在宅勤務は、なぜダメなんですか?――「外出を控えて」と言われる日に、なぜ会社へ行くのか
「在宅勤務を完全廃止した」
GMOインターネットグループの熊谷正寿代表が、そんな趣旨の発信をして、ネット上で大きな反響を呼びました。
熊谷氏は、在宅勤務では「時間当たりのPCタイピング数」が減っていると説明。
さらに、
「トータルで在宅勤務はマイナス」
「負ける要素は排除する」
といった強い言葉を使いました。
その後、熊谷氏は、廃止したのはグループとしての「在宅勤務の推奨」であり、在宅勤務という働き方そのものを否定したわけではないと説明しています。
また、強い表現によって誤解を生んだとして、謝意も示しました。
それでも、多くの人の頭には、一つの疑問が残ったのではないでしょうか。
在宅勤務は、なぜダメなんですか?
もちろん、在宅勤務にも問題はあります。
自宅では集中できない人もいます。
上司や同僚とのコミュニケーションが減り、相談しにくくなることもあります。
新しく入った社員にとっては、会社の仕事の進め方を覚える機会が減ってしまうかもしれません。
反対に、出社にも利点があります。
顔を合わせれば、短い会話から問題が解決することがあります。
予定されていなかった雑談から、アイデアが生まれることもあります。
だから、私は、
「在宅勤務こそ正しい」
と言いたいわけではありません。
しかし、
「全員、原則出社」
と決めてしまうことも、本当に正しいのでしょうか。
「危険なので、外出を控えてください」
夏になると、テレビやスマートフォンから、繰り返し警告が届きます。
「危険な暑さです」
「不要不急の外出を控えてください」
「涼しい場所で過ごしてください」
熱中症特別警戒アラートが発表されるような暑さでは、人の健康に重大な被害が生じるおそれがあります。
環境省は、すべての人に涼しい環境で過ごすよう求めています。
さらに、経営者などの管理者に対しても、熱中症対策を徹底できない場合には、外出やイベントの中止、延期、変更を判断するよう呼びかけています。
その変更には、リモートワークへの切り替えも含まれます。
国は言います。
危険なので、外出を控えてください。
会社は言います。
仕事なので、出社してください。
社員は、どちらに従えばよいのでしょうか。
家から会社まで、冷房の効いた空間だけを移動できる人ばかりではありません。
駅まで歩きます。
電車を待ちます。
混雑したホームに立ちます。
駅から会社まで、また歩きます。
高齢の社員もいます。
持病のある社員もいます。
体調を崩したばかりの社員もいます。
それでも、
「原則だから」
という理由だけで出社させるのでしょうか。
出社することは、仕事なのでしょうか
ここで、問いを変えてみます。
在宅勤務がよいのか。
出社がよいのか。
その二つを比べる前に、もっと根本的なことを考える必要があります。
会社が社員に求めているものは、出社なのでしょうか。
それとも、成果なのでしょうか。
朝、決められた時間に会社へ来る。
自分の席に座る。
パソコンを開く。
キーボードを打つ。
上司から見える場所にいる。
それらは、「働いているように見える状態」をつくります。
しかし、それ自体が仕事の成果ではありません。
会社へ来ただけでは、商品は売れません。
自分の席に座っただけでは、問題は解決しません。
キーボードをたくさん打っただけでは、顧客に価値を届けたことにはなりません。
出社は、仕事をするための手段です。
在宅勤務も、仕事をするための手段です。
どちらも目的ではありません。

タイピング数は、生産性なのでしょうか
熊谷氏の発言で、特に注目されたのが「PCタイピング数」でした。
確かに、データを入力する仕事であれば、タイピング数が作業量を示すことはあるでしょう。
しかし、すべての仕事を、それで測ることはできません。
企画を考えている人は、手を止めることがあります。
重要な判断をする人は、資料を読みながら長い時間をかけて考えることがあります。
顧客の話を聞いている人は、その間、キーボードを打っていません。
部下から相談を受けている上司も、タイピング数は増えません。
では、その時間は仕事をしていないのでしょうか。
むしろ、文章を書く仕事でも、考えが整理されていれば、短い時間で本質を突いた文章を書けます。
考えがまとまっていなければ、長時間キーボードを打ち続けても、何も伝わらない文章が出来上がります。
タイピング数で測れるのは、パソコン上で行われた一つの動作です。
仕事によっては参考になるでしょう。
しかし、それをそのまま「成果」に変換してしまうと、仕事の本質を見誤ります。
たくさん打った人が、たくさん価値を生み出したとは限らない。
当たり前のことです。
けれど、成果を定義できていない会社ほど、目に見える動作を測りたがります。
出社しているか。
席に座っているか。
パソコンを動かしているか。
すぐに返事をするか。
それらは、測りやすいからです。
一方で、
何を改善したのか。
どんな問題を解決したのか。
顧客にどんな価値を届けたのか。
チームの仕事をどれだけ前へ進めたのか。
こうした本当の成果を測るのは、簡単ではありません。
だから、成果ではなく、行動を監視する。
それは、管理としては楽かもしれません。
しかし、本当に経営なのでしょうか。
在宅勤務ではなく、「一律」が問題なのではないか
在宅勤務に向いている仕事もあります。
向いていない仕事もあります。
一人で集中して考える仕事なら、自宅の方が進む人もいるでしょう。
複数の人が、その場で相談しながら進める仕事なら、出社した方がよいかもしれません。
家庭の事情も、人によって違います。
介護をしている人がいます。
子育てをしている人がいます。
通院が必要な人もいます。
会社の近くに住んでいる人もいれば、片道一時間半かけて通勤している人もいます。
それなのに、
「全員出社」
「全員在宅」
と、一つの働き方を全員に当てはめる。
問題は、在宅勤務そのものではありません。
人も仕事も違うのに、同じ働き方をコピーすること。
そこに問題があるのではないでしょうか。
会社はよく、「多様性が大切だ」と言います。
年齢、性別、国籍、経歴。
さまざまな人材を受け入れると宣言します。
しかし、働き方については、
「全員、同じ時間に来てください」
「全員、同じ場所で働いてください」
「全員、同じ方法に従ってください」
と求めます。
人材の多様性を掲げながら、働き方を均一化する。
それで、本当に多様性を生かせるのでしょうか。

「管理しやすい」と「成果が出る」は違う
社員が会社にいれば、上司は安心します。
席にいることが確認できます。
声をかければ、すぐに返事が返ってきます。
何をしているのかも、何となく見えます。
在宅勤務になると、それが見えなくなります。
ちゃんと働いているのか。
さぼっていないか。
勤務時間中に別のことをしていないか。
不安になる上司もいるでしょう。
しかし、その不安は、社員の問題なのでしょうか。
もしかすると、
部下の成果を定義できていない。
仕事の進捗を確認する方法を持っていない。
信頼関係をつくれていない。
という、マネジメント側の問題かもしれません。
会社に来なければ管理できない。
目の前にいなければ、働いているか分からない。
それは、在宅勤務の限界ではありません。
管理方法の限界です。
原則出社にすれば、その問題は見えなくなります。
社員が目の前に戻ってくるからです。
しかし、問題が解決したわけではありません。
見えなくなっただけです。
安全よりも、原則が優先されるのか
もちろん、会社には事業を続ける責任があります。
顧客へのサービスを止めることはできません。
出社しなければ成立しない仕事もあります。
店舗、工場、物流、医療、介護、建設。
現場に人がいなければ、動かない仕事はたくさんあります。
だから、すべての仕事を在宅にすればよいわけではありません。
ただし、在宅でできる仕事まで、なぜ出社させるのでしょうか。
特に、危険な暑さが予想されている日に。
「原則出社だから」
という理由だけで社員を移動させるなら、会社は少なくとも説明しなければなりません。
なぜ、今日、出社する必要があるのか。
自宅では、なぜできないのか。
出社によって、どんな成果が増えるのか。
社員が通勤中に体調を崩す危険と比べても、出社させる合理性があるのか。
それを説明せず、
「会社の方針です」
「みんな来ています」
「在宅では生産性が落ちます」
とだけ言う。
それでは、判断ではありません。
命令です。
働く場所は、「問い」から決める
在宅勤務をめぐる議論では、たくさんの事象が並びます。
タイピング数が減った。
会話が減った。
通勤時間がなくなった。
集中しやすくなった。
社員が孤立した。
離職率が下がった。
アイデアが生まれにくくなった。
育児や介護と両立しやすくなった。
どれも、事象です。
そのまま並べても、答えは出ません。
必要なのは、それらを照らす「問い」です。
この仕事では、何を成果とするのか。
この問いを懐中電灯にして、目の前の事象を照らします。
すると、その仕事に必要なものだけが光ります。
顧客との対話が必要なのか。
一人で考える時間が必要なのか。
機密情報を扱うのか。
その場所にしかない設備を使うのか。
対面で育成する必要があるのか。
移動による危険はどれほどあるのか。
それらを選び出す行為が「焦点」です。
焦点を定めれば、バラバラだった事象が「情報」に変わります。
そして、情報を組み合わせることで、
「この仕事は出社が必要だ」
「この仕事は在宅でも成果を出せる」
「今日は危険なので、在宅へ変更する」
という「意味」が生まれます。
最後に、その意味を社員が行動できる言葉へ変換します。
明日の会議は対面で行います。
ただし、それ以外の業務は在宅で構いません。
熱中症警戒アラートが出ているため、今日は原則在宅とします。
新入社員の育成期間中は週三日出社し、その後は業務内容に応じて選択できます。
これが「メッセージ」です。

「原則出社」
その一言だけでは、問いも、焦点も、意味も見えません。
経営者の仕事は、働く場所を決めることではない
在宅勤務が正解なのではありません。
出社が間違いなのでもありません。
仕事によって違います。
人によって違います。
そして、その日の状況によっても違います。
だからこそ、経営者の仕事は、
「全員、会社へ来なさい」
と決めることではないはずです。
何を成果とするのかを明らかにする。
その成果を出すために、どんな環境が必要なのかを考える。
社員の事情と安全を踏まえて、働く場所を選べるようにする。
そして、選んだ理由を社員に説明する。
それが、経営ではないでしょうか。
在宅勤務を認めることは、社員を甘やかすことではありません。
成果が出る場所を選ぶことです。
危険が迫っているときには、命を守れる場所へ移すことです。
「出社」は、仕事の目的ではありません。
働くための、いくつかある手段の一つです。
国から、
「危険なので、外出を控えてください」
と言われる日があります。
そんな日にまで、会社が、
「原則なので、出社してください」
と言うのなら、私は聞きたい。
在宅勤務は、なぜダメなんですか?
そして、もう一つ。
今日、社員を会社へ来させることで、いったい何が生まれるのですか?
その答えを説明できないのなら、守ろうとしているのは仕事の成果ではありません。
経営者が慣れ親しんだ、会社の景色なのかもしれません。
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今回取り上げたのは、在宅勤務そのものの良し悪しではありません。
人も、仕事も、置かれた状況も違うのに、経営者の考えた一つの答えを、全員へ当てはめてしまうこと。
そして、「安全が大切だ」「多様性が大切だ」と言いながら、社員が実際に選べる行動を用意しないことです。
会社で起きる問題の多くは、制度がないから起きるのではありません。
経営者や上司の考えを、そのまま社員へコピーしようとしたときに起きます。
私は、目の前の出来事を並べるだけではなく、そこに問いを立て、焦点を当て、読者が持ち帰れるメッセージへ「変換」しています。
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