ちいかわに人生を狂わされたとでも言うのか?
女性Aの独白
「私の人生は神に狂わされた、と思う気持ちをあなたなら分かって頂けますよねゼウス様。私は私自身の決断によって私の人生が狂ったとは思いたくないのです。そう思うと辛いから。だから、全てゼウス様のせいにさせて頂きます。汗水たらして稼いだ金も、この美貌も、私をだました男たちも、全てはゼウス。ゼウスが悪い」
女性Bの独白
「私の人生はちいかわに狂わされた。ナガノが憎い。ナガノがちいかわさえ書かなければ、今頃私の稼いだ金はマンションを買う金に使われ、もっと人々が幸せになることにお金を使えたのです。ところが、ナガノがちいかわを生み出した。おまけにハチワレも生み出し、もう私は洗脳も同然。やっはー、なんとかなれーっ!という気持ちで生きてきましたが、もうどうにもなりません。にっちもさっちもブルドック。緑の木々も赤いバラもなんとも思わない。全てはちいかわのせい。ああWhat a wonderful world」
女性Cの独白
「私の人生は峯岸達夫に狂わされました。あの人の書く文章に心惹かれ、気が付けば峯岸達夫の思考そのものを私はトレースしたような気持ちになったのです。大した作家じゃございませんし、名の知れた文豪と肩を並べるような力はございません。それでも、不思議と峯岸達夫の書く文章には皮肉と哀しみ、おかしみがあって、それが私の人生を狂わせたのでございマッスル・メモリー。ああ、どうかこのスイート・メモリーを松田聖子して、最終的に私を赤いスイートピーにして渚のバルコニーに飾ってください。そうすれば、あの憎き前田も歯茎から血を流して許しをこうでしょう」
女性Zの独白
「私の人生は読者に狂わされた。そう、今まさにこの文章を読んでいるお前だ。自分ではない!と思っているだろう。逃げられるものか。お前がこの文章を読まなければ、私は狂うこともなかった。A~Zまで、全ては私の中に内在するもう一人の私であって、狂い咲きお花の人格を形成するものである。心は万華鏡の如く移り変わり、波があって風がある。狂わされた。全てを狂わされた。どうせ狂うなら美しく。咲いた花なら散り際も儚く、狂いようのない世界で狂って生きていきましょう。クルックルックックー」
狂ったのか、狂わされたのか問題
SNSを見ると、『ホストに人生を狂わされた』という文言を目にする。
馬鹿じゃないか、と思う。こういう言葉を使う人は頭が悪いとさえ思う(過激)
というのも、ホストはただ存在しているだけであって、ホストクラブに行かなければいいだけの話だ。だが、正論を言ったところで行く人は行くし、行かない人は行かない。
ホストに人生を狂わされて自殺した女性と言うのも、正直に言えば女性側に100%問題があるのではないかと思う。ホストクラブの性質を理解しているのだろうか、と思う。
ホストに限らず、キャバクラ等でも『色恋の縺れから殺人事件に発展』等のニュースを見るたびに、世の中には分別のつかない人がいるのだなと思う。(想像しているより多くないことを願うが)
『ホストに人生を狂わされた』という文言を皆が信じると、『ちいかわに人生を狂わされた』とか、『藤本タツキに人生を狂わされた』とか、『粗品に人生を狂わされた』等の文言がまかり通ってしまう。当の本人にとっては『知ったこっちゃない』の一点張りだと思う。
恐ろしいが、私の文章を読んで『私の文章に人生を狂わされた』と言い出されたら、完全に無視すると思う。そんな影響力があることは重々承知しているし、私の文章には人生を狂わされるほどの深淵があるが、申し訳ないとは一ミリも思わない。
そもそも『狂わされた』と感じる心が問題なのである。
田中慎弥の作品だったと思うが、『いじめられている本人が、それをいじめと思わなければ、いじめではない』みたいな文章があった。まさしくそれである。
『ホストに金を使っている本人が、ホストに狂わされたと思わなければ、それは狂っていない』ということになるし、『ちいかわに金を使っている本人が、ちいかわに狂わされたと思わなければ、それは狂わされていない』である。
そもそも、狂わされるとはどういうことなのか。
思い通りにいかないことを他人のせいだと思い込む心の方が問題なんじゃないかと思う。特に私なんて、他者から見れば全く理解されない趣味に並々ならぬ資金を使っているが、自分自身は狂っているとは思わない。他者から見れば狂っていると思われるかもしれないが、私はあくまでも私の痛くない懐事情の範囲で、趣味に没頭している(最近、ちょっと痛みを感じ始めた気もするが)
狂っている基準は人それぞれである。例えば『ちいかわに5000円使う人』と『ちいかわに2億円使う人』ではどっちが狂っているかという問題になる。程度の差でしかない。『ホストに100万使う人』と『ホストに1億使う人』では、私はどっちも狂っていると思う。
しかしながら、こういう認識の違いみたいなものは世の常だ。
悪いのは全部 君だと思ってた
くるっているのは あんたなんだって
つぶやかれても ぼんやりと空を
眺めまわしては 聞こえてないふり
もしも『私はホストに人生を狂わされた』とか『ちいかわに人生を狂わされた』と思っている人間がいるとしたら、冷静に考え直すことをおすすめする。狂わされたのではない。あなた自身が自ら狂ったのだ、と。
とはいえ、私だって身に覚えがないわけではない。古着に狂っている。他人に言うときは冗談交じりに「いやー、古着に人生を狂わされちゃいましたよ」と言う。だが、本心は違う。心から楽しんで狂っているのだ。逃れようがない古着の魅力、カッコよさに狂わざるをえなかったのだ。
人間の興味関心を引き、出会ってしまったら逃れようのないもの。そうしたブラックホール的なものは確かに存在する。それが人によってはホストであり、ちいかわであり、柴田理恵である。他人の理解の範疇を超えた領域で、心惹かれて没頭する。それは狂ってはいるが、そもそも狂うことというのは楽しいものである。これ以上の快楽は無いとさえ思えるほどなのだ。
経験したことはないが、おそらくは覚せい剤とか大麻のようなドラッグの一種であろう。脳は自らドーパミンを出すことができる。そのドーパミンによって人間はさまざまに行動を起こすのだ。科学的には、このドーパミンの分泌が異常な状態を『狂っている』と定義するのかもしれない。しかし、狂っているときに自分のドーパミンの分泌量なんて調べないだろうから意味がない。
究極に腹が減っている時に飲む水、食うおにぎりの味が世界で一番美味いと感じるように、渇いている人間の心を一気に潤すものが地球上には溢れているのだ。人間は欲に抗えず、渇きに耐えられず、寂しさに耐えられない。そうした耐えられないことを解消するために、欲を満たし、潤し、癒されるものが存在しているのだ。
人間とはこれほどまでに愚かで、狂いやすく、みだらで、実直である。誰もロボットのようには生きられない。どこまで行っても、人間は人間としての欲望、穴、渇きに抗えないのである。
だからあなたも必ずどこかで、怪鳥女クルック・ルックックーに出会うだろう。そのときは、想像を超える快楽に身を任せて、何も考えずに狂えばいいのだ。
