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【北海道時間.jp】第36回:神威岬―積丹ブルーの絶景で味わった人生最高のウニ時間

金曜日の札幌出張が終わった翌日、土曜日。

せっかく札幌に来ているのだから、このまま帰るだけではもったいない。そんな気持ちが、出張前から心のどこかにありました。

札幌は、北海道の旅の入口のような場所です。

都市としての便利さがありながら、少し車を走らせれば、海へ、山へ、歴史ある町へとつながっていく。北海道の面白さは、都市と自然、過去と現在が、思っている以上に近い距離で共存しているところにあります。

そこで、札幌と東京の二拠点生活をしているヒロミさんに声をかけてみました。

ヒロミさんは、大手のデータを扱う企業で働きながら、大学の講師もされている方です。さらに、地方創生にも強い関心を持たれていて、研究者としての視点と、ビジネスの現場感覚の両方を持っている、とても魅力的な女性です。

私が木古内町という実際の地域の現場で、まちづくりに関わっていることにも強い関心を持ってくださっています。逆に私も、地方創生について研究者として深く考え続けているヒロミさんを尊敬していて、会うたびに多くのことを学ばせてもらっています。

そんなヒロミさんに、ふと思い立って連絡をしました。

「土曜日、もし空いていたら、どこかドライブに行きませんか?」

すると、なんとその日は札幌でスケジュールが空いているとのこと。

こういう偶然が重なるとき、旅は一気に物語になります。仕事の出張の延長に、思いがけない余白が生まれる。そこに人とのご縁が重なり、さらに季節の恵みが重なっていく。

「どこに行きましょうか?」

そう考えたとき、私の中にふっと浮かんだ場所がありました。

神威岬

実は、私自身、神威岬には学生時代に行って以来、長い間訪れていませんでした。

あの頃に見た積丹ブルーの海。日本海に向かって細く伸びる岬。風に吹かれながら歩いた記憶。はっきり覚えているようで、でも時間の奥にしまわれていた風景でもありました。

「久しぶりに神威岬に行ってみたいんですよね」

そう私から提案すると、ヒロミさんも「いいですね!」と快諾してくれました。

しかも、ちょうど積丹ではウニ漁が解禁されたばかりの季節。

神威岬に行くなら、やっぱり積丹のウニも味わいたい。しかも、ただお店で食べるだけではなく、せっかくなら地元でとれたウニを、あの絶景の中で食べられたら最高ではないか。

そんな話をしながら、札幌を出発しました。

札幌の街を抜け、小樽方面へ向かい、やがて日本海沿いの道へ。車窓の風景が少しずつ変わっていきます。

ビルのある都市の時間から、海岸線を走る旅の時間へ。

車内では、旅の話、仕事の話、地域の話、これからの暮らし方の話など、話題が尽きませんでした。

ヒロミさんは、データや社会の変化をとても冷静に見ている一方で、地域に対してはとても温かい眼差しを持っています。数字や分析だけでは見えない、人の暮らしや土地の空気を大切にされているところが、とても素敵だなと感じます。

私自身も、現場で地域と向き合うなかで感じていることを話しながら、ヒロミさんの視点からたくさんの刺激をもらいました。

でも、この日の目的は難しい議論ではありません。

あくまでも、旅を楽しむこと。

海を見て、風を感じて、美味しいものを食べること。

それだけで十分すぎるほど贅沢な一日です。

海が見え始めると、気持ちも自然とほどけていきます。北海道は広い。けれど、広いだけではありません。土地ごとに、流れている時間の表情が違います。

札幌には札幌の時間があり、小樽には小樽の時間があり、積丹には積丹の時間がある。

車を走らせながら、そんなことを感じていました。

積丹半島は、かつてニシン漁で栄えた場所です。

積丹町にある番屋

明治から昭和初期にかけて、北海道の日本海側にはニシンが押し寄せました。海が銀色に染まるほどの群来。浜には番屋が建ち、多くの人々が集まり、漁の活気に満ちていました。

ニシンは食べ物であるだけでなく、肥料として本州の農業も支えました。北海道の海の恵みは、海を越えて日本各地へ運ばれていったのです。

今、私たちは「観光地」として積丹を訪れます。

けれど、その美しい景色の奥には、海とともに生きてきた人たちの時間が積み重なっています。絶景とは、単に自然が美しい場所のことではありません。そこに人の歴史が重なり、土地の記憶が宿っているからこそ、深く心に残るのだと思います。

神威岬へ向かう前に、私たちは山吹商店に立ち寄りました。

ちょうどお店では、ウニの選別作業が行われていました。

これがまた、なんともいい時間でした。

目の前で丁寧に扱われているウニ。お店の方々の手元。積丹の海から届いたばかりの恵み。

そこにただ商品が並んでいるのではなく、海から食卓までの物語が見えるような気がしました。

お店の方とウニについて話をしながら、自然と会話が弾みます。

「今がいい時期なんですね」

「やっぱり積丹のウニは違いますよね」

「神威岬で食べたら最高ですよね」

そんな何気ないやりとりが、旅の記憶を豊かにしてくれます。

旅の面白さは、有名な観光地に行くことだけではありません。途中で立ち寄ったお店で、その土地の人と話す。いま並んでいるものが、どこから来て、どんなふうに扱われているのかを知る。

そうすると、目の前の食べ物が、単なる「美味しいもの」ではなくなります。

それは、その土地の時間そのものになります。

そして私たちは、250グラム、8000円のウニを購入しました。

決して安い買い物ではありません。

でも、そのときの私たちには、もう確信がありました。

「これ、神威岬で食べたら最高ですよね」

そう言いながら購入したウニ。

この時点で、すでに旅のクライマックスは始まっていたのかもしれません。

山吹商店を出て、いよいよ神威岬へ向かいます。

学生時代以来の神威岬。

近づくにつれて、少しずつ記憶がよみがえってきました。あのとき見た海。岬へ続く道。風の強さ。若い頃には、ただ「すごい景色だな」と思っていた場所も、今あらためて訪れると、まったく違う見え方になります。

人は、同じ場所を二度訪れても、同じ景色を見るわけではありません。

場所は変わらなくても、見る自分が変わっているからです。

学生時代の私と、今の私は違います。

その間に、いろいろな場所に住み、いろいろな人と出会い、いろいろな仕事をし、いろいろな旅をしてきました。

だからこそ、あの頃と同じ海を見ても、同じようには見えないのです。

神威岬の「神威」という言葉には、人の力を超えたものへの畏れや祈りを感じます。

アイヌの人々がこの地に神聖さを見ていたこと。神威岩をめぐる伝承。源義経を慕ったチャレンカの物語。そして、かつて女人禁制の地とされていた歴史。

もちろん、伝説は史実そのものではありません。

けれど、伝説はその土地に生きた人々が、自然の大きさや厳しさ、不思議さをどう受け止めてきたかを伝えてくれます。

なぜこの場所を畏れたのか。なぜこの海に物語を重ねたのか。なぜ人は、岬や岩に祈りを託したのか。

神威岬を歩くということは、ただ美しい景色を見ることではありません。

自然を前にした人間の小ささを感じることでもあり、その小さな人間が物語をつくり、道をつくり、灯台を建て、次の世代に場所の記憶を渡してきたことを感じることでもあります。

いよいよ、岬へ向かいます。

風が強い。

北海道の風は、土地によって表情が違います。札幌の街を抜ける風、小樽の港を渡る風、そして神威岬の日本海から吹き上げる風。

神威岬の風は、ただ肌をなでるのではなく、体ごと押し返してくるような力があります。

小道を歩き始めると、左右に海が広がります。

足元には緑。遠くには水平線。歩くたびに景色が変わります。振り返れば、通ってきた道が一本の線のように見える。前を向けば、岬の先端が少しずつ近づいてくる。

この「歩いて近づく時間」が、神威岬の魅力です。

車で一気にたどり着く絶景ではありません。自分の足で歩き、風を受け、少し息を切らし、立ち止まって海を見る。そしてまた歩く。

その繰り返しの中で、少しずつ岬に迎え入れられていくような感覚があります。

そして、いよいよ積丹ブルーの海を目の前にした場所で、山吹商店で買ったウニを開きました。

地元でとれたウニを、神威岬の絶景の中で食べる。


もう、これ以上の幸せがあるのでしょうか。

ひと口、ほおばった瞬間。

言葉になりませんでした。

濃厚なのに、後味はすっと消えていく。海そのものを食べているようでありながら、とても上品で、やさしい甘みが広がる。

目の前には積丹ブルーの海。

頬には日本海の風。

隣には、札幌と東京を行き来しながら、自分らしい働き方と地域への関心を持ち続けているヒロミさん。

そして手元には、さっき山吹商店でお店の方と談笑しながら買ったばかりのウニ。

これは、ただ美味しいという体験ではありません。

場所と、季節と、人との会話と、風景が全部一つになった瞬間でした。

食べ物は、どこで食べるかによって記憶の残り方が変わります。

同じウニでも、都会の料理店で食べるのと、地元の海を見ながら食べるのとでは、意味がまったく違います。もちろん、料理店には料理店の素晴らしさがあります。

でも、その土地でとれたものを、その土地の風を感じながら味わう体験には、特別な力があります。

旅先で食べる一口には、景色も、会話も、風も、そこに至るまでの道のりも含まれているのだと思います。

今回のウニは、まさにそうでした。

山吹商店で選別作業を見て、お店の方と話し、そこで買ったウニを、神威岬で食べる。

その一連の流れがあったからこそ、味の記憶は何倍にも深くなりました。

旅とは、点ではなく線なのだと思います。

札幌出張があり、土曜日の余白があり、ヒロミさんとの予定が合い、私が学生時代以来の神威岬に行きたいと提案し、山吹商店に立ち寄り、ウニの選別作業に出会い、お店の方と話し、250グラム8000円のウニを買い、神威岬の絶景でそれをほおばる。

一つひとつは偶然のようで、振り返ると一本の線になっています。

その線の途中には、海があり、風があり、笑いがあり、会話があり、そして忘れられない味がありました。

旅の途中で交わす会話は、不思議な力を持っています。

真正面に座って話すよりも、車窓の景色を見ながら話すほうが、自然と言葉が出てくることがあります。海を見ながら、山を見ながら、岬へ向かいながら、仕事の話も、地域の話も、人生の話も、少しずつほどけていく。

ヒロミさんと話していると、地域を見る視点が広がります。

現場で感じることと、研究として見えること。感覚としてつかんでいることと、データから読み取れること。その両方が重なると、地域の見え方はもっと立体的になります。

でも、この日の私たちは、難しい答えを出しに来たわけではありません。

ただ、積丹ブルーの海を見て、風に吹かれて、ウニを食べて、「最高ですね」と笑い合う。

その時間そのものが、とても豊かでした。

神威岬は、過去の岬であり、現在の岬であり、未来の岬でもあります。

過去には、アイヌの人々の祈りがあり、伝説があり、ニシン漁の繁栄があり、海の難所を照らす灯台の光がありました。

現在には、積丹ブルーを求めて訪れる人々がいて、ウニをはじめとする海の恵みを守る人々がいて、この景色に心を奪われる旅人がいます。

そして未来には、この美しい景色を、また誰かと一緒に見に来たいと思う気持ちがあります。

旅の素晴らしさは、予定どおりに進むことだけではありません。

むしろ、何気なく声をかけたことから始まり、思いがけず予定が合い、途中で立ち寄ったお店で人と話し、その場の空気で「ここで食べたら最高だよね」と盛り上がる。

そういう小さな偶然の連続が、あとから振り返ったときに、忘れられない一日になっているのです。

神威岬の青は、ただ青いのではありませんでした。

そこには、学生時代の記憶があり、久しぶりに訪れた懐かしさがあり、山吹商店での会話があり、解禁されたばかりのウニの季節感がありました。

そして、ヒロミさんと一緒に眺めた景色がありました。

札幌と東京の二拠点を行き来しながら、データの世界、大学の教育、地方創生への関心をつなぎ、自分らしく活動されているヒロミさん。

その姿から、私もまた多くの刺激をもらっています。

旅は、場所に出会う時間であると同時に、人に出会い直す時間でもあります。

普段から学ばせてもらっている人と、いつもとは違う風景の中で過ごす。そうすると、その人の言葉も、表情も、また少し違って見えてくる。

神威岬の青い海を前にして食べたウニの味は、きっとこれからも忘れないと思います。

地元でとれたウニを、地元の人と言葉を交わして買い、最高の絶景の中で味わう。

これ以上の幸せがあるのでしょうか。

札幌出張の翌日に生まれた、思いがけない小さな旅。

けれど、こういう小さな旅こそが、人生の地図を少しずつ豊かにしてくれます。

北海道は広い。

まだまだ知らない場所があります。まだまだ見たい景色があります。まだまだ味わいたい季節があります。そして、まだまだ一緒に旅をしながら語り合いたい人がいます。

学生時代以来に訪れた神威岬で、私はあらためて思いました。

旅は、過去の自分に再会する時間でもあり、今の自分を楽しむ時間でもあり、未来の自分にまた一つ、思い出を手渡す時間でもあるのだと。

過去から現在へ。

現在から未来へ。

積丹ブルーの海は、ただ静かに、けれど確かに、その時間をつないでいました。

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