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なんのはなしですcar

 人は夏休みを取りたくなる。それは、小さな頃からカラダに染みついた一つの伝統芸能だと私は感じている。

 何年かに一度、私の職場にもそれは訪れる。この日、仕事をしないのに毎朝6時半にデスクに座る私に上司がやってきた。

「出番きたね。シーズンだよ」

「ほう。安心してください。コレだけのために、一年間指笛を我慢して、喉を大切にしてきましたから」

 今年の夏は、コレが起こることを予想し、私は一年間喉を温存してきた。この時、この瞬間に、最高の声が出せるために。

 2026年夏。私はオーライおじさんになった。

 染み付いた夏休みを満喫する初代オーライおじさんの代わりに、臨時二代目オーライおじさんとして、私は現場へ向かうことになった。

 夏の猛暑に、一日車を100台以上誘導するというミッションになる。なぜ私だけが毎回このミッションの助太刀要員として、派遣されることになるのか。それは、普段6時半に出社し、発声練習をしているからだと思う。

 私の上司は、私をしっかり見ている。

 ただオーライと言えば良いのかというと、それは違う。100台のうち、完璧なオーライは、一日にして数台にしかならない。私がいかに心を込めてオーライしても、運転手と息が合わないことが多いのも事実だ。

 オーライの先は、一人では見れない。

「そのままで良いんだよ。アナタ完璧だよ」

 と、心の中で絶賛しながらのオーライでも、運転手はミリ単位で車両の位置を直したりする。

 これは、運転手と私の一期一会の芸術なのだ。

 左手を駐車場の停車位置と平行にし、停車ギリギリのラインに伸ばす。ここから先はダメよの左手だ。この時、右手は90度にし、肘から上は天を突き抜けるようにする。指先に雷が落ちるかもしれないほど真っ直ぐだ。そして、ゆっくりと右手を下ろしながら、左手と平行の位置まで持っていき、心の底からオーライの掛け声と共に、右手を再び90度に持っていく。

 この、一連の作業を完璧にこなすには、心の中にある重要な要素が含まれてくる。

 邪念との戦いだ。

 私が、納得のオーライを出来るときは、必ず夕方くらいになる。心地よい身体的な疲労と、喉の疲労。飾るものがすべてなくなったときに、地声の先を披露できる芸術が存在するのだ。

 無心に勝るものはない。

 完璧なオーライをしたときに、過去一度だけ運転手に言われたことがある。

「君の指揮は心地よいね」

 私は、この言葉をいただいた時に、初めて指揮者の気持ちを知った。指揮とは誘うだけでなく、その奏者をも心地よくし、さらに相乗効果で再現できる完璧な舞台にする。

 一度だけの奇跡なら、それはきっと芸術とは言わない。

 以来、私はオーライを発するとき、私という音楽に委ねてみてほしいという気持ちで、行っている。

 ただ、未だに一度しか言われていないことを振り返ると、私の指揮はまだ独りよがりなのだとも感じる。

 オーライは、なかなか私に振り向かない。

 無心のオーライを発するには、私欲を捨てなければならない。私は、毎回最初のオーライから遊びたくなる。

 オーライの限界とはどこなのだろうかと知りたくなってしまうのだ。

 そもそも、オーライとは何なのか。英語の「all right(オールライト)」がもとになった言葉だと知る。では、all rightとは何なのか。

 それを知ってしまってからでは、私のオーライを言えないと封印している。

 では、私のオーライは、どこが限界なのか。コレを知るのにおよそ十台くらいを毎回費やしてしまう。

 私のオーライの限界は、サーライになる。

 アーライからはじまり、何も言われずにカ行まではクリアできる。駄菓子菓子、サ行でいつも躓いてしまう。

「今、なんて言った?」

 これを、言われてしまうのだ。この言葉を聞くと、私の限界を感じてしまうのだ。

「さぁせん」

 と、一応サ行で謝ってみると、案外突っ込まれることはないことはお知らせしておく。ここで、私の中のウォームアップは終わる。ここから、完璧なオーライを求めて進むのだが、世の中とは、ほぼほぼ私の邪魔をする。

 かなりタイプの女性運転手が、定期的にやってきてしまうのだ。

 バックミラー越しに目が合う。バックになれていないかなりタイプの女性運転手をどうしても助けたくなってしまう。

 さながら、一歩前へ出ては、一歩下がるというように、オーライをしてしまうのだ。一人逆再生かもしれない。そして、自分では何も意識していないのに、声が自分の声ではなくなる。

 少しでも良い声をお持ち帰りしてほしいと願うあまり、オーライが一回転してしまう。結果、2人で名曲を奏でることもなく、連絡先を聞かれることもなく、ただただ後悔だけが私を定期的に襲ってくる。唯一、反省点をあげるならば、バックの呼吸に私の恋の呼吸が合わないということだと思う。

 これを、オーライ症候群と私は名付けている。 

 オーライ症候群を乗り越え、現金おじさん軍団と立ち回り、なかなか戻らない昼食運転手たちを見守り、今日はもう無理かと考えはじめたときに、ようやくそれは起こる。

 すべてをあきらめると、理想が近付くことが世の中には起こる。

 私のオーライは、オーライとは思っていないのに、オーライと言っている。

 そういうときに限り、私のオーライとシンクロする車が現れる。私の右手が傾くスピードに合わせるようにスムーズにバックしてくる。

 無心の芸術だ。

 何回目かのオーライの瞬間。すなわち、右手が90度になる瞬間にピタっと車が停車する。私は、自然と言葉が出てしまう。

「はい。オッケーです」

 これは、停車をオッケーと言っているのではない。私たちのオーライは、完成しましたと伝えているのだ。

 オーライの完成品を見せた運転手は、私に囁く。

「いつもと違う人なんだ。どうしたの?」

 私は、答える。

「夏休みを、往来しているみたいです」

 こうして私は、二代目臨時オーライおじさんとして、完璧なオーライを伝えることが、今年もできた。

 この日の駐車台数は、101台だった。私は本社に送る日報に、「101台目のオーライはプロポーズなみでした」と添えた。

 駐車するときは息を合わせてね。

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クラファンチャレンジ中65人もありがとうございます↓

クラファンがピンチになっている理由。ただ完成度がハンパないから何も言えない↓

皆さんのA4フライヤーは、記事下段プレビューから見れます。最高です。これ、最終的には全員の作品を、当日カラーコピーして会場に貼ります↓


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