牙を向いてはいけませんか?徳がないと言われますか?これを黙って、仕方がないとあきらめないといけませんか?― 戦後、医療と善意と家族の中で壊された一つの人生 ―
言葉がキツいと言われます。
優しい言葉を使えるようになりたいと思っています。
今の生活に満足して、
くだらない話をして、
「今」に感謝しながら開けていられるなら、
私はそうありたい。
46年間、仮面をかぶって生きてきました。
やっと「自分の人生という時間」を
体感できるようになったからです。
約10年服薬していた薬も、抜けました。
綺麗に抜け落ちそうな記憶を、
私は今も掴み続けています。
手放せれば楽なのは、
100も承知しています。
だけど、
私の親族は、みんな優しくて、賢い人たちでした。
ただ、環境が「戦後の教育」だった。
自由と呼べるものは、
3S政策の中にしかなかったのだと思います。
仕事で本気を出したら、
何をされるかわからない。
だから、
現役で東大に行けたはずだったおじは、
工場勤務になり、
「善」を通す会社に入っては潰され、
何度も転職を繰り返しました。
多くを語らず、
マージャンや競馬。
与えられたものの中で、
同士と過ごす時間を待っていたように思います。
プレスコードの存在を、
伝えることも、
知ることもできなかった。
祖父は、美大からテレビ局の裏方に転職しました。
葬儀は賑やかで、
慕われていたのだと思います。
けれど、
それを知る人は、もういません。
そんな祖父と結婚した祖母は、
結果的に「治験患者」のような扱いを受けました。
母は、昭和23年、
強制的に接種しなければならなかったBCGの副反応で
アトピー性皮膚炎になりました。
24時間泣き叫ぶ子どもを抱え、
祖母は周囲からも責められ、
ノイローゼになったのだと思います。
当時の治療法は、
頭に電気を流すことでした。
私は、これをどうしても
「仕方がなかった」
「戦争があったからね」
という感情になれませんでした。
これは、祖母と母の話です。
そして、
愛着障害を抱えた、
アスペルガー的な父の支配の話でもあります。
負のループの始まり。
モヤがかかります。
私の祖母は、
優秀な女学生でした。
戦後、
頭に電気を流され、
くすくすと笑う人になりました。
そんな人に、母は育てられました。
母は、
運動会も、授業参観も、
いつも一人でした。
どんな感情で、
育ったのだろうか。
本来は離れて住むはずでした。
けれど、
父の思いつきの「善」によって、
同居が始まりました。
父のズレた感覚で、
「人のために役に立ちたい」という
“良かれ”の押し付け。
愛着障害。
負の連鎖の始まり。
「同居はしない約束だったはず」
そう何度も言い合いました。
けれど、
父の善の思い込みで、同居になりました。
私が幼い頃、
父は病院で手術ミスに遭い、
死にかけたことがあります。
そこからだったのかもしれません。
母は仮面を被り、
父を完璧にサポートする存在になりました。
言いなりになることを、
「支えること」だと思い込んでいった。
それを居心地よく感じた父は、
その姿を「本当の母」だと思い込みました。
結婚して50年間、ずっと。
途中、
本当の母の姿が見えたとき、父は言いました。
「痴呆だー!」
「わしの言うことを聞かなくなった、ボケた!」
ボケていないのに。
10年以上、
会うたびに、
気になるたびに、
24時間監視。
そして医者に、
「妻がボケた」と言い続けました。
ボケたと言わせ、
脳ドックに行き、
曜日感覚がなくなる薬を飲まされました。
完全な痴呆の始まり。
私が話しても聞かない。
月に10分も話さない新人の医者、
教科書しか見ていない医者を信じる。
なぜ、信じられるのか。
「病院」という箱の中に入った
“毒”を信じた。
負のサイクル。
悪化しているのに、
この程度で済んでいる。
なぜ、気づかない?
人のためにやっている?
81年ずっと。
何をやってきたのだろう。
約30年前の話に戻ります。
祖母は、
食べることに幸せを求めました。
コーラとファンタに依存し、
糖尿病になりました。
ふらっと消えることもありました。
誰も話しませんでした。
「祖母はキチガイ」扱いだったから。
気位の高かった祖母の最期は、
自宅で口から泡を吹いている姿でした。
病院に搬送され、
助からない状態。
このまま終わらせてあげたい。
けれど、
医者は延命装置をつけました。
喉に穴を開けて。
祖母の一生は、
何だったのでしょうか。
戦後だから、仕方がなかったのでしょうか。
家から出たくない。
綺麗で、
気が強くて、
手先が器用な人だった。
でも、
誰もその姿を見たことがありません。
母が物心ついた頃から、
祖母は言葉をかけてくれなかった。
そんな母は今、
「私のことを思ってくれている父」
と言います。
薬の効果で、
父に意見をしなくなりました。
父の思惑通り。
それでも父は、
あれしろ、これしろと命じる。
薬を飲ませて悪化させ、
また「ボケた」と言う。
自分の言動を振り返ろうとしない。
言いなりの人間しか、好まない。
母の代わりに、
何かをすることはありません。
「医者に行け」
「ご飯は」
「おい」
言葉のサンドバッグ。
私には、
父の行為が、
人の人生を壊していくものに見えてしまいます。
こう感じる私は、
間違っているのでしょうか。
150年前からの構造だから、
仕方がない。
日本人が苦しめられても、仕方がない。
そう思って、
政府の言いなりになり、
子どもの可能性を潰し、
挑戦させず、
自我を殺し続けてきた。
そして、
生きることを諦めた頃に
「自由」という名の放置をするのでしょうか。
今、立ち上がり、
何かをしなければ、
何も変わらない。
「無関心」でいることが、
一番恐ろしいことではないでしょうか。
私は、
「天才」の家系の今を生きる人間です。
ここまで来たら、
進むしかないと思っています
怖くないわけがない。
私も人間です。
できることなら、
長いものに巻かれていたい。
無関心のまま死ねるのなら、
それでよかったのかもしれない。
それでも私は、
目の前の人が、
次々と消えていくのを
見たくなかった。
ただ、それだけです。
だから私は、
進むことを選びます。
