすくわれたのだ。
暗くなった海に入ってはいけない。
この辺の子どもたちの常識なのに。

音は止まない。
顔をあげると、さっきの"誰か"は波と戯れるように楽しげに、沖の方にいた。

ゆらゆら揺れる"誰か"から、私は目が離せない。
その時、"誰か"は私を見た。
遠くて、顔も見えないのに、私は目が合った。

「おいで、おいで。一緒に遊ぼう」

知らない言葉。
知らない音。

顔は見えない。
でも呼ばれている。

私は、あの子の手をとらなくちゃ。

「おい!帰るぞ!!」
誠が、伸ばした私の腕を掴んで走り出してくれた。
そのおかげで、私は自分が海に進もうとしていたことに気がついた。

海に入ろうとしてた?
こんなに暗いのに?

一気に冷や汗が出る。
それなのに私は、海を振り返ってしまった。
"誰か"はもう手招いていない。
遠くてもう姿は見えないはずなのに、私は"誰か"が魚の様な体を翻して、暗闇に消えていくのを見た気がした。


あれ以来、私と誠は海岸で会うのを止めた。何となく、上手く話せなくなって、私達は自然消滅したんだと思う。


だから、海でのことを話すのは、今日が初めてだった。

「ちょっと調べたんだけどさ、あれってセイレーンってやつだったのかな」
ギリシャ神話に登場する、歌で惑わせて人を溺れさせる魔物。

誠は顎を触って考え込む。
変わらない。
誠の癖だ。

「そんな綺麗なものじゃないと思う。」
誠は、1つずつ考えながら話す。
「俺、あの時の"あれ"、黒くて怖い感じがしたんだ。しかも、お前がどんどん海に近寄っていくから。」
「えっ?私は音が聞こえて、気がついたら海に近づいてて…」
「音?」
誠が首を傾げる。
「誠も聞こえたでしょ?歌みたいな、波の音とは違う音が。」

困惑した表情で誠は続ける。

「俺は、それ聞いてないよ。黒い何かが見えて、お前が近づいていって、だから何回も声掛けて引っ張って…」

私の記憶と誠の記憶が違っている。

あの日、大きな真っ黒い生き物の中で私を呼んでいた"誰か"。
あれは、一体なんだったのだろう。

「爺ちゃんが言ってたことだけど、ああいうのは波が連れてくるんだって。」
誠が遠くを見て言う。
「海の深いところは寂しいから。時々、人を呼ぶんだってさ。」
「随分、ロマンチックなこと言うんだね。」
「ちげーよ。ロマンチックなんじゃなくて、怖い話。」
誠は真剣な顔でこっちを見た。
「やっぱり、波の音の"波音"だから、選ばれたのかな。」
久しぶりに、誠が私の名前を呼んだ。

「波音、海は怖いよな。」
「うん。怖いよね。」

私たちは、どちらともなく手を繋いだ。

「そうだ、そろそろ飲み物、買わなくちゃね。風香たちが待ってる。」


遠くで、波の音が聞こえる。

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