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ホロコースト否定論:リーチャード・ハーウッド「600万人は本当に死んだのか?」なるど定番のホロコースト否定小冊子について。

2024.1.2追記:この記事は、リチャード・ハーウッドによる『Did Six Million Really Die?』について、主に英語Wikipediaの解説を翻訳した内容で記事としていましたが、最初にアップした頃には内容をほとんど知らずに紹介していたため、非常に内容が乏しい記事になっています。同時期に、機械翻訳に通して修正もせずに翻訳したものをアップしていましたが、2023年になってそれを全面的に改定しており、現状ではそちらの方が詳しい内容になっていますので、この記事は無視してもらっていいと思います。是非以下をご参照ください。


ホロコースト否定論が、終戦後から割とすぐに始まっている由緒伝統格式ある(?)論理であることは今更いうまでもありません。そして、何か目立った否定論が出る度におそらく、毎度の如く反論がなされてきたのだろうと推測します。

しかし、ホロコースト否定論者の性質(タチ)の悪さは、『何度論破されようと同じ否定論を使い続ける』なる極めてどうしようもないデタラメぶりに示されております。というよりも、論破されたことなど滅多なことで認めたりはしません。

そういうわけで、とっくの昔に消えたはずの亡霊のような否定論が、今もなお亡霊にならず、現世に存在するということがしばしばあります。今回紹介するのは、前回記事で翻訳したものですが、リチャード・ハーウッドという人物による『600万人は本当に死んだのか?―ついに暴かれた真相』という28ページからなる小冊子であり、界隈ではかなり有名なものです。

これは1974年にイギリスでばら撒かれ、10年足らずで40カ国に百万冊以上も配布されたそうで、当時かなり話題になったそうです。イギリス議会の議員全員、有名人、ジャーナリストなどなどあらゆるところに配布されたのだとか。

内容はあまりに酷いデタラメなのですが、一見しただけでは、地味で真面目に学術的な体裁を装っており、また内容的にはいわゆるハーフ&トゥルース方式であり、事実を述べているようで、実質的には嘘であるという具合になっています。厄介なのは、内容はその裏をしっかり取らないと正しいのかどうかわからないという代物だったことです(何せ、事実でもないのにきっぱり断定調なのだ)。言語道断なほど悪質と言って差し支えありません。

著者のリチャード・ハーウッドは偽名です。実際には、「スペアヘッド」というイギリスの極右政党ナショナル・フロントの機関紙の編集長、リチャード・ベラルが書いたものでした。

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しかしこの小冊子(『600万人は本当に死んだのか?』)の発行元も偽装されており、空きビルだったのだとか。

で、内容は後半で紹介するとして、このハーウッドの小冊子がなんと「ツンデル裁判でしっかり検証されていて信頼できるものである」などというデマが出回っているようです。とんでもありません、裁判では全く認められておりません。あの裁判で否定論は何一つ認められておりません。そもそも最高裁が認定したのは、ツンデルを裁くための刑法の当該条文が違憲であるという趣旨です。だからツンデルが無罪になっただけですし、下級審では全てツンデルは有罪です。

とーにかく、ホロコースト否定派を舐めてはいけません。「息を吐くように嘘をつく」という言葉がありますが、ホロコースト否定派はほんとに息を吐くように嘘を吐きます。そうでもなきゃ、こんな極悪小冊子が世に出るわけがありません。あのデヴィッド・アーヴィングだって、リップシュタットに敗れ、その後逮捕までされて、ホロコーストを認めるかの如き発言をしたかと思ったら、全然そんなことはありませんでした。あのおっさん嘘ばっかりです。(これは私の誤解であり、アウシュヴィッツのガス室は認めていないようですが、ラインハルト作戦収容所でのユダヤ人絶滅は認めておられるようです。)

ともあれ、検索には今のところ日本語だとハーウッドの話題は、反論側の話としてはあまり出てこないようなので、検索に引っかかるようnote記事をあげておこうと思いました。とりあえずその裁判に関する話から。有難いもので英語版Wikipediaにありました。

m注)以下翻訳は2020.12.23現在のものです。脚注番号が入ったままにしてありますが、それも含めて一才リンクは再現していません。DeepLですが、翻訳も間違ったり適切でないこともありますので、ご使用に当たってはご自身でご確認ください。

▼翻訳開始▼

Did Six Million Really Die?
600万人は本当に死んだのか?

600万人は本当に死んだのか? 最後の真実[1]は、英国国民戦線のメンバーであるリチャード・ベラルがリチャード・E・ハーウッドという偽名で書き、1974年に出版されたとされるホロコースト否定のパンフレットで、同じくホロコースト否定者でありパンフレットを書いたネオナチのプロパガンダ者でもあるエルンスト・ツンデルが書いたとされている。国民戦線は、1978年に発行された『World in Action』の中で、ベラルが著者であることを否定している[2]。

1983年、ホロコースト生存者のサビーナ・シトロンは、虚偽のニュースを広めた罪でツンデルを告発し、カナダ刑法181条に基づいて私訴を開始した[3]。 最高裁は1988年の裁判で、「パンフレット『600万人は本当に死んだのか』は現実の一部ではないので、現実の認識に合わない」と結論づけた[4]。

主張

作品の中で、ベラルはホロコーストの死者数を疑っており、強制収容所で「600万人以上のユダヤ人が絶滅した」とする主張を批判している。この小冊子では、ニュルンベルク裁判やアドルフ・アイヒマン裁判をはじめとする様々な戦争犯罪裁判を対象とし、それらの裁判の法的整合性や提出された証拠の基準、裁判官の公平性や客観性を批判している。

ベラルはまた、この本の中で、センサスや人口チャートを見ると、ヨーロッパのユダヤ人人口の数字が600万人のユダヤ人を絶滅させたという数字を認めないことを証明しようとしている。彼は、ナチスの支配下にあったヨーロッパでは、移住や疎開後のユダヤ人の総人口は「約300万人」であったと主張している。

彼はさらに、ホロコーストの規模が連合国によって誇張されていたと主張している。

1.日本の都市に投下された原爆、ドレスデンのような民間人の多い町への空襲、連合国自身の人権侵害[5]などについて、自分たちの罪悪感を隠そうとしていた。
2.彼はパレスチナ人に対する残虐行為の実行を前提としたイスラエル国家樹立の口実としている[5]。

ベラルの目的は、「600万人」のホロコーストの歴史は、いかなる形のナショナリズムをも挫くために利用され、アングロサクソン民族の存続を危うくするものであると主張することである:「 ユダヤ人が何世紀にもわたって人種を維持しようとしてきたこと、そして今日もそうし続けていることには、誰もが感心する以外の何物でもない。この努力を率直に言うと、ユダヤ人は「600万人の物語」に助けられてきたが、これはほとんど宗教的な神話のように、ユダヤ人の人種的連帯の必要性を強調してきた。残念なことに、それは他のすべての民族にとっては全く逆の働きをしており、自己保存のための闘争では無力になっている」[6]

パンフレットでは、ゲルシュタイン報告書について、「ゲルシュタインの妹は先天的に心神喪失状態にあり、安楽死によって死亡した」としており、T4計画におけるナチスによる民間人の大量殺戮を事実上認めている。

冊子の執筆にあたっては、ベラルは1950年代と1960年代に出版された資料を使用しており、冊子の不正確な点の多くは、ベラルが広く使用していたポール・ラッシニエの著作による誤りであった[7]。

カナダ最高裁判例

この小冊子は、1985年と1988年にカナダの最高裁で、出版者であるツンデルが虚偽のニュースを広めたとして刑法181条に基づいて起訴された際に審理されたものである。1985年の有罪判決は上訴で覆され、1988年に2度目の起訴が行われ、再び15ヶ月の判決が下された[8]。

ツンデルの弁護の一環として、ツンデルはフレッド・A・ロイヒターを雇ってアウシュヴィッツとマイダネク強制収容所を訪問させた[9][10]。 裁判では、ロイヒターは専門家証人としての立場で報告書を弁護するよう求められた:しかし、彼は、その手続きの中で、彼にはそのように行動する資格も経験もないことが明らかになったため、解雇された[11]。1988年の裁判長は、この小冊子は「歴史家の仕事を虚偽表示し、証人を誤引用し、証拠を捏造し、実在しない権威を引用した」と結論づけた。

最高裁は、前回の下級審で陪審員に不当な指導があったと認定した:

陪審員は、ホロコーストは証明されたものとみなされなければならないため、裁判官の指示から推論する権利があると指導された。被告人がそれを知っていたことが立証され、個人的な動機で故意にパンフレットを発行したとみなされなければならない。 彼の主張が間違っていることを知っているからである。...判決は、パンフレットの出版という議論の余地のない事実、その内容がホロコーストの歴史から乖離していること、人種的・宗教的寛容を維持することへの公共の利益から必然的に導き出された[4]。

しかし、下級審の審理を見直す中で、最高裁は、パンフレットに記載されていた事実は確かに虚偽であると確認した。

(前回の裁判中)控訴人のパンフレットに記載された事実の主張は、85の抜粋に分けられ、一つ一つ反論されている。裁判官は、陪審員のためにこの資料を長く要約したが、ここでは、より酷い例のいくつかを指摘するだけで十分である。このパンフレットでは、最終的な解決はユダヤ人をマダガスカルに避難させる計画以上のものではなかったことを、ヨーゼフ・ゲッペルスの覚書が明らかにしたと主張している。しかし、そのような覚書は存在せず、1942年3月7日のゲッベルスの日記を参照していることが示された。この日記の抜粋は、何も記載されていないことが主張された。さらに、検察官は1942年3月27日の日記には、最終的な解決策が実際には大量虐殺であったことが明らかになっていることを指摘した:「ユダヤ人はあまり残らないだろう。全体では約60%のユダヤ人は処分されなければならないが、40%のユダヤ人は強制労働に使われる...」

このパンフレットは、ナチスがユダヤ人を絶滅させようとした計画についての文書的証拠が存在しないと主張している。検察は、親衛隊のトップであるハインリッヒ・ヒムラーが1943年10月4日にポーゼンの部隊に向けて行った演説の中で、ユダヤ人の絶滅計画について言及していることを紹介している。ヒムラーは次のように述べている。「私はまた、非常に重大な問題について率直に話したいと思う。私たちの間では、それは非常に率直に言及されるべきであるが、しかし、私たちは決して公にそれを話すことはない。... ユダヤ人の一掃、ユダヤ人の絶滅...」

控訴人は、この一節で使われている「絶滅させる」という言葉は本当に「国外追放」を意味していると主張した。陪審員は、この解釈が可能であると認めるかどうかを検討することになった。

検察はまた、占領下にあったポーランドの「総督府」領土の総督ハンス・フランクの1942年12月9日の日記には、総政府で350万人のユダヤ人が全滅したことが記されており、ニュルンベルク裁判で提出された多数の文書、ソビエト連邦でのユダヤ人の死亡者数を列挙したアインザッツグルッペンの日報なども提出した。1942年12月20日のヒトラーへの報告書の中で、ヒムラーは、1942年8月から11月までの間に、アインザッツグルッペンが363,211人のユダヤ人を処刑したことを示している。

このパンフレットは、赤十字の報告書に依拠していると称して、すべての強制収容所は本当に人道的な労働収容所であると主張していた。赤十字国際委員会の代表者であるビーデルマン氏は、赤十字の職員は民間人が収容されている収容所には入ったことがないため、赤十字の報告書は捕虜収容所のみに関係していると証言した。検察はヒルバーグ教授から、いくつかの収容所には労働施設が併設されていたが、ベウジェツ、トレブリンカ、ソビボル、チェルムノは専ら「殺人工場」であり、アウシュヴィッツ・ビルケナウとマイダネクではガス室が稼働していたという証拠を提出した。虐殺されたユダヤ人の数は、収容所への輸送のために一人あたりに支払われた金額を示す鉄道の記録から確認することができる。これらの数は、収容所を出た人や解放後に収容所で発見された人と比較された。

検察は、上告人が歴史家の仕事を虚偽表示し、証人を誤引用し、証拠を捏造し、実在しない当局を引用したことを繰り返して示した[4]。

最終的に最高裁は結論を出した:

控訴人の主張と正統派ホロコースト史家の主張との間の矛盾は、理性的な議論によって解決することはできない。正統派の歴史家は自分たちの理論を裏付ける資料を指摘するが、控訴人をはじめとする「修正主義」の歴史家は、存在しない、あるいは自分たちが主張していることを述べていない文書を指摘する。小冊子「Did Six Million Really Die?」 は、現実の一部ではないので、現実の受け取られた見解には合わない[4]。

ヒュー・トレバー・ローパー

最終的にはそうする必要はなかったが、歴史家のヒュー・トレバー=ローパーは証拠を提出することを申し出、「表現の客観性を偽装しているが、実際には、反ユダヤ主義的なプロパガンダの種をまくことだけを目的として、重要な証拠を避け、選択された中途半端な真実と歪曲を提示する無責任で風潮のある出版物である」と述べている。

ロイヤリティー

アンソニー・ハンコック(Anthony Hancock)は『Did Six Million Really Die?』 を再出版し、それによって多額の金を稼ぎ、1982年には高裁で印税を求めて訴訟を起こされた[曖昧]。

国際的な反応

1975年、南アフリカの作家アーサー・スズマンとデニス・ダイアモンドは、『600万人は死んだ』(ヨハネスブルグ)と題して、ベラルの主張に立ち向かう本を出版した。この本の第二版は1978年に出版された。この本の前半は、ベラルの主張を反証するためのものであり、後半はホロコーストのさらなる証拠を提供するためのものである。

1978年に発行された「False Propaganda」と題された公式公報の中で、ICRCはホロコースト否定を糾弾し、ICRCが「この種の統計を公表したことはなく、また、ICRCに誤って帰属しているこの種の統計をまとめたことさえない」ことを確認し、ICRCの使命は「戦争犠牲者を助けることであって、数えることではない」と述べている[14][15]。 ベラルはまた、ICRCの統計を悪用して、1939年から1945年までにナチスの刑務所や収容所で死亡した人の数は「30万人であり、そのすべてがユダヤ人ではなかった」と結論づけたが、これは「ドイツ人とドイツ人ユダヤ人」にのみ言及したものであり、他の国の国民ではなかった。

1985年と1988年、ベラルの出版者エルンスト・ツンデルは、「虚偽の報道」の罪でカナダで裁判にかけられた。彼は有罪判決を受け、15ヶ月の懲役刑を言い渡された。控訴した彼の有罪判決は、カナダ最高裁の画期的な判決であるR v Zundelによって覆されたが、この判決では、彼が告発された「虚偽のニュースを報告する」という法律は違憲であると宣言された[4][18]。

『600万人は本当に死んだのか?』 はドイツと南アフリカで禁止された[19]。

2017年、Amazon.comは、ホロコーストを否定する他の書籍とともに、この本を米国と英国のサイトから削除した[20][21]。

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はっきりと、このWikipediaには「小冊子「Did Six Million Really Die?」 は、現実の一部ではないので、現実の受け取られた見解には合わない」とあります。暇があったら、どうにかしてツンデル裁判の判決文でも読んでみたいところですが、膨大に積読・訳したい記事・書きたいこと、その他諸々があり、今のところはツンデル裁判はどうでもいいです。ともかく、「ツンデル裁判でしっかり検証されていて信頼できるものである」だなんてよく言えたものです。こちらにもそのデマが載っていました。

実は、このリチャード・ベラルのパンフレットに関しては、デボラ・E・リップシュタットの『ホロコーストの真実(上)』で一章取ってそこそこ詳しく解説されています。この『600万人は本当に死んだのか?』は、ネタ本があります。

この小冊子はオリジナルの作品ではなく、アメリカの反ユダヤ団体「リバティー・ロビー」関連の出版社「ヌーンタイド・プレス」が1967年に出した小冊子『600万の神話』を、ベースにしたものであった。アメリカ版には、サインなしで発行人のまえがきがついており、 E.L.アンダーソンが序文を書いている。アンダーソンは、反ユダヤ主義感を強めていた「アメリカン・マーキュリー」誌の依託編集者であった。発行人の名はないが、リバティ・ロビー、ヌーンタイドプレスおよびIHRの創立者ウィリス・カルトと思われる。カルトは、これから追々見ていくが、アメリカの雑多な極右政治団体と深くかかわっている人間である(カルトの元同僚たちによると、E.L.アンダーソンは彼の偽名である)。
(リップシュタット、p.231)

アメリカ版は、デイビッド・ホッガンという人物が書いたと言われています。

で、前回示した適当翻訳版ではIHRは「エッセンス」として、IHRとしての公平さを装うためか、批評を25個ほど載せてそれなりに検証しているように見せかけていますが、ウェーバーの見解を「正統派」の後に加えるなどしており、これもまた不適切でしょう(ハーウッド論文の「擁護」が目的であるかのように見える)。ツンデル裁判でどのような批判があったのかを知りたいところですが、それはともかくとして、その「エッセンス」とやら以外の反論をリップシュタットの著書から引用します。

 都合の悪い事実は「合理化」でごまかす
 反ユダヤ主義が、国家社会主義の根幹であったから、空想を逞しくするどの否定者と言えども、それが存在しなかったとは言えない。そこで彼らは、否定できないことやどうしても歪曲できないことは、合理化する。すでに我々は、ユダヤ人をスパイやパルチザンに見立て、ナチスがとった行動は当然であるとする論調を見ている。
 ハーウッドは、この合理化を一段と推し進め、ナチの反ユダヤ主義を、"国際ユダヤ人"のドイツ攻撃に対する当然の対応、と解釈した。彼は、1939年の戦争勃発に際してシオニスト指導者ハイム・ワイツマンが出した声明は、ユダヤ人がイギリスに味方し、民主主義勢力の側に立って戦うという主旨であり、これはナチスドイツに対するユダヤの宣戦布告に他ならず、ドイツの安全保障に脅威を及ぼすことになった、と主張した。
 実際には、ワイツマンは、その声明でイギリスには一切言及していない。民主主義勢力について語っているだけで、ハーウッドが勝手に付け加えたのである。国際法の精神に照らしても、ヒトラーが、第三帝国に戦争を仕掛けるユダヤ人を敵視するのは当然であり、それを宣言する権利があったし、ユダヤ人が抑留政策の対象になるのは当然である、とハーウッドは言った。
 ハーウッドは、ナチの反ユダヤ政策が、ワイツマンの声明よりほぼ7年も前から続いている事実を無視した。ワイツマンの声明は、その政策への対応であり、逆ではない。1933年以降、ドイツは大半の職業からユダヤ人を締め出し、経済ボイコット、投獄監禁、暴行、追放で苦しめた。やがてそれは、1935年のニュルンベルク法でユダヤ人の公民権剥奪となり、1938年のクリスタルナハトの破壊と残虐行為へとエスカレートしていったのである。
 ワイツマンは、強力な武装国家に対して戦争はおろか抵抗もできない国なき民の一指導者として語った。結局のところ、彼はイギリス市民であり、当時パレスチナはイギリスの統治委任領であった。ドイツ対民主主義勢力の戦いで、民主主義勢力との連帯を語るくらいがワイツマンとしては精一杯のところであった。
(リップシュタット、pp.240f)

また、一部はIHRが「エッセンス」と称して紹介した批判点でも触れられていない誤魔化しがあります。それはハーンズがユダヤ人は650万人しかいなかった、という下りについてです。IHRは歴史学者ブラウニングの見解を載せているが、実はハーンズはその自説のために使用している『チェンバース・エンサイクロペディア』の都合の悪い箇所を無視しています。

 否定者は、資料を歪曲できないと無視する。自分の肝心な論点と矛盾する場合は、特に然りである。『チェンバース・エンサイクロペディア』がそうであった。この本は、人口数に触れた後、「一連の絶滅キャンプにおける組織的な抹殺」を論じ、その結果、世界のユダヤ人総人口の三分の一が殺された、と書いている。
(リップシュタット、p.245)

これは単に間違っているのではなく、意図的な無視としか言いようがなく、悪質と言っていいと思います。否定派はこの手の意図的情報操作を平然とやるのです。

またこの引用に続いて、

ハーウッドは、趣旨に反する一部引用を繰り返し、信頼性のある資料を歪めた。彼は、1946年6月、スイスの「パーぜラー・ナハリヒテン」紙が「ユダヤ人の被害者総数は大目にみてもせいぜい150万人」と報じた、と書いた。ハーウッドは、その後同じ新聞に出た訂正記事を、完全に無視した。その記事は、前出の数字が不正確であることを認め、正確な犠牲者数は580万であると報じている。
(リップシュタット、p.246)

これも同じく悪質です。さらに、

 彼は、『2人の独裁者のもとで』と題する本の著者、マルガレーテ・ブーバーの到達した結論も歪めてしまった。ハーウッドによると、彼女は強制収容所が食物も十分で設備も整い、比較的快適に暮らせるところであった、と証言した。彼は、著者をドイツ系ユダヤ人女性として紹介し、ロシアからの移送集団の中では、ゲシュタポによりロシアへの即時帰還を許されなかった唯一のユダヤ人、と書いた。しかし、彼女の著書には、自分がユダヤ人であることを示唆する箇所が全然ない。
 それはそれとしても、もっと問題なのは、ラーヴェンスブリュックに関する彼女の記述を曲解したハーウッドのやり方である。彼によると、彼女はそこが「清潔で貴賓に溢れ、礼儀正しくきちんと管理されている」のを知った。1940年に到着した頃、彼女は、「白パンにソーセージ、ニラ入りのオートミール、そして乾燥果物を食べた」。1945年までこの快適な環境下で暮らしたが、その歳になって「彼女は、収容所の環境が次第に悪化するのを経験した」という。つまり、ハーウッドも同じ手口を使ったのである。
 否定者によると、収容所がひどい状態になったのは連合軍のせいである。連合軍がドイツの交通機関、通信、補給システムを破壊したから、収容所が悪くなったとする論法で、戦争末期ドイツの民間インフラを壊滅させたから、収容所に対する食糧供給がうまくいかなくなったのであり、収容所開放時の生き残りが骨と皮になっていたのはそのためである、という。ハーウッドは加害者を免罪し、あんなに悲惨な状態に追い込んだのは連合国側にありとして、勝者を断罪した。あまりに明白で否定のしようがないもの―骸骨同然の収容者の姿せんは、他に責任を転嫁するやり方で言い抜ける。
 ブーバー本を加工したハーウッド版は、著者が言っていることとまるで違う。ブーバーは、1945年よりずっと前に収容所の環境が崩壊したといい、その状態をはっきり書いている。彼女は、処刑、飢餓など、1945年の連合国による攻撃以前に存在した悲惨な状況に、特に触れており、「撲殺、餓死、懲罰房における凍死」のほか、ガス室の存在とガス殺のあったことにも言及している。収容所の焼却炉に関する箇所では「SSどもは、ラーヴェンスブリュックを出るには、煙突から(煙となって)のぼっていく以外に方法はないと言って、いつも悦に入っていた」と書かれている。
 ハーウッドは、このような箇所を全部オミットして地獄の収容所を天国として歌い上げた本に作り替えたのである。
(リップシュタット、pp.246f)

ハーウッドは、自身が参照文献にした資料まで捏造するのです。悪質どころか極悪です。

他にもまだまだあります。例えば国際赤十字(ICRC)も捏造対象ですし、ICRCは度々ホロコースト否定論者に都合の良いように利用されることに対して、その度に抗議しています(例えばこれ)。アンネの日記も餌食にしているし、最低と言って良いでしょう。

正直、訳したけど全く読んでません。多分、まだまだたくさんの捏造・でっち上げ・歪曲などの嘘があるに違いないと思います。

こんな酷いのを今もなお聖典のように崇める否定派がいるのを知っていますが、否定派がこの小冊子が世に出た1974年、あるいはこれを議論したツンデル裁判の1980年代後半から変わっているかというと、全く変わっていないと思います。

あの人たちは、自分たちの方が世界の真実を知っていると、いつも超上から目線ですが、ほんとの真実などどうでもいいのでしょうね。

次回は……もっと酷いのをやろうかなと、一応予定していますが、するかどうかはまだわかりません。一度あれを徹底的に潰してしまいたい(笑)

以上。

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