見出し画像

モンテッソーリ園から公立小学校へ。子どもの揺らぎと親の迷い

「学校なんか行きたくない!!!!!」

小学一年生になったばかりの我が子が涙ながらに訴えたとき、

(だよね……)

思わず感心してしまった親が私です。6歳の感性と意思の強さに。

たぶんこの現象、あちこちのご家庭で起きているんじゃなかろうか。


うちの子は就学前、モンテッソーリ教育の園で3年間を過ごしました。子ども本人の主体性を大切に、個々の発達段階に応じたプログラム(お仕事)を自ら選んで準備から片づけまでやる毎日。「自分のことは、自分でできるように」、穏やかに見守りサポートに徹してくださる先生方。

おかげで我が子は人の話をよく聞いて、自分の意思もはっきりと表明し、お友達と協働できて、手先が器用な子に育ちました。本人がもともと持っていたものでもあるけれど、それをすくすくと伸ばせたのは、やはり園の環境がとても大きいです。

下の子の世話に手を焼いて、我が家では「おうちモンテ」すらできなかったから。子どもと接する姿勢や発達の見方は、先生方にその都度教えてもらう生活でした。

「立派な小学生になれるね!」と送り出された卒園式。新しいランドセルを背負って嬉しそうな入学式。そしてほどなく、冒頭のように涙が止まらない朝…。


入学後、初めての参観日。何より衝撃を受けたのは「授業がつまらない」ことでした。大人の私でも退屈してしまうのに、この時間にじっと耐えて静かに座り続ける子どもたち、すごい…。

※ちょっと注釈を入れます。
学年が上がって思うのは、本当に「先生による」ということ。そして、一年生は「授業(お勉強)」よりも「学校に慣れる(生活)」のほうが大切だから、きっとそちらに強い先生が配置されていらっしゃるのかなと。

常に複数人の先生方に囲まれて、一人ひとりの個性や発達もしっかり見ていただいて、至れり尽くせりだった園生活…とは、まるで別世界な小学校。先生がお一人で教室の前から後ろまでぎっしり詰まった席に並ぶ生徒たちを見て、ほとんどずっと黒板前からの指導で、みんなで同じことを一斉にやる時間。

就学前後の環境があまりに違いすぎて、子どもにかかる負荷は相当なものだろうな、と驚いてしまったのでした。


泣いて訴える我が子に「学校に行きたくない理由」を尋ねると、

「宿題がいや」

「遊ぶ時間を削ってまでやりたくない」

「先生が勝手に決めるのがいや」

「みんなで同じことをしなきゃいけないのがいや」

「やりたくないのに、やらないと怒られるのがいや」

「やらなかったら、お昼休みにやらされるのがいや」

次から次に、しっかりとした理由が出てきます。

(だよね、分かるわ……)という共感は控えめに、ひとつずつ紙に記録していきました。「親の顔色で子どもを操作しないように」と夫の忠告もあったから、あくまでフラット、ちょっと子ども寄りの姿勢で。

ひととおり出し尽くしたあと、「じゃあ、どうなったらいいと思う?」要望を聞いてみると、

「宿題はないほうがいい」

「遊ぶことを宿題にしてほしい」

「どんなことを勉強するかは自分で選びたい」

などなど、笑顔を取り戻しながら次から次にアイデアを出してくれたのでした。

結局このときは、子どもの不満と要望をまとめて連絡帳に書き、「先生と直接お話ししておいで」と促すと学校へ。学校でお話ししたり、連絡帳でやり取りしたりする日が続きました。

その後も「やっぱり学校、行きたくない!」と泣く日がありながらも、登校時間には心の整理がつくのか、一度も休むことなく二年生に。登校も宿題も強制することなく(そもそも強制する気もないけれど)、励ますことで、どうにか今に至ります。


とはいえ、通っているから万事OK!では決してなくて。子どもが育つ環境、学ぶ内容、これでいいのかな…?と迷う日は続いています。

子どもがモンテッソーリ教育を受けた延長線上で、今はあべようこ先生の『小学生のためのモンテッソーリ教育』を読んだり、noteのメンバーシップに参加したりしながら学ばせていただいているところです。児童期以降のモンテッソーリ教育、面白くって仕方ない。

できることなら小学校でもモンテッソーリ教育を…と願えども、今住んでいる場所や家族の都合もあって、すぐに転校や移住をするのは難しくて。もう少し待てば教育の選択肢は広がるかもしれない、けれど、子どもの成長は決して待ってくれない。

私たちは私たちにできる範囲で、「今」必要なものを学んで、選んでいけたらと思います。

手厚い幼児教育から公立小学校に上がったギャップに戸惑っているお子さんや親御さん、きっと他にもいらっしゃるはず。noteを通して繋がったり、情報共有していけたら嬉しいです。


いいなと思ったら応援しよう!