母と私の記憶の狭間
今日、母が年金から「生活費に」とお金を渡してくれた。
ただ、いつもより少し多い。微妙に増えたその額に、ふと違和感を覚えた。
「ん?いつもと違うけど、この半端な増額はなに?」
尋ねると、母は少し誇らしげに言った。
「新聞を止めたでしょ? その浮いた新聞代を犬猫たちの費用に回してねっていつもわたしてるやん」
確かに、去年のことだ。新聞を解約したときに、母は「浮いたお金を動物たちのために」と言い、二度ほど渡してくれた。でも、その後は途絶えたままだった。私も、それを口にすることはなかった。
だけど、母の中では「ずっと渡していた」感覚だったらしい。
「今月分、渡したっけ? 覚えてないから、一応渡しておこう!」
そんなノリだったのだろう。
私は慎重に言葉を選びながら、状況を説明した。母を傷つけたくはなかった。
すると、母は少し戸惑いながら言った。
「やっぱり私、おかしいよなぁ。ボケてきとるよなぁ……。自分でもおかしいとは思うねん。でも、すぐに忘れるねん。2回しか渡してなかったか? そうかぁ、そうやったか……いや、もうボケとるなぁ、私! なんか他に忘れてることあるやろ? ない?」
焦る母の姿を見て、私は「大丈夫」と言って安心させるべきか、一瞬迷った。
だけど、実際には私はずっと感じていた不安を抑えきれず、気になっていたことを三つ伝えた。
(本当はあと二つあったけれど、その場で母を傷つけない言い方が思い浮かばず、飲み込んだ。)
母は「忘れないように」とノートにメモした。
けれど、その数分後には「この書き方じゃわかりにくい」と言い、書いた言葉を二重線で消した。
私は、その姿を見ながら思った。
きっと後で見返したとき、「なんで消したんやろ?」ってなるんやろうな。
そもそも、これまでにもノートにいろいろ書いてきたけど、「なんでこんなこと書いたんやろ?」「私、こんなん書いたっけ?」って、結局忘れてしまっていたし……。
母の記憶は、まだらだった。
ある部分は鮮明に覚えているのに、ある部分はぽっかり抜け落ちている。
それは、私自身にも少なからずあることだし、誰にでも起こりうることだとも思う。
でも、母の場合は違った。
記憶が、都合のいいように書き換えられてしまっている。
特に、父が亡くなる直前、肺炎になった頃から。母の記憶は急に曖昧になり、自分の中で「都合の良い形」に変化している。
おそらく、それは大きな精神的ストレスが影響しているのだろう。
それは理解できる。
でも、その影響を直に受ける私としては、たまったもんじゃない。
それでも、今日は最低限「そのうちちゃんと言わなければ」と思っていた話ができた。
母も「わかった」と言ってくれた。(本当に理解して、今後も覚えていてくれると信じたい。)
だけど、これから先、こういうことがどんどん増えていくんだろう。
人は忘れていく生き物だから——。
(そういえば、「すべて忘れてしまうから」ってドラマ、最近観たな。なかなか良かった。)
私は二人姉妹だ。
それなのに、なぜ私だけがこの重荷を背負わなければならないのか。
その理不尽な思いが、時々マグマのように腹の底で滾る。
でも、姉のように年老いた母を放っておくことは、私にはできない。
それをすれば、私は絶対に後悔する。
だから、これは未来の自分が後悔しないためにやっていることなんだ、と自分に言い聞かせる。
それに、狭いとはいえ賃貸ではなく持ち家で暮らせることも、毎日ちゃんとごはんを食べられることも、すべてご先祖様が遺してくれたもののおかげ。
母が元気で生きていてくれるおかげ。
私は、その遺産を享受しているのだ。
子どもの頃、あんなに「もっと二人の時間がほしい」と願った母と、最後まで一緒にいられる…それって、幸せなことじゃない?
そう思うようにしている。
でも、気持ちが揺らぐ瞬間がある。
感情がフラフラと、不安定に揺れ動く。
まだまだ、私は未熟だなぁ。
そんなことを思いながら、今日の出来事をここに記しておく。
