地下アイドルという海から「回遊魚」が消えた日──音楽好きはどこへ行ったのか
2010年代前半から中盤にかけての新宿LOFTや下北沢SHELTER、あるいは渋谷WWWや恵比寿LIQUIDROOMの光景を思い出すと、今の地下アイドル現場とは明らかに違う「匂い」がありました。
フロアに溢れ返り、開演を今か今かと待ちわびていたのは、いわゆるステレオタイプな「アイドルオタク」だけではありません。サブカルチャーをこじらせたようなバンドマン崩れ、ヴィレッジヴァンガードの黄色い袋を提げたサブカルボーイ、そしてディスクユニオンのショッパーを無造作に足元に置くような、筋金入りの「音楽ディガー(発掘者)」たちが、そこに密集していたのです。
BiSが非常階段とのコラボユニット「BiS階段」で豚の頭や濡れた下着をフロアに投げ込み、コショージメグミのダイブでフロアが文字通りカオスに陥っていたあの時代。BELLRING少女ハートからThere There Theresへと続く、サイケデリックでオルタナティブ、そしてどこか退廃的な熱狂。Maison book girlが変拍子と現代音楽的なアプローチでアイドルポップの概念を書き換え、sora tob sakanaがポストロックの鋭角なギターサウンドでフロアを揺らしていたあの頃。
当時の彼らのライブには、間違いなく「今、東京で一番ヤバい音楽が鳴っているのは、インディーズバンド界隈ではなく地下アイドル現場だ」という確信めいた空気が漂っていました。
私自身も、そんな空気に当てられて足繁くライブハウスに通い詰めた一人です。かつてはUSインディーや国内のオルタナティヴ・ロック、あるいはアンダーグラウンドなクラブミュージックを追いかけていた連中が、ある日を境に示し合わせたかのようにアイドルのフロアで顔を合わせるようになったのです。
彼らはなぜ、バンドのライブハウスから地下アイドルの現場へと大挙して押し寄せたのか。 そして今、彼らはどこへ消えてしまったのか。
この問いを紐解くことは、現在の地下アイドルシーンが抱える「スカスカのフロア」という病理の正体を暴くことと同義です。
回遊魚の生態:彼らは何を求めて回遊していたのか
彼らのような「音楽好き」、アイドル界隈で言うところの「楽曲派」の生態を理解するには、彼らをある種の「回遊魚」だと定義するのが一番しっくりきます。
回遊魚は、特定のグループへの盲目的な「忠誠心」や、メンバー個人のパーソナリティへの「疑似恋愛的な愛情」だけで動いているわけではありません。彼らの行動原理は極めてシンプルかつ貪欲です。
「今、どこに行けば一番面白い音が鳴っているか」
ただそれだけを求めて、ジャンルという海流を乗り越えて泳ぎ続けているのです。
2010年代、バンドシーンがどこか閉塞感に包まれ、「四つ打ちのBPM130前後で、サビでタオルを回すギターロック」ばかりがフェスで量産されていた時期がありました。予定調和に飽き飽きしていた音楽好きにとって、当時の地下アイドル界隈はまさにミクスチャーの極みであり、未開のフロンティアだったのです。
シューゲイザー、ポストハードコア、ドラムンベース、エレクトロニカ、さらにはアバンギャルドなノイズミュージックまで。ありとあらゆるジャンルの「一番尖った部分」だけが抽出され、未完成な少女たちの危ういパフォーマンスと結合してステージから放たれていました。 それを作っていたクリエイターや運営陣もまた、かつてバンドマンやDJとして酸いも甘いも噛み分けた人間が多く、音楽好きの急所を突く術を知り尽くした職人たちでした。
だからこそ、音楽好きたちにとって、バンドの現場から地下アイドルの現場への移動は「ジャンル変え」や「アイドルへの寝返り」などでは決してなかったのです。豊かな栄養分(=刺激的な音楽)を求めて泳いできた回遊魚が、偶然その時期に一番良質な餌が豊富だった「地下アイドルという海域」に辿り着き、しばらくそこに留まっていただけなのです。
彼らが求めていた「餌」の正体は明確でした。
内臓を揺らし、脳を麻痺させるような「狂った音響(低音の鳴りや極端なミックス)」
音楽的文脈を深読みさせ、オタク同士で語り合いたくなる「楽曲の圧倒的なクオリティとリファレンスの妙」
「今日はどんなとんでもないモノが見られるだろうか」という「予測不能性」
これら三つの餌が豊かに揃っていたからこそ、音楽好きという回遊魚たちは、地下アイドルという海に長期間定着し、フロアに活気ある生態系を作り上げていたのです。
海が変わった──餌がなくなった4つの環境要因
しかし2020年代に入り、かつてあのフロアで酒を片手に肩をぶつけ合った回遊魚たちの姿は見事に消え失せました。今やフロアを見渡しても、レコ屋のショッパーを持っている人間など皆無です。彼らは一体どこへ行ったのか。
答えは残酷なほどシンプルです。「海の水質が変わり、彼らの餌が完全に消滅したから」です。回遊魚たちは、ただ別の豊かな海へと泳ぎ去っていったのです。
その環境変化=海域の死をもたらした要因を列挙します。
① 持ち時間20分の固定化と対バンイベントの濫造
現在の地下アイドルの主戦場は、何十組ものグループが朝から晩まで次々と出演する、フェス型・サーキット型の対バンイベントです。そこでの持ち時間は多くの場合「15分〜20分」。この短い尺の中で初見の客を「沸かせる」ために、グループはBPMの速い、コール&レスポンスがしやすい、いわゆる「沸き曲」ばかりを詰め込むようになります。
20分では、ライブの起承転結も、世界観の構築も不可能です。結果として、どのグループも同じような金太郎飴的なセットリストになり、音楽好きが愛した「予測不能な物語」や「没入感」は完全に排除されてしまいました。
② 転換即物販というシステムの弊害
ライブが終わった瞬間に、隣のブースや別会場で「はい、〇〇ちゃん列並んでー!」とチェキ列が形成される。そこには、圧倒的な音楽体験のあとに訪れる「あの曲ヤバかったな……」と余韻に浸る隙間が一切ありません。
平行物販のシステムは運営の経済的合理性から生まれたものですが、これによってライブアクトは「チェキ会に付属する前座のBGM」へと成り下がってしまいました。音楽体験としての物語が、見事に切断されてしまったのです。
③ 音響への無関心と軽視
数え切れないほどのグループが数分単位で転換していく中で、入念なリハーサルなど到底不可能です。マイクのレベルもオケのバランスも、グループごとの世界観に合わせて調整されることはなく、ただ漫然と爆音で音源が流されるだけ。
かつて回遊魚たちが求めた「PAがバチバチに作り込んだ狂った低音」や「バンドセットでのヒリヒリするような生音のぶつかり合い」は消え去り、ただ耳をつんざくようなペラペラの高音と、割れたマイクの音声だけがフロアに響きます。純粋に「音」を聴きに来ている層にとって、これは単なる苦痛でしかありません。
④ 予測不能性の喪失
回遊魚が求めた餌の三つ目、「今日はどんなとんでもないモノが見られるだろうか」という予測不能性は、ここまで挙げた要因の帰結として静かに息絶えました。
短尺で新規を確実に沸かせるには、「いつもの沸く曲」を「いつもの順番」で出すのが最も確実で、レア曲の解禁も、危険な繋ぎも、場を壊しかねない実験も、すべてリスクにしかなりません。「今日はあのレア曲をやるかもしれない」「とんでもない繋ぎをしてくるかもしれない」というあのヒリつく期待は、確実性を優先する運営設計の前に駆逐されました。
かつてフロアに漂っていた「何が起きるか分からない」という緊張感──回遊魚を最も強く惹きつけていた餌──が消えたことで、ライブは"観る前から結末の分かっているもの"へと変わり果てたのです。
こうして、音響、尺、そして予測不能性といった「音楽好きの餌」は、効率化と集金システムの名の下に、一つ、また一つと海から失われていきました。
回遊魚がいない海で起きること:内海の「富栄養化」
回遊魚が来なくなった海は、どうなるのか。 新しい水(新規の音楽好きや純粋なリスナー)が流入しなくなった海は、徐々に淀み、やがて完全に「内海」へと変貌します。
一つの生態系として最も恐ろしいのは、新規の流入が止まることで、現場にいる既存の「太客」の濃度だけが異常に上がっていく現象です。
音楽そのものではなく、「チェキを何十枚撮るか」「いかに爆レスをもらうか」「最前列の管理」「運営やメンバーとどれだけ私的な(あるいは特権的な)繋がりを持てるか」に価値を見出す層だけが、フロアの主役となり、大きな顔をするようになります。
これは水質汚濁における「富栄養化(ふえいようか)」のプロセスに酷似しています。
閉鎖的な水域に窒素やリンなどの栄養塩が過剰に蓄積し、特定のプランクトンだけが異常増殖する。やがて赤潮が発生し、水中の酸素が根こそぎ奪われ、多様な生物が呼吸すらできなくなる。
新規客が息継ぎのできない排他的な空気とは、まさにこの酸欠状態のことだ。
現場の空気は極めて閉鎖的で、淀み切ったものになっていきます。現在の地下アイドル現場で見られる「スカスカのフロア」は、単純に「アイドルに魅力がない」ことや、「動員力がない」ことだけを表すものではありません。生態系が完全に破壊され、多様な客層を維持できなくなった結果なのです。
そして、この富栄養化した内海では何が起きるか。身内だけで通用する独自ルールの横行、最前管理などの排他的な行為、新規客を冷遇(あるいは無意識に排除)する身内ノリの肥大化です。
それはまるで、外の世界から隔絶され、独自の掟と異様な序列に縛られた「因習村」のようではないでしょうか。回遊魚が消えた閉鎖空間は、必然的にムラ社会化していく運命にあるのです。
結論:動員施策では魚は戻らない
現在の地下アイドル運営の多くは、フロアがスカスカであることを嘆き、日夜必死に「動員施策」を打とうとしています。
「ご新規様チェキ1枚無料キャンペーン」
「友達紹介特典で囲みチェキ」
「SNSでのバズを狙ったショート動画の毎日投稿」
「炎天下でのビラ配り」
しかし、彼らがやっていることはすべて「網」の話です。 網の目を細かくし、網を大きく広げ、丈夫な素材で網を作り、必死に海へ投げ込めば、いつか魚がたくさん獲れると信じ込んでいる。
だが、残酷な現実を突きつけましょう。
そもそも、今のこの海には、魚がいないのだ。
海が死んでいて、回遊魚たちが寄り付かなくなっているのに、網の性能や投げ方ばかりを議論しても全く意味がありません。チラシを撒こうがTikTokで毎日踊ろうが、対バン営業をかけまくろうが、現場の「水質」が変わらない限り、音楽好きという巨大な群れが戻ってくることは二度とないのです。
死んだ海を再生させるために必要なのは、小手先の網(動員施策)を増やすことではありません。海の水質そのものを改善することです。
それはすなわち、ライブハウスの音響設備やPAへの執念を取り戻すこと。20分の細切れではなく、アーティストとしての世界観を提示し、物語を紡げる長尺の単独公演(または少数の濃厚なツーマン)を打つこと。そして、予定調和を破壊するような「予測不能な楽曲の供給」を再開することです。
彼ら「回遊魚」は、決して音楽に飽きたわけではありません。今もどこかの海(それこそ、ヒップホップの現場や、新たな形のバンドシーン、あるいはボーカロイドの祭典など)で、魂を震わせるような「面白い音」を求めて泳ぎ続けています。
問題は、地下アイドルという海が、彼らに提供できる餌を自ら捨て去り、効率とチェキという名の集金システムに最適化しすぎてしまったことにあります。
生態系を失った内海が、いかにして逃げ場のない「因習村」へと変貌していくのか。 続く後編では、回遊魚が消えたあとのフロアに残された「濃縮された人間模様」と、それが引き起こすコミュニティの崩壊について紐解いていきたい。
