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仕事がヤバいのに、今日もnoteを書いている

8月、私はかなりnoteにハマっていました。

記事を書いて、コメントをいただいて、また誰かの記事を読みに行って。

楽しいんですよね。

で、そのぶん仕事はというと、

まあ、ちょっとサボっていました(笑)。

いや、「サボっていました」で笑っている場合ではない。

もちろん、まったく仕事をしていなかったわけではありません。

でも、

「まあ、まだ間に合うだろう」

と思っていたんです。

私はもともと初動が遅い。

締切が近づいてから、

「さて、そろそろ本気出すか」

となるタイプです。

そして今回も、いつものように本気を出そうとした。

ところが。

カレンダーをちゃんと見てみたら、

締切直前の数日間が、ほとんど埋まっている。

……え?

ここでようやく、仕事の分量と残された時間が釣り合っていないことに気づきました。

遅い。

気づくのが遅い(笑)。

ちょっと怖くなりました。

少しパニックにもなりました。

「まずい、仕事しなきゃ」

と思う。

でも、その一方で、

noteも書きたい。

ここが自分でもよく分からないんです。

仕事が遅れている原因の一部は、noteに時間を使いすぎたことでもある。

だったら、しばらくnoteを休めばいい。

ものすごく単純な話です。

なのに、

「今日の記事、どうしよう」

と考えている自分がいる。

なんなんでしょうね(笑)。

連続投稿を止めたくないのか。

noteでつながっている人たちと離れたくないのか。

書くこと自体が楽しいのか。

いつの間にか「毎日書く」が義務になっているのか。

それとも、ただのわがままなのか。

自分でも、よく分かりません。

そしてもう一つ、最近ちょっと気になっていることがあります。

時間がない日は、どうしても軽い記事になります。

昨日あったこと。

誰かとの会話。

ちょっと笑ったこと。

「あ、これ書けそう」と思った小さな出来事。

そういうものなら、短い時間でも記事にできます。

でも、私は普段、

「感情を言語化する」

ということを意識して書いています。

孤独だったら、孤独を掘る。

嫉妬したら、なぜ嫉妬したのかを掘る。

自分でもよく分からない感情を、できるだけ言葉にしてみる。

そういう記事を書きたいと思っています。

だから、軽い記事が続くと少し不安になります。

noteについての本や記事を読むと、

「テーマに一貫性を持たせた方がいい」

と書かれていることがあります。

読者は、

「この人の記事を読むと、こういうものが読める」

という期待を持って来てくれる。

その期待と違う記事ばかり出していたら、

「最近ちょっと違うな」

と思われて、読みに来てもらえなくなるんじゃないか。

そんなことを考えます。

だから最初は、

「忙しいときにnoteを書く方法」

を記事にしようと思っていました。

ストック記事を作っておけばいいのか。

短時間で書けるテーマをいくつか用意しておけばいいのか。

今感じていることをチャッピーに話して、そこから記事にすればいいのか。

でも、チャッピーと話しているうちに、少し違うことに気づきました。

私が本当に書きたかったのは、

忙しいときの記事の書き方ではなく、
仕事がヤバいのに、それでもnoteを書きたい自分の気持ち

だったのかもしれません。

そう考えると、

「あれ? これも感情の言語化じゃない?」

と思いました。

毎回、重たい感情を深く掘らなくてもいいのかもしれない。

日常の中で、

ちょっと心が動いたところを拾う。

それなら、軽い記事でも、自分が書きたいものから大きく外れてはいない気がします。

それに私は、真面目な内容の中に、ちょっと笑えるところがある記事が好きです。

……というところまでチャッピーと話して、

今日の記事ができました。

ちなみに、

私は今も仕事がかなりヤバいです。

忙しいときにどうやってnoteを書くかを考えて、

そのことをnoteの記事にしている。

でも、まず仕事しろよ。

という話ではあるんですが(笑)。

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