#16 新シリーズ 50歳からはじめる、思考を言葉にする技術 第16章|忙しさの正体──人はなぜ、考えられなくなるのか
最近、 よく思う。
現代人は、 忙しすぎる。
もちろん、 昔も大変だった。
ただ今は少し違う。
“頭の中”が、忙しい。
仕事。
連絡。
メール。
SNS。
動画。
ニュース。
通知。
情報。
気づけば、 一日が終わっている。
だが最近、 少し怖くなることがある。
人は、 忙しくなると、 “考えなくなる”。
正確には、 “考える余白を失う”。
本来、人間には、 立ち止まる時間が必要だと思う。
今日、自分はどうだったのか。
なぜ、あの言葉に傷ついたのか。
なぜ、あの人に腹が立ったのか。
自分は、 何を求めているのか。
そうした問いを、 静かに並べる時間。
だが現代は、その時間がすぐに埋まっていく。
沈黙が、消えていく。
昔は、 テレビの話があった。
「昨日見た?」
それだけで会話が始まった。
職場も学校も、 ある程度の“共通の世界”があった。
だが今は違う。
それぞれが、 別の世界を見ている。
別の動画。
別の情報。
別の時間。
便利にはなった。
だがその代わりに、
“同じものを見ている感覚”は、薄くなった。
その結果かもしれない。
人は、言葉を失いはじめた。
考えを整理できず、 フリーズしてしまう。
私は現場で、 そういう姿を見てきた。
忙しさ。
失敗への恐怖。
怒られた記憶。
正解を求められ続ける空気。
その中で、人は少しずつ黙っていく。
報連相が止まる。
思考が止まる。
そして最後は、
“何も感じないようにする”。
それは怠慢ではない。
限界を超えた防御だと思う。
だから私は最近、 “余白”を大事にしたいと思っている。
走り続けるだけでは、人は壊れる。
ただし、現実には大きな余白はない。
だから私は思う。
小さな余白でいい。
通勤の数分。
車の中。
トイレの個室。
ランニングの途中。
ほんのわずかでいい。
スマホを閉じて、自分に戻る時間。
私はランニングをする。
汗をかきながら、一人で考える。
すると、少しずつ整理されていく。
苦しさ。
違和感。
怒り。
悲しみ。
それらが、 言葉になっていく。
思考とは、 静かな時間の中でしか育たないのかもしれない。
だから私は思う。
これからの時代ほど、
「思考を言葉にする力」が必要になる。
効率だけでは、人は生きられない。
人間には、余白が必要だ。
そしてその余白の中で、人はようやく気づく。
「自分は何者なのか」と。
第一章はこちら
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