届かなかった言葉が教えてくれたもの
昨日、有料記事を出しました。
有料記事を出すのは、今回で3回目。
初めて有料記事を書いたときのことを、今でもよく覚えています。
実はあのとき、一度は有料記事として出そうと思い完成まで書いていたのに、
出す直前になって怖くなって、無料で公開したことがありました。
その後、また気持ちを立て直して、新たに出したのがわたしのデビュー有料記事でした。
そんなふうに、進んで、迷って、立ち止まって、戻って、また進んで。
そうなるくらい、わたしにとって「有料で出す」ということは、
勇気のいる行為でした。
「わたしが有料記事なんて書いていいのかな」
「偉そうだと思われないかな」
「価値のあるものなんて書けるわけない」
そんな気持ちで、心の中がいっぱいでした。
でも今回の3つ目の有料記事を書いているときのことを振り返ってみると、
少しだけ、最初の頃とは違う自分がいることに気がついたんです。
もちろん、不安がゼロだったわけではありません。
売れなかったらどうしよう、
誰にも必要とされなかったらどうしよう、
そういう怖さは、やっぱりいつもある。
それでも今回は、
「わたしの考えを、気持ちを、ちゃんと届けたい」
その気持ちが、以前よりもずっとまっすぐだったように感じます。
自分と向き合うのが怖い人、
変われない自分を責めてしまう人、
そんな痛みを知っている人の背中を、
ほんの少しでも押せたらいいな。
素直にそんな思いで、書いていました。
結果として、記事は思うようには届きませんでした。
やっぱり、そんなに簡単なことじゃないんだなと、身をもって感じました。
今までのわたしなら、ここでどん底まで落ち込んで
「書かなければよかった」
「どうせわたしなんて価値のない人間だ」と、
後悔や自分を責めることをとことんしてしまったと思う。
でも、今回、思うような結果じゃなかったけれど、
「価値がなかった」
「意味がなかった」
とは、思わなかったのです。
むしろ、もしかしたら、この結果だったからこそ、
気づけたことがあったのかもしれないなと思っています。
売れた、売れなかったとは別のところで、
わたしは、自分の気持ちをまっすぐに書くことができました。
誰かの評価以前に、
「これは、わたしの本音です」と言える文章でした。
それに対して、素直に「意味があった」と思えた。
それは、有料記事を出したこと以上に、
今まで、ここまで、積み上げてきたものの証のように感じました。
ちょうど今日、
noteをはじめて6ヶ月の記念バッジが届きました。

これを見たとき、
「それでいいんだよ」って、
そっと言ってもらえたような気がしたんです。
すぐに結果が出なくても、
誰かに評価されなくても、
それでも、
わたしはちゃんと前に進んでいるんだと思えました。
きっと、自分を信じるって、
こういう小さな感覚の積み重ねなのかもしれないなと思いました。
いつか、
同じ痛みを知る誰かひとりに届いて、
その人の背中をそっと支えられたなら。
そう信じて書けたこと自体が、
もう十分、わたしにとってのこの半年の答えのようなもので、自分で手に入れたものだったのかもしれません。
ここからさらに半年経って、
noteをはじめて1年になる頃。
わたしはどんな気持ちでいるのかな。
今回の有料記事のことだけじゃなく、
色んな気持ちを感じた半年だったからこそ、
ここから半年後のことも、もう今から楽しみです。
きっと、これも自分を信じられるようになった証です。
自分で手に入れたものを大切に抱えて、
これからもnoteを楽しんでいきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
読んでくださることがわたしの力になってます。
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