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【北海道時間.jp】第19回:水と時をつなぐ風景―ブラタモリでも紹介された函館・笹流ダムの記憶と今

はじめに

函館の市街地から北東へ車で約30分。赤川の上流に、ひっそりと水をたたえる一つのダムがあります。笹流ダム――大正12年(1923年)に完成し、日本で初めて「バットレス構造」を採用したこのダムは、土木技術史に燦然と名を残す存在であり、市民の暮らしを支え続けてきた憩いの場でもあります。

初めてここを訪れたとき、私が感じたのはダムの「やわらかさ」でした。無機質なコンクリートで造られていながら、格子状の壁は光を透かし、緑や青空と調和していました。それは単なる貯水施設ではなく、自然の中に息づく建築物のように思えたのです。


日本初のバットレスダムという革新

笹流ダムが建設された背景には、函館の急速な都市化がありました。開港以来、人口は増え続け、生活用水の需要は逼迫。横浜に次いで全国で二番目に近代水道を整備していた函館にとって、新たな水源確保は喫緊の課題でした。

設計を担ったのは、京都帝国大学出身の技術者・小野基樹。彼が採用したのは、日本で前例のない「バットレスダム」構造でした。薄い堤体を背面から扶壁(バットレス)で支える方式で、コンクリート使用量を抑えつつ強度を確保するという画期的なもの。当時コンクリートは高価であり、この選択は合理的かつ経済的でもありました。

中央部約130メートルをバットレス構造、両端を重力式コンクリートダムとする複合形式。さらに温度変化や地盤の動きに対応するため、中央部を三つに区分するなど、長期使用を見据えた工夫も随所に施されました。堤高25.3メートル、堤頂長199.4メートル、堤体積16,000立方メートル――規模こそ大きくはありませんが、日本のダム史に深く刻まれた存在です。


街を変えた大正期の大事業

建設工事が始まったのは1920年。当時の函館では馬車や人力が主な輸送手段でした。資材搬入のため、高砂町からダムや浄水場まで約12.5キロにわたり専用軌道が敷設され、馬や軽油機関車が資材を運びました。

また、上流にあった笹流温泉は水質保全のため市が買収し、営業を廃止するという大胆な決断も下されました。こうして完成したダムから赤川の清らかな水が供給され、函館市街の近代的な生活基盤が整えられていきました。

当時の写真には、山並みを背に未舗装の道や木造家屋が並び、その奥に堂々と立ち上がるコンクリートの堤体が写し出されています。笹流ダムは近代化の象徴であり、市民にとって大いなる誇りだったのです。


季節とともに変わる表情

笹流ダムの魅力は技術史にとどまりません。下流には芝生広場が整備され、春は桜、秋は紅葉と、四季折々の美しさを楽しめます。春には淡いピンクが水面を彩り、秋には山々が赤や黄金に染まる――その光景は、訪れる人を魅了してやみません。

私が訪れたのは初夏。芝生に腰を下ろし、水音に耳を澄ませながら、友人とハセガワストアの「焼き鳥弁当」とラッキーピエロのバーガーを頬張りました。街の喧騒から離れ、自然の中で味わうご当地グルメは、時間そのものを特別なものに変えてくれました。


保存活動と地域の取り組み

笹流ダムは1949年と1984年に大規模補修を経て、現在も現役で稼働しています。1985年には「近代水道百選」、2001年には「土木学会選奨土木遺産」、2005年には「ダム湖百選」、2008年には「近代化産業遺産群」として認定され、その価値は広く評価されてきました。

近年では建設100周年を記念した展示や、市電を活用した写真展など、市民にダムの歴史を伝える取り組みも行われています。こうした活動は、単なる構造物の保存ではなく、「市民の記憶」として未来へ引き継ぐ営みでもあります。


おわりに

笹流ダムは、単なる観光地ではありません。そこには100年を超えて受け継がれてきた技術、人々の暮らしを支えてきた歴史、そして自然と人との共生の物語があります。

芝生に寝転び、木々のざわめきに身を委ねれば、ダムの静けさが心に沁みてきます。四季ごとに異なる表情を見せ、訪れるたびに新たな発見をもたらす場所――。

函館観光の半日を使って、ブラタモリでも紹介された笹流ダムを訪ねてみてください。そこには、水と街と人を結び続ける「記憶の風景」が、今も静かに息づいています。

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