オレゴンへ向かう道 ~準備と原体験の記憶~
前回の記事で「なぜオレゴンに行ったか」の道筋を話したけど、 ここからは、旅の始まりと、私の「原体験」について記しておきたい。
菜生子さん・イアン先生との出会い
蛭川先生のブログから辿り着いた菜生子さん(Naoko Bishop)のホームページ(Lumina Life Journey)で、 イアン・ループカー先生(Dr. Ian Luepker)と一緒にセッションを提供していることを知った。
問い合わせのメールを送ったところから、やりとりが始まった。 オレゴンに行く前から、すでに「準備」のセラピーがスタートしていた。 メールで何度も質問したり、不安を話したりして、 サイケデリック体験に向けた心の整理ができていった。
メールのやりとりで始まった準備とケア
オレゴン州のpsilocybinサービスでは、 セッションは
prepararion(準備)
administration(投与)
integration(統合)
の3段階が基本。 菜生子さんたちは、事前の問診を重視していて、 私の意図を明確にするところから始まった。
イアン先生について
イアン先生(Dr. Ian Luepker)はnaturopathic physician(自然療法医)で、 ホリスティックな視点で心・体・精神を扱う人。 プライベート診療で20年以上、精神科病棟で12年以上の臨床経験を持つ。
イアン先生は、抗うつ薬や抗不安薬を「一時的な症状緩和」と考えていて、 薬物療法主体ではなく、「Feel it to heal it」(感じて癒す)というアプローチを重視する。 トラウマや抑圧された感情を直接感じることで、持続的な変化が生まれる。
サイケデリックについては、脳のデフォルトモードネットワークをリセットして、 自己洞察を深め、固定された自己像を溶かすツールだと捉えている。
後に実際にお会いしたときには、大きな木のような、仙人のような穏やかで深い存在感だなぁと感じた。
菜生子さんの印象
菜生子(Naoko Bishop)さんは、日本人初のオレゴン州認定psilocybinファシリテーター。
控えめに見えるけど、芯がしっかりしていて、幅広い知識と見識のある女性。 慈悲深く、あたたかく、細やかな気遣いが印象的だった。
メールのやりとりで、サイケデリックスに関する知識をたくさん整理できたし、 不安を一つずつ解消してくれた。 彼女のような人がいるから、安心して旅に出られた。
オレゴン州のpsilocybinサービスと日本との違い
オレゴン州では、Measure 109(2020年可決)で、 21歳以上なら医療目的以外(自己探求、精神的成長、ウェルビーイング)でもpsilocybin使用が合法。 治療抵抗性うつ病などの医療適用を待つ日本とは大きく違う。
ファシリテーターになるのに医師資格は不要で、 OHAの承認トレーニング+試験でライセンスを取得できる。 非指令的アプローチが基本で、クライアントの内面的プロセスをサポートする立場。
菜生子さんやイアン先生のような、多様なバックグラウンドの人が活躍している。
セッション前のインテンション:乗り越えたいこと
菜生子さんたちは、事前の問診で「このセッションで何を望んでいるか」を丁寧に聞いてくれた。
ひとつは、自分の中に根深く残る男尊女卑からくる自己否定感情。 父が6人兄弟の末っ子だったのに男子の後継ぎがおらず、 祖母から見て私が最後の孫になった。 母の妊娠中はつわりがひどいと言っては「男の子に違いない」と家族が期待していたらしい。 ついに私が誕生したその日、家族一同は深く落胆し、祖母は同じ日に産院で生まれた男児と交換してほしいと言い出し、父が「男を産んだら買ってやる」と約束した指輪を母は腹いせに自分で買った。 母は体調不良で産後1週で入院し、私は祖母に育てられ、2歳で幼稚園に入れてもらえるまでは大家さんに預けられた。
生まれたこと自体が「期待外れ」という申し訳なさが心に影を落とし、精いっぱい努力しても人並みにもなれない欠乏感を抱え、 愛されるためには与えられた役割を完璧にこなさなければならないと信じて生き抜いた。
不妊治療の末に授かった息子には同じ思いはさせまいと必死に努力を続けたが、いろんなことが不協和音を奏でるようになっていった。休まる間もない人生の生きづらさ、重荷、役割の鎖から、解放されたかった。
もうひとつは、「私はなんのために生まれてきたのか」。 使命があるのなら、それは何なのか知りたかった。
ただ、その時点でぼんやりと、同じような重荷に苦しむ女性たちを支えられるようになりたい、 という思いも芽生えていた。
これらをメールやオンラインセッションで伝えると、菜生子さんは優しく受け止めてくれた。 意図を明確にすることは、セッションで何が起きても意味づけしやすくなるんだって。 私の中で、少しずつ「これでいい」って許しが生まれ始めた。
私の原体験:笑気麻酔の光の環
生理学実習で、笑気麻酔を吸入したことがある(当然ながら今はもうそんな実習はやっていない笑)。
あのとき、ほんの短い間だったけど、すごく印象的なビジョンを見た。
ぐるぐると永遠に循環する光の輪の中にいた。 私は無限にある微細な粒子のひとつで、絶え間なく振動しながら泳いでいるような感覚だった。 ある瞬間、身体がふわっと軽くなって、 その輪の中から浮かび上がって分離した。 個になって、もっと眩しい光の中に吸い込まれていった。
荘厳で、まぶしくて、自由な感じ…… 今でも鮮明に覚えてる。

対照的な闇:ジアゼパムの無限の暗黒循環
もう一つは、辛い不妊治療のときに受けたジアゼパムの静脈麻酔。 まっくらな水底で、巨大などろどろとしたグレーの流動体の一部だった。 深い深い底の方で、永遠に沈殿し続け圧迫される無限の苦しい塊。
意識が戻ってからも、しばらく自分の身体や「私」という存在を思い出せず茫然としていた。 強烈な、出口のない閉塞感。 光の体験とは正反対の、重苦しく抑圧的な闇。

この恐怖心はインサイド・ヘッド(Inside Out 2015)「Abstract Thought(抽象思考)のトンネル」を通る場面でも蘇った。
トンネルに入ると、キャラクターたちが徐々に抽象化・変形していく。非客観的断片化(Non-Objective Fragmentation)形が崩れ始める→解体(Deconstruction)→2次元化(Two-Dimensional) 平面的になる→最後の方でピクセルっぽく・ブロック状・粗いデジタル風に崩れていくような描写がある。抽象思考の影響でキャラクターの形がどんどん崩れて低解像度・ブロック状・エラーっぽく見える表現として描かれていた。
私の記憶にある「エラーを起こすようなピクセル化」によって閉じ込められる、封じ込められるような恐怖感に襲われた。

これらの体験が私に残したもの
この二つの体験は、強烈なインパクトを残した。
光の中の自由と、闇の中の閉塞。
どちらも「私」という境界が溶ける瞬間だった。
私がみたのは、何かの片鱗なんだろうか。
いつかもう一度、同じような体験を通して、その正体を突き止めたい、謎を解き明かしたい。
そんな思いが、心の奥底にずっとあった。
それもまた、サイケデリックスに惹かれた理由である。
参考資料
Lumina Life Journey: https://luminalifejourney.com/
オレゴン州Psilocybin Services: Oregon Health Authority公式ページ
注意書き
この記事は私の個人的な体験談です。 シロシビンは日本では違法な物質です。 この内容は医療的な治療や使用を推奨するものではなく、違法行為を勧めるものでもありません。
