【家じまい】5年ぶりの実家にて、刑事から渡されたピンクのリュック
2025年10月末の日曜日
私は実家玄関の前に立ち尽くしていた。
嫌な予感が的中してしまったなあ、と感じながら。
ツンとする臭いが部屋の中から漂ってきたのだ。
遡ること2週間
父が亡くなって丸5年を迎えた頃
不思議な出来事が続き、胸騒ぎがしていた。
10月なのに咲き乱れる朝顔も
部屋に飛び込んできて居座るカナブンも
皆、何かを知らせている。
父に、頼むよと言われている気がした。

ある日の夕方、スマホが鳴った。
発信者は、実家マンションの管理組合。
やっぱりそうだ。
独居の母が10日以上外出していない。
私から警察に電話をするべきだ。
そんな内容だった。
電話の向こうも困惑している様子。
私はひとこと伝えた。
「明日、そちらに行きます」
「よく来てくださいましたね」
玄関前で立ち尽くしている私に
お隣さんが声をかけてきた。
彼女は母に毎日声掛けをして
その様子をノートに記していた。
最後に見かけたのが2週間前
その後は、ベランダから毎日名前を呼ぶ
最後に返事があったのが1週間前
それ以降は応答なし。
そんな内容だった。

私は家の鍵を持っていなかった。
数ヶ月前に大規模修繕で、玄関ドアを全戸交換。
新しい扉の鍵は母しか持っていない。
「鍵屋さんを調べたのよ。電話する?」
お隣さんは提案した。
「いや、警察に電話します」
私は震える手でスマホを取り出した。
あの部屋に入っては、いけない気がする。
程なくして警察と救急隊が駆けつけた。
まずは、玄関チャイムを鳴らす
ドアを叩いて、大声で呼んでみる
反応無し。
救急隊はお隣さんのベランダ越しに侵入を試みる。
しばらくして救急隊の一人が警官に伝えた。
窓ガラスは目張りがされて中の様子が確認できない
窓の鍵は内側に刃物が入っていて回せない
改めて母の異質さに身震いがした。
彼女は、私が物心ついたときから統合失調症で
精神病院の入退院を繰り返していた。
被害妄想に取り憑かれ、襲われる恐怖に怯えていた。
自分の部屋に引きこもり、幾重にも鍵をかけていた。
そんな母に、父は毎日料理を作り
常に台所に置いていた。
父がいないときに母は部屋から出て
食べ物を取ると逃げるように部屋に戻った。
共に食事をすることも会話をすることもない。
唯一の子どもである私が実家を出て20年、
父が亡くなるまで、二人の生活リズムは続いていた。
二人にしか分からない、不思議なリズムだ。

2020年10月、
父は風呂に入ったまま帰らぬ人となる。
翌日、警察からの電話で実家に駆けつけた。
慌ただしく身内だけで葬式をすます。
母はその日も部屋から出なかった。
業者を呼び、ゴミ屋敷と化していた部屋を片付ける。
片付けを終えて立ち去ろうとしたとき、
ふと母の部屋を見るとドアが少し開いていた。
「今度いつ、来る?」
彼女は数十年ぶりに声をかけてきた。
私は面食らった。
「さあ、来月くらい、かな?」
それが最後の会話になるとは思いもしなかった。
「窓を割って部屋に侵入します。いいですか?」
救急隊員にそう聞かれた。
「はい」
私はかすれた声で答えた。
喉が、カラカラに渇いている。
程なくして「侵入成功」という声が聞こえた。
隊員が玄関のドアを開けて中から出てくる。
外で待機していた隊員数名が中に入る。
「高齢の女性1名発見」
隊員の声が続く。
強烈な異臭が鼻を襲い、吐きそうになった。
担架や生存確認のための器具などが運び込まれる。
慌ただしく人が出入りする。
しばらくして、救急隊員が無言で部屋から出てきた。
住人は亡くなって数日経っている
この後は救急ではなく刑事が対応する
部屋には立ち入らないように
と言い残して撤収した。
部屋の前には高齢の警察官がポツンと立っていた。
30分ほどして刑事が到着し、部屋に入っていく。
程なくして、部屋から母の身分証明証が発見。
「念のため本人確認をしてほしい」
と言われた。
「いや、無理です。それは」
全身で拒絶反応を示す。
「大丈夫ですよ
きれいなお顔をされています
お布団の上で発見されました」
刑事はスマホを取り出し、私に1枚の写真を見せた。
白髪の老婆
眠るように安らかな表情をしていた
まるで今にも目を開けそうな、自然な姿。
正直、予想外だ。
「はい。母です」
私はちょっとホッとして、うなずいた。
更に数十分は経っただろうか。
刑事は、ピンクのリュックを手に持って出てきた。
部屋の廊下にはゴミがあふれ、足の踏み場もない状況。
精神疾患の老女が一人で生活していたその場所。
そんな中、そのリュックは異質な光を放っていた。

「この中に、身分証明証や通帳
現金など貴重品が全て入っていました。」
私にリュックを手渡すと、刑事は続けた。
今回の件は、事件性が無いことが確認できた
住人は自然死の可能性が高い
警察署に運び、明日監察医の検案で死因を特定する
明日は葬儀業者と共に警察署で待機するように
翌日、諸々の対応をこなして自宅に戻った。
前日に戻っていた配偶者が
「あのリュックの中に札束。数百万円はある」
と告げた。
びっくりした。
リュックの中の通帳を開いてみる。
2か月に一度の年金が入金され
翌日に全てそれが引き出される
そのリズムだけが淡々と記されていた。
ああ、二人のリズムはまだ続いていたのだ。
不思議なことに、父は亡くなる数ヶ月前
「エンディングノート」を送りつけてきた。
その中には、自分亡き後の彼女の生活のことが
綿々と記されていた。
自分の遺族年金をちゃんと受給できれば
彼女はお金に困ることはないだろうと
受給見込額と年金事務所の連絡先まで記載。
私はそれをコピーして彼女に渡した。
受給手続きを念押しし、逃げるように実家を去る。
それ以来、私はなんにもしていなかった。
でも彼女はちゃんと年金を受け取り
父と対話を続けていたのだ。
引き出したお金は全てそれに入れていたのだろう、
ところどころ安全ピンで止められた
使い古しのリュック。
まるで誰かに渡されることを望んでいたかのような
ビビッドピンクのリュック。

ずっと待っていたんだよ
そんな声を、聞いた気がした。
最後までお付き合いいただき感謝いたします。

