祖父との思い出①
昨日は終戦記念日、そして今日までお盆なのでいつもは日曜日に投稿しないが、特別に一つ記事を
私は小さい頃からよく祖父の家に預けられていた
樺太生まれであった祖父から樺太での生活や
戦争の事などをよく聞かされたものだった
樺太にいた当時の祖父はおそらく
10代後半くらいの年齢だったと思われる
樺太の蘭泊というところに生まれたという祖父
当時の樺太近海は豊かな漁場でニシンなどが
毎年のように豊漁だったのだとか
身欠きニシンは晩年も好物だった
10人兄弟に生まれた祖父は早くから
国鉄に勤めており、機関士として働いていたらしい
その頃は樺太では真岡という街が栄えており
祖父もそこで働いていたそうな
そんななか時代は第二次世界大戦が始まり
樺太にも戦火が
艦砲射撃や敵兵の侵略から逃れるため
引揚船で次々と本土(北海道)に住民が
引揚げていく中、憲兵に目をつけられた祖父は
(自宅で飼っていた馬が軍用馬になり、そのせいではないかと推測していた)
しばらくの間樺太に抑留されることとなる
鉄道乗りであった祖父はロシア兵を乗せ
SLを走らせることもあったらしい
樺太の環境は厳しかったらしい。
食物は足りず、夜勤では寝ずの番もあったらしい
(居眠りすると罰金があり給料は実質没収されていたらしい)
空腹な祖父は露助(ロシア人:祖父の表現ママ)から
こっそり黒パンなどをもらっていたらしい
身体が小さかった祖父は露助から
「パパママはどうした?」と聞かれ
「どちらも戦争で死んだ」(本当は生きている)と
いうと祖父を哀れんだ露助からパンなどの
食物を恵んでもらって凌いだらしい
よく祖父はロシア人の事を
「ロシアという国は恐ろしい国だが、露助は人がいい。小さい頃は本当に良くしてもらった」と回想していた
開戦後の話では同僚が銃殺された話
砲弾の雨が降る中を走って逃げた話
死体を砂浜に埋めたのだが、我が子を探す親に
せがまれて、砂浜の死体を掘り返して運び出し
運んでいる途中に頭だけ取れた話
そのお礼におにぎりをもらったが、
死体を触った手で食べるのは気が引けた為
海水で洗って食べた話
食料の配給の時にはやっとの思いで掴んだ米を
大人が奪い取っていった話
(しかも警察や消防の重役などだったのだとか)
など、残酷なエピソードはあったのだが
それもまた少年期〜青年期の苦労話としての
意味合いが強く
語り口はそこまで重いものではなかった
私が25歳を超えた頃だったか
ある日ポツリと祖父が言ったのは
「戦争が起きても、すぐに兵隊に取られることはないな」と
きっと10代から戦争に巻き込まれた身として
孫を案じていたのだろう
また「戦争はろくなものじゃない」とも
自分は戦争経験者の生の声を聞けた最後の世代なのだろう
10代で戦争を体験した祖父のエピソードを直接聞けたのは貴重な経験だった
昨今、世界各地で戦争や紛争がおきており
日本でも軍備拡張や防衛費の問題、憲法9条改正の話題などが話題に上がっている
理屈では開戦がやむを得ない状況があるのかも
知れないしそれは理解できる
それでも戦争がない時代がずっと続いていくことを私は強く望んでいる
