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できれば家から一歩も出ずに、フランス人になりたい

厄年の間だけ「自分のことをフランス人だと思い込んで生活をする」ということをしている。

きっかけは

"厄年って日本の概念だから、自分のことをスペイン人だと思って過ごせば厄年って回避できると思う"

という、大学時代の友人、ショーコの言葉だった。

その言葉を聞いたとき、私は手に持っていた知多ハイボールを落っことしそうになるくらいの衝撃を受けた。
ショーコは昔から、たまにこうして迷言にして名言のようなことを言う。


私は、ずっと昔からフランス人に憧れている。
きっかけは、中学生の時に雑誌で見たジェーン・バーキン。
当時、”C’est la vie!”(これぞ人生!)という言葉なんてもちろん知らなかったけれど、誌面から放たれる圧倒的なエネルギーは、まさに”C’est la vie”そのものだった。

30代半ばまでには、自分で自分にバーキンを買える人になる。
そして、それが似合う女性になる。

そう決めて大学はフランス文学科に進んだ。
そこまではよかったけれど、いかんせん、東京には誘惑が多すぎた。

優秀なクラスメイトが交換留学生としてフランスに行く中、私は授業をサボってカフェに入り浸り、バイトしたお金で行ったのは、飲み会と牛タンねぎしと、グアムとハワイ。

単位が危うくなればなるほどフランスを毛嫌いするようになり、サルコジ大統領(当時)がテレビに映れば即座にチャンネルを変えた。

そしてかつての憧れを、思い出という便利な名で封印したのだった。

…でも、あれでよかったのかな?

大人になればなるほど、そう思うことは増える。

20代の頃は呑気に
「想像してた20代ってもっと大人だった〜!」
などと笑っていても、老いの足音がリアルに聞こえてくる30代半ばになってくると、
「私はこのまま、本当に"ただのおばさん"になっていくのかな」
と立ちすくむ瞬間が、1週間に1度くらいある。

そんなのは嫌だな。

オバさんはオバさんでも、素敵で、胸を張ってるオバさんになりたいな。

そう思った時、私の心の奥底で、かつての憧れがきらりと光った。

…それって、フランスのマダムじゃん。

こんな感じで、私の「目指せフランス人計画」はかなり唐突に、幕を開けたのだった。

洋服編🇫🇷やっぱり服は10着にする

とはいえ、
「それじゃ、サクッとフランスに出向いてフランス人研究してきます!」
とはいかないのが生活である。
そんな財力もないし、子供は小さいし、最近は飛行機嫌いを拗らせて、沖縄がギリギリのラインなのだ。

できれば、家から出ることなくフランス人を実現したい。
そう考えた私が最初に手を伸ばしたのは、書籍『フランス人は10着しか服を持たない』だった。

道ゆく人に「フランス人は…」と問いかければ、かなりの高確率で「10着しか服を持たない!」という掛け合いが出来そうなほど有名なこの本。

読んでみると驚くことに、著者はフランス人ではなくカリフォルニア出身のアメリカ人だし、"服を10着にする件"について書かれているのはなんと全体の1/4にも満たないほどで、食生活から振る舞いかたまで、フランスでの生活全般について書かれているのだった。

わかっていたけれど、やはり服を10着にするだけでは、フランス人にはなれなそうである。
でも、やっぱりこの本を手に取ったからには、まずは服を10着にするところからフランス人になりたい。
私は、息子のお昼寝時間を活用し、クローゼットの大幅見直しを敢行した。

かつての私のクローゼットは上段からバッグが雪崩れ落ちそうになっていて、初夏になってもまだ冬用コートやニットがかかっており、クローゼットに入りきらないダウンなどが別の押し入れに多分……入っているはず……………というような状態だった。

正直奥のほうに何を入れたかなんて覚えておらず、よく使うものばかりが手前の方でくるくるとローテーションしている。
最近は息子がクローゼットを開けていたずらしていても、「まあそんなに変わらないしいいか」と見て見ぬふりをしていた。

そして、フランス人を目指す私の現在のクローゼットは、こんな感じである。

デニムはどうしても捨てられなくて、「10着の中にカウントしない」というチートを発動したものの、夏服も冬服も一つのクローゼットにまとめることができたのは、快挙と言ってよい。

冬服はカバーをかけて隅に置く。
衣替えをしなくてよいと思うと、何かの呪縛から
解き放たれたような気持ちに


『フランス人は10着しか服を持たない』によれば、フランス人的クローゼットにするには、

①今のライフスタイルにあった服
②且つ、「自分がどう見られたいか」をしっかりと表現できる服

を選ぶことが重要とのことだった。

また、参考に「フランス人は本当に10着しか服を持っていないのか?」という検証YouTubeもいくつかみたところ、フランスの人々は必ずしも洋服の数が10着というわけではないものの、どの人もきまって

「夏服は⚪︎枚で、冬服は⚪︎枚くらい持っています」

と、的確に自分の持つ洋服を把握していることが印象的だった。

クローゼットを整理するにあたって、「へえ〜こんな服…あったんだ〜…」常習犯の私はまず、自分の持っている服をiPhoneのメモに全て書き出した。

そしてInstagramやPinterestなどに保存していた写真を使って自分の好みを言語化し、そのどれにも該当しない服は手放すことに決めた。

好きなものや持ち物を可視化することは、
「明らかにボトムスのほうが充実している」
「流行とは逆だけど、冬のスキニーは結構好き」
など、今まで意識していなかったことを教えてくれたし、「よく着る服が好きな服、では決してない」という、薄々気づいてはいたけれど、目を背けたかった真実を私に突きつけた。

よく着る服にはそれなりに愛着が湧いているもので、その服を捨てることには戸惑いがあった。

でも、今のクローゼットは今までより格段に使いやすく、開くたびにテンションが上がり、今まで大切にするあまり登板機会が少なかった「すごく好きな服」を、積極的に使えるようになった。

私は「目指せフランス人計画」の初歩としてクローゼットを見直す事で、素敵になることは、思っていたより勇気と決断力が必要なのだと知った。

自分の好み研究ノートの一部


食事編🇫🇷キッチンを城にする


『フランス人は10着しか服を持たない』には大きくわけて3つの章があるのだが、なんと最初の章は、ファッションでも生き方でもなく、まるまる食について書かれている。

カリフォルニア出身の著者は、食(とくに家で食べる料理)に情熱を注ぐフランス人の生き方に大変感激しており、だからこそ、"食"が、この本のオープニングを飾ったのだろう。
たしかに、自分も含めた家族の食に、愛と責任を持つことは素敵だ。


私も毎日料理をしているが、キッチンにいる時間が好きか嫌いかと問われれば、どちらかというと嫌い。

お母さんあるあるなのかもしれないけれど、朝昼晩と食事を作っていると、なんだかもう1日中キッチンにいるような錯覚に陥るし、キッチンでは基本、1人孤独にあせあせしていることが多く、精神的に、あまりポジティブになれないのだ。
怒っている時、私は大体キッチンにいる気がする。いや、やっぱり1日中キッチンにいるから、そうなるのかもしれないけれど。


私はこれを機に「食に愛と情熱を注げるほどポジティブな気持ちでキッチンに立つ」ことを目標とし、そのためにもっとキッチンに、利便性とエンタメ性を持たせてみよう、と考えた。
そういえば以前雑誌で見たフランスのキッチンは、カラフルで「好き」が詰め込まれていて、とてもかわいかった。

我が家のキッチンの入り口にはベビーゲートが設置されているため、いつからか息子が触るとまずいものはとりあえずキッチンに避難させるようになってしまい、なんだかいつも雑然としていた。

それを逆手にとってしまえばよいのでは??

息子はいたずらできず、1番長く滞在するのは私。
料理を楽しむステップ0として、私はまず「キッチンを楽しく」することに決めた。

冷蔵庫に実用的なものや書類を貼るのをやめ、
行き場を失っていたポストカードやステッカーを
配置。家の中を転々としていたキウイブラザーズも、
調味料棚を定位置に


結果は大成功で、今まで持て余してしまっていたポストカードやマグネットを活用できるだけでなく、エコバッグなど日々使うものを見せる収納として飾ったことで、欲しい時に「あれ、どこだっけ…」となることがぐっと減った。

引き出しの中で哀愁のある微笑みを浮かべていたひょうちゃん(崎陽軒のシウマイ弁当に入っている醤油差し)も裏に磁石をつけることでようやく表舞台に出してやることができ、悲しげに見えた表情が、今では手をあわせて感激しているように見えるから不思議である。

そして何より楽しく嬉しいのは、「使い道がわからないけど欲しいもの」を躊躇なく買えるようになったこと。

使い道がわからないなら、キッチンに飾れば良いじゃない。

今やキッチンは、私の小さな城である。

参考にした『&Paris』の中の1ページ

食事編🇫🇷おまけ

キッチンを自分の城だと思って扱うと、キッチンが散らかるということがかなり少なくなる。

すると料理や片付けの効率があがり、せっかく食べるなら美味しいものを、より身体に良いものを、と、身体と心をおもんぱかる余裕が生まれた。

そして、美味しいもの、身体に良いものを探していると、日本の食文化がいかに健康的で美味しいのか、ということを実感する。
海のものも山のものも豊富で、発酵食品も、本当に選択肢が多いのだ。

フランスに憧れて日本の良さを再発見してしまうのはいかがなものかと思ってしまわなくもないが、本書にも、フランスのマダムは自国の料理を愛している、という記述があったので、私も日本の食文化を大切に、自分と家族の健康と幸せを育みたい。

地元・静岡の丸八加藤商店さんのしらす。
今までは実家に帰った時のお楽しみにしていたが、
あまりに美味しく幸せなので通販で購入。
毎日のように使うゴマも、お気に入りを見つけた
寝る前に小腹を空かせがちな私の強い味方、甘酒


香り編🇫🇷かぐわしい日々

生まれ変わったキッチンに立ちながら、Audibleで、仏政府公認パリガイドRyokoさんの本「フランス人は生きる喜びを知っている」に耳を傾けていると、平成元年生まれの私にとって、なんとも嬉しい情報が耳に入ってきた。

フランスでは若い子より、経験や知識が豊富なマダムのほうがモテるらしい。

日本では、女性は年齢が上がるにつれて「おばさん」というネガティブな扱いを受けるし、実際に日本人女性は歳を重ねると、「私はもうおばさん…」と守りに入って自分の魅力を生かすことに消極的な印象がある。
私も最近、「いやー、私もう三十半ばだからさ!」みたいなことを何の気なしに口走ってしまって、ハッとすることがあった。
なんというか、ただただ毎年1つ歳を重ねているだけなのに、悪いことをしているような、変な気分になるのだ。

一方フランスでは、歳を重ねることは決してネガティブではなく、むしろ好意的に捉えられているのだとか。
そういう周りの環境があるからなのか、それともフランスマダムが素敵だからそのような環境になるのか。
その関係は鶏と卵のようでどちらが先かはわからないけれど、とにかくフランスのマダムは、おばあさんになっても女性らしさを大切にし、楽しんでいるようだ。

胸元がざっくりしたニットも着るし、脚も出すし、どこも出していなくても下着はとてもラグジュアリーだったりするし、いつも素敵に香りを纏っているらしい。
そういえば、『フランス人は10着しか服を持たない』にも、”自分を表す香水を見つけるべし”と書かれていた。

香りといえば、もともと香水は好きだったものの、産後、おそらくまだ嗅覚が敏感な息子の前で香水をつけることには少し抵抗があり、そのままずるずると、香りのない日々に慣れてしまっていた。

しかし、よくよく考えればミドルエイジに突入した今こそ"香り"には気を遣わなくてはいけない時なのかもしれない。

公園帰り、UVパーカーの中から思っていたのと違うタイプの汗の臭いがした時は本当に焦るし、カフェで居合わせた同世代の人からいい香りがすると、そういうところに気が回っていない自分が急に恥ずかしくなって「なんかすみません」という気分になる。

肌のハリがなくなり、シミやシワが増え、筋肉も衰え…とどんどん備え付けの戦闘力が削がれていく中、香りは外付けできる武器なのだ。

息子も少し大きくなった今、マイルドな香りなら纏っても大丈夫そうである。
そう思って昔から気になっていたボディーフレグランスミストを購入した。

もともとそういうことが好きだったこともあり、私の香りへの情熱は加速の一途をたどっている。

最近では自分の香りだけでは飽き足らず、部屋にもほんのり香りを導入。
おそらく息子は気がついておらず、夫にはなかなか好評である。

THANNのフレグランスミストは
アロマティックウッドの香り
ユニセックスな香りなので、照れずに使えるのがよい

朝起きて余裕があればパロサントを焚き、パジャマから着替えるタイミングで適当にボディミルクを塗り、フレグランスミストを1プッシュ振りかける。

まったりしたい午後には茶香炉を焚く日もあるし、洗面所やトイレの空気がこもっているなと感じたら、ヒノキオイルをティッシュに数滴たらしてゴミ箱にポン。

一人で出かける時間をもらった日には、少し香りが強めなマルジェラをつけるときもある。(忘れなければ)

おおざっぱで気まぐれではあるものの、香りのある生活を取り戻して感じるのは、香りは思っていた以上に、メンタル面に作用してくるものだということだ。

無印のアロマコーナーの前を通った時などに感じる「いい匂い~」な気分が、自分の部屋の中でずっと続くのは、とても癒される。
百貨店のコスメフロアみたいな華やかな香りが自分から漂っていると、なんだか背筋が伸びる感じがする。

ある日、寝る前に洗面所でフレグランスミストをお腹あたりにシュッとしていると「パリのマダムは香りで自分を表現しているだけでなく、香りで自分の気分を上手に操っているのではないか」とふと思った。

いい状態の自分に戻れる香りを知っておくこと。

これはフランス人を目指す上ではもちろん、素敵な大人を目指すものとして、追求するべき課題ではないだろうか。



おわりに🇫🇷まだまだ続くフランス人への道の途中で思うこと


服を10着にするところから始まり、キッチンを片付け、香りに気を配るようになり、今私は、フランスの子育てについての本を読んでいる。

とにかく愛を注ぐ、子供を子供らしく扱う日本の子育てとは真逆で、メリハリがあり、子供を大人のように、1人の人として扱う子育ては刺激的だ。
「それはどうなんだろう」と思うようなことも多くある一方で、一貫したポリシーを持って子供と向き合うするスタイルには学ぶところも多く、やはり異文化を知るということは、心と頭のいいストレッチになるのだな、と感じている。

また、フランスに目を向けることで、自分の、"生活を見つめる目"が育ったような気がしている。
フランス人を目指す途中、「あれ、私ただ丁寧に暮らす日本人になっただけでは…?」と思う瞬間も多くあったのも事実ではあるが、まだまだやってみたいことや取り入れてみたいことはたくさんあるので、これからもこの少々独特なかたちで、フランス人を目指したい。


実は私は、この試みを始める前、"丁寧な暮らし"にアレルギーのような感情を持っていた。

SNSなどで見かける丁寧な暮らしをする人たちを、「すごいなあ」と思いながらも、なんだか丁寧な暮らしをするために生きているように見えてしまって、負け犬の遠吠えよろしく「私は色んなことを楽しみたいタイプなの!生活することで悦に浸ってる時間はないの!」と自分に言い聞かせて過ごしてきた。

しかし、フランスの生活を自分なりに研究するうちに、自分の中にも"丁寧に暮らしたい"と似た感情があることに気がついた。

朝起きて、好きな香りに包まれながら伸びをする時間も、クローゼットをあけて、今日は何と何を着ようかな、と考える時間も、ちょっと手をかけた料理を、気に入ったお皿に盛り付ける時間も、寝る前にキッチンで甘酒を飲みながら、お気に入りのポストカードを眺める時間も。

そのどの瞬間にも、私は自分の生活を愛でている実感があって、それがとても、幸せに感じるのだ。

毎日は本当に忙しなく、服を選んでいる暇なんてない日もあるし、やっぱり私は1日のほとんどをキッチンで過ごしている気がする。眠たくて死にそうな日にはボディクリームなんて塗れないし、お皿と間違えて息子が残したパンケーキをすすいでいていた日には、もう自分が信じられなくて絶望した。

でも、すみずみまで心を行き渡らせることができないようなそんな日にも、自分の拠り所になる何かを生活の中に散りばめておくことは、自分を幸せにするし、そこに立ち返ることで、自分が"生活している"つまり、生きていることを実感することができる。

フランスの慣用句”C’est la vie”には、ポジティブな意味合いの「これぞ人生!!」の他に、「人生ってそんなもの」という、災難に見舞われた人を励ます意味もあるそうだ。
最高な時も、「人生こんなもんか」と思ってしまう時も、”C’est la vie”(直訳・それが人生)

「目指せフランス人計画」を経て、私は自分が「楽したり、効率的に暮らしたい」と思うのと同じくらい、生活をちゃんと愛したかったのだ、と気がつくことができたし、なんだかちょっと、楽しむことに貪欲になった気がしている。



最近、私のスマホはすっかりフランスに最適化されており、フランスに関する色々な情報が集まってくる。

先日、「フランス語を習得した友人の顔がフランス人じみてきた」「口の筋肉の使い方の関係で、フランス人に似てきたのではないか」という内容の記事を読んだ。

実は1ヶ月ほど前から私も、フランス語を学び直している。

「私、いつか顔立ちまでフランスマダムになっちゃうかもしれない……」

そんなことを考えている私は、もはや厄年なんてどうでもよく、今日も呑気で、平和な1日をすごしている。













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