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主体的に生きる人は、〇〇が違った!

被害者意識ではなく
主体性を持って生きよう!

受動的でなく、
能動的に生きよう!


よく耳にするこのたぐいの話


うんうん、
頭では理解できる

言葉の意味も分かる


これまで
聞き飽きるくらい
聞いてきた


でも、
長年、
被害者意識で生きてきた私にとって


じゃあ、どうやって?


は別物だった、、、。



頭で理解できても
じゃあ、明日から主体的に生きますって
生きれたら
そりゃ苦労しないよね


被害者意識になってしまう人は
そうなってしまう 
根本的な原因
があるから
自動にそうゆう思考になってしまうわけで、、


その原因も
分からないまま
主体的に生きようとしても
たぶん2.3時間後には
もう忘れて
もともとの被害者意識で
生きてると思う
(実体験w)




th possible100を聴き始めて
私の中で
小さな変化が
たくさん怒っている


まだその道すがらなんだけど

一番大きい変化が

身体感覚の変化だ


被害者意識になってしまう人
主体的に生きれる人って
根本的に
一つ、
大きな違いがあった、
と分かった


それが、、、
身体感覚

『自分がいる』という感覚で
生きているかどうか

だった。。



これは
言葉だけで理解出来るものではなくて
文章で書くのは
難しいんだけど
感覚で言うと

丹田や子宮、膣ら辺の
下腹部に
意識、力を向けることで
下から湧き上がってくる
生きる強さ、パワーのようなもの


この力の感覚が
身体の芯を立て
自分の軸を立て
自分という存在を自覚させてくれる


プラス
足の爪の先から
頭の先まで 
全身の隅々まで意識を巡らす


巡らしながら
全身に呼吸を通す


私はここに居る
という感覚を
掴んでいく



これまで
自分は自分を生きている、
と思っていたけど
実は
そうじゃなかった

自分というものが
定まってなくて
いつも
ふわふわとしてた

もちろん身体の感覚も
感じられない
ひょろひょろしてて
押されたら
すぐよろけるような人間だった



ただ
大きな社会の中に
ポツンと置かれた
ちっちゃな置き物みたいな


社会の荒波に
影響され
流されて
ただたどり着くところに
着くだけ

だから
社会の中の人目にいつも
怯えて
人からなんて思われるか、
ばかり気にしていた


外からの目が
世界の中心


その世界しか知らなかったし
それを自分でコントロールできるなんて
発想もなかった


この生き方は
一見、楽そうに見える


ただ流されてるだけだから


ただ濁流に飲み込まれて
日々、愚痴を吐きながら
なんとか生存してるような状態


しかし
この状態だと
決定権は自分になく
目のの結果は自分の責任ではなくなる

環境のせい、人のせい、
社会のせい、
全て〇〇のせい
にカテゴライズされる

そうなってくると
自分は被害者だ




一方
主体的に生きる人には
『自分がいる』という自覚がある


この強い自覚は
身体感覚と結びついている

足の指を開いて
真っ直ぐ立つ

丹田に力を感じながら
頭の先まで意識を張り巡らせる


(よく経営者ほど
ジムに行くと言われるが、
主体的に自ら決定していかないと
いけない立場だと
この身体感覚がないと
立っていられないからではないか?
と勝手に思っている)

(相互作用で
鍛えれば
心も強くなったような気持ちになるものだし)


かと言って
筋力さえあれば良いっていうものでもない


その筋力に
イメージとして
自分が自立している感覚が
結びついていないと意味がない


筋肉に
自分の足で立ち
自分の軸で歩く
自分の身体で生きている、という
自覚をリンクさせることで
本当の意味での
自分が居るという感覚になるのだと思う


で、
この感覚があるか、どうか、

主体的性まで変わっていく



『自分がいる』
という感覚で
人生を歩もうとした時


ぶれない軸を
身体感覚で感じながら
自ら考え
自ら選び
自ら行動することの連続になる


自分で選び取った事の
責任を自分で負うという
メンタルの強さも
この身体感覚の強さがあるからこそ
持てるものだと思う


自分がここに居る
という自覚があるからこそ
自分の足で歩いている、
と感じられるのだ




周りの環境や
人の意見もあるけども、

その群衆に自分が飲まれることがない
いつでも自分はここにある(丹田の感覚)
という
心の強さにも繋がる


そうゆう人は
言動が強く揺るぎない

自分の芯から発している、
ブレない軸を持っている、
と強く感じられる


それは
言葉の内容というよりも
言葉から感じる覇気のようなもの


不思議なもので
最近は
少し喋っただけで
自分が居る人なのか、どうか
すぐに分かる


そのくらい
言葉のエネルギーに
存在の有無が乗っかっている




本音で向き合う
ということも
自分がここに居るという
身体感覚がないと出来ない


人目を気にして
自分が空っぽであれば
グラグラしてしまって
本音で話すのとは
とても難しい



そのくらい
身体の軸が整ってないと
出来ないことだ



この自分はここに居る、
という身体感覚こそ、
主体性のある人と
ない人の違いなのだと思う



私も絶賛、
特訓中だが
最近は
身体の体幹を
もっともっと鍛えたくなっている


その状態の方が
身体が楽だし
立っていても
歩いていても
呼吸していても
心地よいということが
分かったから


反対に
背中を丸めたり
姿勢が悪くなる時間が続くと
とてもイライラしてくるように
なった


本来の正位置じゃないことを
本能的に分かってきたのかな


やっぱり
心と身体は繋がってるし
奥深いなぁと思う


もっともっと
日々、意識していきたい





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