比べる暇もないほどに。
どうしても、自分と周りを比べがち。
もうこんな歳なのに、全然大人じゃないとか。
ちゃんとした人生を生きていないとか。
世間一般的に見て「普通」という枠に入っていなければ、という気持ちが強い。
自治会の草むしりの集まりがあった。
当たり前だけど、そこではもうママ友同士のコミュニティが出来上がっている。
わたしにはそういう繋がりはないので淡々と草をむしり続けた。
そんな自分と周りを比べて、
「やっぱりわたしって何もないな」と思ってしまう。
「子どもがいない」という部分が、
世間の普通から、レールから、外れている。
そんな自分をまざまざと思い知らされて、
久々に、心の奥に痛みを感じた。
「子どもがいない=ダメ」と、
本気で思っているわけじゃない。
頭では、
いろんな人生があるってわかってる。
幸せの形は人それぞれだとも思ってる。
でも、身体の感覚のどこかが、
「普通から外れるのは恥ずかしい」
「劣勢側になると居場所が危うい」
みたいなことを訴えてくる。
そのせいなのか、
今回みたいな現実を目の当たりにした時に、
すぐに理屈で打ち消せなくて、少し苦しくなる。
思えば昔からずっとそうだった。
普通でいられないとか、
出来ない人だと思われることをすごく気にしていた。
失敗したくないという意識が異様に高かった。
劣勢側ではいたくなくて、そうなってしまったら、
その場にいるのも辛く、いたたまれなくなる。
たぶん、
恥ずかしい、みじめって思っていたのだと思う。
それを今も引きずっているから、
「子どもがいない自分」を
世間に晒すのが怖いという気持ちが強いのかもしれない。
おそらくそれは、
幼い頃から自分の中に強く刻まれてきた感覚があって、
問題を起こさないように。
恥をかかないように。
ちゃんとしていなきゃ。
そうやって、
自分の居場所や安心を守ってきたのだと思う。
浮く。
できない。
人と違う。
変に思われる。
期待から外れる。
場に合ってない。
そんな「共同体から外れる感覚」への怖さが、
昔から強かった。
失敗が、単なる失敗じゃなくなって、
普通から外れることが
「存在が危うくなる感覚」につながりやすくなっているのだと思う。
頭では、
「普通じゃないことは、別に悪いことじゃない」
とわかっていても、
感覚のほうは、
「危ない、恥ずかしい、怒られる、見捨てられる」
を覚えているから。
だから、
ちゃんと周りを見て、
ちゃんと場に合わせて、
ちゃんと生き延びようとしてきたのだと、
今では、過去の自分をそう理解している。
だから今のわたしにとって大切なのは、
「じゃあ、これからどう生きる?」
ということなのだと思う。
もう、
「ちゃんとしてる自分」
「迷惑をかけない自分」
「空気を読める自分」
じゃなくてもいいんだよ。
それでもここにいていいんだよ。
ということを体験しながら育てたい。
感覚に教えたい。
そんなふうに思う。
生きていれば、
周りのことはどうしても目には入るし、
「自分はこれでいいのかな」と揺れる瞬間はある。
だから、
比べることを完全になくすのは、難しい。
けれど、
少しずつ手放していくことは、きっと出来る。
「比べない人」にならなくてもいい。
比べてる暇がないくらい、
自分の人生に夢中になれたら。
自分は何に心が動く?
何を知りたい?
何を表現したい?
どんな時間が好き?
何をしてると満たされる?
という、
「外の物差し」じゃなく
「内側の感覚」を軸にした生き方に。
そうすることで、世間の正解より、
自分の感覚の方が少しずつ濃くなっていく。
今のわたしに必要なのは、
「比べない訓練」より、
自分の人生を、自分の好きで満たしていくこと。
なんだと思う。
その結果として、
比べる時間が減っていくと思うから。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
では、また。
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お読みいただきありがとうございます🕯
そのあたたかさが、また次のことばを灯す力、わたしの書く力になります。
これからも一緒に素敵なあかりを灯せたらうれしいです。