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「自分の中にある無自覚」が怖い映画『MEN 同じ顔の男たち』ネタバレ有りレビュー


この記事は、この映画を観終えた後に読むと頭に入ってきやすいので、それを推奨しています。

  ***

静かな村は、だいたい信用できない。

これは経験則というより、映画を観すぎた人間の偏見だと思う。
でも私は、あのイギリスのどこまでも緑で、どこまでも湿った空気を見た瞬間に、「あ、ここでは絶対に何かが起こる」と確信してしまった。

MEN 同じ顔の男たち。
見ようと思ったとき、正直ここまで嫌な気持ちになるとは思っていなかった。

物語は、ハーパーという女性が、夫ジェームズの死後、心を休めるために田舎の一軒家へ滞在するところから始まる。
でもその「死」が、まず重い。
自殺なのか、事故なのか、突き落としたのか。
いや、もっと正確に言えば、彼を追い詰めたのは誰なのか。

あの口論のシーン。
「お前のせいだ」
「脅しだろ」
「死んだら一生罪悪感を抱えろ」
あの言葉の応酬が、ずっと喉に刺さったまま、物語は進む。

そして村にいる男たちが、全員同じ顔をしているという異常。

神父も、警官も、子どもも、家主も。
みんな同じ顔。

正直、最初は「演出の遊びかな?」くらいに思った。
でも違った。
これは遊びじゃない。
これは圧だ。

ハーパーが森で出会う全裸の男。
トンネルの向こうから追いかけてくる影。
教会で「あなたのせいです」と囁く神父。
「あなたは誘惑した」と言わんばかりの視線。

どれもこれも、直接的な暴力というより、
責任を押し付ける空気の集合体だった。

この映画、幽霊よりも怖いのは、
「無自覚な加害性」だと思う。

誰もが「悪気はない」顔をしている。
でも全員が同じ顔。

あの設定、めちゃくちゃ残酷じゃない?

個人じゃないの。
構造なの。

夫ジェームズの「死ぬぞ」という脅しも、神父の説教も、少年の性的なからかいも、全部ベクトルは同じ。

「お前が悪い」

ハーパーがどれだけ冷静でも、どれだけ距離を取ろうとしても、向こうはずっと近づいてくる。

あのトンネルの反響シーン。
ハーパーが声を出して、それが美しく響く瞬間。

あそこだけは、少し救いだった。
自分の声が、自分のために返ってくる。
あれはこの映画で唯一の自分の空間だった気がする。

でもそれすら、すぐに侵食される。

そして、あの終盤。
あれはもう、ホラーというより、
悪夢の生物学実験。

男が男を産み、また男が産まれ、血と粘液の中で連鎖する、同じ顔。

正直、私はあのシーンで笑ってしまった。
怖すぎて。
意味が分からなすぎて。
でも目は逸らせなかった。

あれは、「終わらない再生産」だと思った。

暴力も、支配も、被害者意識も、全部、形を変えて受け継がれる。

最後に出てきたのは、結局ジェームズだった。

「愛してる」

その一言で全部許されると思ってる顔。

私はあの瞬間、ゾッとした。
それ、最後まで「自分の話」なんだねって。

ハーパーが涙を流すラスト。
あれは悲しみなのか、解放なのか、疲労なのか。

たぶん全部だと思う。

この映画は分かりやすくない。
親切でもない。
観客に説明もしない。

でも私は、
嫌いじゃない。

むしろ、刺さった。

ホラーって、幽霊が出ることじゃない。

自分の中に「何度も思い出してしまう何か」を残すことだ。

この映画は、確実に残る。

  ***

見終えた後、怖い、というより、疲れた。

それはきっと、ハーパーと一緒に、説明のつかない責任、をずっと背負わされていたからだと思う。

アレックス・ガーランド監督は、たぶん観客に答えを渡す気なんて最初からなかった。
ただ、「どう感じた?」って、静かに問いかけてくる。

神父のあの言葉。
「あなたが誘惑したのでは?」

あの瞬間、私は画面越しに息を呑んだ。
だって、あまりにも現実的なんだもの。

直接殴られるより、「あなたにも原因がある」と言われるほうが、じわじわ効く。

この映画に出てくる男たちは、あからさまな悪魔じゃない。

むしろ、どこにでもいそうな顔をしている。

親切そうな家主。
法律を盾にする警官。
思春期の悪意を持つ少年。
善意を装う神父。

でも全部、同じ顔。

あれはきっと、「個人の問題じゃない」ってことなんだと思う。

私は途中から、同じ顔が怖いというより、区別できないことが怖くなった。

どこからが加害で、どこまでが無意識で、どこからが文化で、どこまでが個人なのか。

境界が、ずっと曖昧。

そして、あの出産の連鎖。

あれを「キモい」で終わらせるのは簡単なんだけど、私はあれを見ながら、妙に冷静になっていた。

ああ、これ、ずっと続くんだって。

形を変えて、言葉を変えて、立場を変えて。

でも中身は同じ。

ジェームズが最後に現れたとき、私は少しだけホッとした。
「あ、顔が違う」と思ったから。

でも違った。

顔は違っても、構造は同じ。

「俺は被害者だ」
「俺は傷ついている」
「だからお前は俺を支えろ」

それを愛と呼ぶのは、ちょっと乱暴だと思う。

この映画は、男性批判だとか、フェミニズムだとか、そういう単純なラベルでは語れない。

もっと曖昧で、もっと根深い。

ハーパーが最後に座り込んで、友人がやってきて、血まみれの庭で二人が並ぶあの静かな画。

あれ、すごく良かった。

説明もない。
カタルシスもない。
でも、「終わった」という空気だけがある。

完全に解決はしていない。
でも、ハーパーは生きている。

私はあのラストを、勝利じゃなくて、生存だと思った。

この映画を人に勧めるかと言われたら、正直、迷う。

気持ち良くはない。
スカッともしない。
優しくもない。

でも、心のどこかに小さな棘を刺したい人には、きっと向いている。

観たあと、しばらく誰かの言葉を疑いたくなる。

「それ、本当に私のせい?」

そう問い直せるようになる。

それだけでも、この映画は意味がある気がする。

  ***

この映画を観終えて、感想を書こうと思ったけれど。

うまく言葉にできなかったからじゃない。
むしろ、言葉にしたくなかった。

自分の中の、少し暗い部分が静かに揺れていたから。

私はこれまで、「言葉」で救われてきた人間だ。
誰かの一言で立ち直ったこともあるし、逆に、たった一言で何日も引きずったこともある。

『MEN』を観て一番刺さったのは、物理的な暴力よりも、あの言葉の責任転嫁だった。

「お前が冷たいから」
「お前が拒否したから」
「お前が誘惑したから」

直接的じゃない。
でも、確実に削られる。

ジェームズが落ちる直前のあの目。
怒りとも、悲しみとも、執着ともつかないあの視線。

私はあれを、
「最後まで自分中心の目」だと思ってしまった。

それが正しい解釈かは分からない。
でも、そう見えた。

そして、あの異様な出産の連鎖。

あれはきっと、同じものが、同じまま、生まれ続ける、という象徴なんだろう。

価値観も、怒りも、被害者意識も。

でも、私はあのシーンで、ほんの少しだけ救いも感じた。

だって、全部「生まれてきている」んだもの。

作られているんじゃなくて、生まれてきてしまっている。

それってつまり、環境や歴史や構造の中で、人もまた「産み落とされている」ということだと思った。

だからと言って許されるわけじゃない。
でも、単純な悪ではない。

そこが、この映画の気持ち悪さであり、同時に誠実さでもある気がする。

私はこの映画を、「男性が怖い映画」だとは思っていない。

むしろ、「自分の中にある無自覚」が怖い映画だと思っている。

誰かに責任を押し付けていないか。
自分の痛みを、誰かのせいにしていないか。

それは性別を超えて、全員の話だ。

ハーパーが最後に流した涙。

あれはきっと、悲しみでも怒りでもなく、「やっと終わった」という疲労の涙だと思う。

戦い切った人の顔だった。

勝っていない。
でも、飲み込まれてもいない。

生きている。

それだけで、十分なんだと思う。

この映画は、分かりやすくないし、正直、人に優しくもない。

でも私は、こういう映画が嫌いになれない。

だって、観たあと、ちゃんと考えてしまうから。

トンネルで反響したハーパーの声みたいに、自分の中で、何度も響く。

「それ、本当に私のせい?」

そう問い直せる夜があるなら、この映画はきっと無駄じゃない。

プライムビデオで、何気なく再生した一本。
でも、しばらくは忘れないと思う。

気持ち良くはない。
でも、残る。

ホラーって、そういうものだと、私は思う。

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