「自分の中にある無自覚」が怖い映画『MEN 同じ顔の男たち』ネタバレ有りレビュー
この記事は、この映画を観終えた後に読むと頭に入ってきやすいので、それを推奨しています。
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静かな村は、だいたい信用できない。
これは経験則というより、映画を観すぎた人間の偏見だと思う。
でも私は、あのイギリスのどこまでも緑で、どこまでも湿った空気を見た瞬間に、「あ、ここでは絶対に何かが起こる」と確信してしまった。
MEN 同じ顔の男たち。
見ようと思ったとき、正直ここまで嫌な気持ちになるとは思っていなかった。
物語は、ハーパーという女性が、夫ジェームズの死後、心を休めるために田舎の一軒家へ滞在するところから始まる。
でもその「死」が、まず重い。
自殺なのか、事故なのか、突き落としたのか。
いや、もっと正確に言えば、彼を追い詰めたのは誰なのか。
あの口論のシーン。
「お前のせいだ」
「脅しだろ」
「死んだら一生罪悪感を抱えろ」
あの言葉の応酬が、ずっと喉に刺さったまま、物語は進む。
そして村にいる男たちが、全員同じ顔をしているという異常。
神父も、警官も、子どもも、家主も。
みんな同じ顔。
正直、最初は「演出の遊びかな?」くらいに思った。
でも違った。
これは遊びじゃない。
これは圧だ。
ハーパーが森で出会う全裸の男。
トンネルの向こうから追いかけてくる影。
教会で「あなたのせいです」と囁く神父。
「あなたは誘惑した」と言わんばかりの視線。
どれもこれも、直接的な暴力というより、
責任を押し付ける空気の集合体だった。
この映画、幽霊よりも怖いのは、
「無自覚な加害性」だと思う。
誰もが「悪気はない」顔をしている。
でも全員が同じ顔。
あの設定、めちゃくちゃ残酷じゃない?
個人じゃないの。
構造なの。
夫ジェームズの「死ぬぞ」という脅しも、神父の説教も、少年の性的なからかいも、全部ベクトルは同じ。
「お前が悪い」
ハーパーがどれだけ冷静でも、どれだけ距離を取ろうとしても、向こうはずっと近づいてくる。
あのトンネルの反響シーン。
ハーパーが声を出して、それが美しく響く瞬間。
あそこだけは、少し救いだった。
自分の声が、自分のために返ってくる。
あれはこの映画で唯一の自分の空間だった気がする。
でもそれすら、すぐに侵食される。
そして、あの終盤。
あれはもう、ホラーというより、
悪夢の生物学実験。
男が男を産み、また男が産まれ、血と粘液の中で連鎖する、同じ顔。
正直、私はあのシーンで笑ってしまった。
怖すぎて。
意味が分からなすぎて。
でも目は逸らせなかった。
あれは、「終わらない再生産」だと思った。
暴力も、支配も、被害者意識も、全部、形を変えて受け継がれる。
最後に出てきたのは、結局ジェームズだった。
「愛してる」
その一言で全部許されると思ってる顔。
私はあの瞬間、ゾッとした。
それ、最後まで「自分の話」なんだねって。
ハーパーが涙を流すラスト。
あれは悲しみなのか、解放なのか、疲労なのか。
たぶん全部だと思う。
この映画は分かりやすくない。
親切でもない。
観客に説明もしない。
でも私は、
嫌いじゃない。
むしろ、刺さった。
ホラーって、幽霊が出ることじゃない。
自分の中に「何度も思い出してしまう何か」を残すことだ。
この映画は、確実に残る。
***
見終えた後、怖い、というより、疲れた。
それはきっと、ハーパーと一緒に、説明のつかない責任、をずっと背負わされていたからだと思う。
アレックス・ガーランド監督は、たぶん観客に答えを渡す気なんて最初からなかった。
ただ、「どう感じた?」って、静かに問いかけてくる。
神父のあの言葉。
「あなたが誘惑したのでは?」
あの瞬間、私は画面越しに息を呑んだ。
だって、あまりにも現実的なんだもの。
直接殴られるより、「あなたにも原因がある」と言われるほうが、じわじわ効く。
この映画に出てくる男たちは、あからさまな悪魔じゃない。
むしろ、どこにでもいそうな顔をしている。
親切そうな家主。
法律を盾にする警官。
思春期の悪意を持つ少年。
善意を装う神父。
でも全部、同じ顔。
あれはきっと、「個人の問題じゃない」ってことなんだと思う。
私は途中から、同じ顔が怖いというより、区別できないことが怖くなった。
どこからが加害で、どこまでが無意識で、どこからが文化で、どこまでが個人なのか。
境界が、ずっと曖昧。
そして、あの出産の連鎖。
あれを「キモい」で終わらせるのは簡単なんだけど、私はあれを見ながら、妙に冷静になっていた。
ああ、これ、ずっと続くんだって。
形を変えて、言葉を変えて、立場を変えて。
でも中身は同じ。
ジェームズが最後に現れたとき、私は少しだけホッとした。
「あ、顔が違う」と思ったから。
でも違った。
顔は違っても、構造は同じ。
「俺は被害者だ」
「俺は傷ついている」
「だからお前は俺を支えろ」
それを愛と呼ぶのは、ちょっと乱暴だと思う。
この映画は、男性批判だとか、フェミニズムだとか、そういう単純なラベルでは語れない。
もっと曖昧で、もっと根深い。
ハーパーが最後に座り込んで、友人がやってきて、血まみれの庭で二人が並ぶあの静かな画。
あれ、すごく良かった。
説明もない。
カタルシスもない。
でも、「終わった」という空気だけがある。
完全に解決はしていない。
でも、ハーパーは生きている。
私はあのラストを、勝利じゃなくて、生存だと思った。
この映画を人に勧めるかと言われたら、正直、迷う。
気持ち良くはない。
スカッともしない。
優しくもない。
でも、心のどこかに小さな棘を刺したい人には、きっと向いている。
観たあと、しばらく誰かの言葉を疑いたくなる。
「それ、本当に私のせい?」
そう問い直せるようになる。
それだけでも、この映画は意味がある気がする。
***
この映画を観終えて、感想を書こうと思ったけれど。
うまく言葉にできなかったからじゃない。
むしろ、言葉にしたくなかった。
自分の中の、少し暗い部分が静かに揺れていたから。
私はこれまで、「言葉」で救われてきた人間だ。
誰かの一言で立ち直ったこともあるし、逆に、たった一言で何日も引きずったこともある。
『MEN』を観て一番刺さったのは、物理的な暴力よりも、あの言葉の責任転嫁だった。
「お前が冷たいから」
「お前が拒否したから」
「お前が誘惑したから」
直接的じゃない。
でも、確実に削られる。
ジェームズが落ちる直前のあの目。
怒りとも、悲しみとも、執着ともつかないあの視線。
私はあれを、
「最後まで自分中心の目」だと思ってしまった。
それが正しい解釈かは分からない。
でも、そう見えた。
そして、あの異様な出産の連鎖。
あれはきっと、同じものが、同じまま、生まれ続ける、という象徴なんだろう。
価値観も、怒りも、被害者意識も。
でも、私はあのシーンで、ほんの少しだけ救いも感じた。
だって、全部「生まれてきている」んだもの。
作られているんじゃなくて、生まれてきてしまっている。
それってつまり、環境や歴史や構造の中で、人もまた「産み落とされている」ということだと思った。
だからと言って許されるわけじゃない。
でも、単純な悪ではない。
そこが、この映画の気持ち悪さであり、同時に誠実さでもある気がする。
私はこの映画を、「男性が怖い映画」だとは思っていない。
むしろ、「自分の中にある無自覚」が怖い映画だと思っている。
誰かに責任を押し付けていないか。
自分の痛みを、誰かのせいにしていないか。
それは性別を超えて、全員の話だ。
ハーパーが最後に流した涙。
あれはきっと、悲しみでも怒りでもなく、「やっと終わった」という疲労の涙だと思う。
戦い切った人の顔だった。
勝っていない。
でも、飲み込まれてもいない。
生きている。
それだけで、十分なんだと思う。
この映画は、分かりやすくないし、正直、人に優しくもない。
でも私は、こういう映画が嫌いになれない。
だって、観たあと、ちゃんと考えてしまうから。
トンネルで反響したハーパーの声みたいに、自分の中で、何度も響く。
「それ、本当に私のせい?」
そう問い直せる夜があるなら、この映画はきっと無駄じゃない。
プライムビデオで、何気なく再生した一本。
でも、しばらくは忘れないと思う。
気持ち良くはない。
でも、残る。
ホラーって、そういうものだと、私は思う。
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