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【 小さな宿 】  83章 写真と建築の旅 ヨーロッパ編 020 パリ 水と大地に潜む心

昨夕、モンマルトルへの道すがら。
カンボン通り。
石畳に車の音が反響し、
街路樹の影がゆらりと揺れていた。

ガブリエル・シャネルの原点――
シャネル本店が、今もこの通りにある。

その後のいつか、
ただ覚えているのは、
誰かのために選んだリップスティック。

旅はまだ終わらない。
20日目の朝。
残りは50日。
今日はユネスコ本部へ。




ユネスコ本部

いくつかある作品群。

安藤忠雄の「瞑想の空間」に目を向けた。

純粋な円。
光の環。
小さな展示空間の中で、
コンクリートの厚みや光の取り入れ方が計算され、静かに整えられている。

湛えられた水盤。
光を受けて反射していた。
目を閉じ、呼吸を合わせると、
光と影の微かな揺らぎが、瞑想的な体験を促した。


同時に、ダニ・カラヴァンの作品にも触れる。
都市的スケールの巨大作品で知られる。
日記には、どこか窮屈そう、と。
少し笑えた。

ここでは最小限の構成の中で、
素材や形を通して静かな力を届ける。
光の反射、影の落ち方、形の余白――
無機質に見える二つの作品が、
感情の余白と重なり、
建築と彫刻の共通性を感じさせた。

今ではそう思える。





巨匠の仕事

もし私が安藤忠雄の作品を一つ、
いや二つ選んでいいとしたら――

本福寺水御堂。
楕円形の水盤の中にある階段。
そこを僧侶がゆっくりと降りていく様は、
生と死の境を行き来するかのよう。
写真で見た印象以上に、
息が止まるほどの静けさをもたらす。

南岳山光明寺。
自然の斜面に寄り添う本堂では、
水に揺らめく木々や光が建築に柔らかさを与える。
コンクリートとは異なる感触。
安藤氏の哲学は、しっかりと息づいていた。

氏の作品にしばしば感じられるのは、水と光。
空間のリズムが硬質な素材に微かな潤いを与え、
目を閉じ、呼吸を合わせたくなる体験を促す。
祈りや瞑想のような心の揺らぎが、
形や光、水の間にそっと宿っている。

ダニ・カラヴァンの作品も同様だ。
森や砂漠に点在し、
都市的スケールのランド・アートも手がける彫刻家。
光と影、素材と大地の調和を通して、
密度の濃い沈黙を放つ。




山里での再会

2年前の秋。
奈良の室生山上公園芸術の森。
妻と、その友人と共に。
彼女は、心が揺れ動いていた。
彼女だけではなかったのかもしれない。

日常を離れた。
紅葉を見ながら、車を走らせた。
2時間半かけて辿り着いた。
決して行きやすい場所ではないが、
この森の中でカラヴァンの作品と再会した瞬間、
旅の意味が静かに立ち上がる。

公園それ自体がカラヴァンの作品そのもの。
視覚だけでなく、空間そのものが心に触れる。
森に立ち尽くす。
友人の肩の力が少しずつ抜け、呼吸が整う。
私も。

25年前に無機質に見えた彫刻が、
今は感情を包み込み、調律する。
新たな印象のレイヤーが加わった。

生活から離れた小さな旅の末に、
森と作品に静かに救いを求めていたのかもしれない――

彼のいなくなった世界で、
そんな思いが胸に広がった。





オルセー美術館

1999年の夏に戻る。
元鉄道駅の大空間を活かしたオルセー美術館。
イタリア人建築家ガエ・アウレンティによる改装で、

天井高く鉄骨のボールトが広がる。
自然光と人工光が巧みに交わり、
展示室を柔らかく包む。

モネ、ルノワール、ドガの名作が並ぶ中、
偶然に目に入る小さな作品も心を奪う。

ルーヴルのように、
一つの注目作を目指して鑑賞するのではなく、
オルセーでは、
広大な空間の中で作品同士の関係や偶発的な出会い、
そんな突然の出会いを体験する感覚がある。
建築は、その時代を丸ごと引き受けていた。
柔らかな光の中で。

夕方にはへばっていた。
何を食べ、どの公園で休んだかは覚えていない。

眼前に佇むエッフェル塔さえ、
疲労と充足の中で朧げになっていた。



規模や知名度、投じられた資金に関わらず、
場所や空間、作品に注がれた思いが、
体験の意味を形作る。

水や石、光や素材、祈りや瞑想、
そして作者の思想や感情への寄り添い――
時間が流れても、純度はそこにあり続ける。

揺れる水盤、石の質感、光の残像――

触れた瞬間に残るその余韻は、
いつまでも微かな波紋を広げ続ける。



つづく



この日訪れた建築や場所:

ユネスコ寛容の広場
(ダニ・カラヴァン)


ユネスコ瞑想空間

(安藤忠雄)


オルセー美術館

(ガエ・アウレンティ)


ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸

(ル・コルビュジエ)


カナル・プリュス本社ビル
(リチャード・マイヤー)


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