ホロコーストの犠牲者数を知るための重要資料:コルヘア報告について(2):コルヘアは「知らない」と言ったが嘘だった。
この記事は、2020年12月28日に最初に投稿した記事ですが、かなり理解し難い翻訳になっていたため、2023年11月9日に全面翻訳し直したものです。今回翻訳し直したことで、ロベルト・ミューレカンプ氏による推測が多少はわかりやすくなったかと思います。
さて、リヒャルト・コルヘア氏は、当時、親衛隊に要請に応じて、1942年末までのユダヤ人犠牲者数を取りまとめた報告書である「コルヘア報告」で知られていることは言うまでもありません。
この報告書は、少なくとも1942年末までにおよそ250万人のユダヤ人虐殺を記録した親衛隊の公式文書として知られているわけですが、コルヘア自身は戦後、ユダヤ人死亡者の数だとは知らなかった、と述べたようです。しかしそれは本当なのでしょうか?
というのは、気になることがあるからです。具体的には、コルヘア報告の草案を読んだヒムラーは彼のスタッフを通じて、コルヘアに以下のような指示を出しているからです。
彼は、どこにも「ユダヤ人の特別処置」について言及しないことを希望している
では、一体、草案にはどう書いてあったのでしょうか。草案は見つかっていません。以下の記事では、1)コルヘア氏が1977年にドイツのニュース週刊誌である『ディア・シュピーゲル』に掲載されてとされる書簡で述べたことと、2)ヒムラーの修正指示の文言の、この二つの証拠に基づいて、その草案の当該箇所の原文を推理し、コルヘアが報告に書かれた「疎開者」の数字が、本当にユダヤ人の死亡データだと知らなかったのか? について鋭い説得力のある考察を行っています。
翻訳をし直してわかりやすくなったとは言え、集中して読み込まないとわかりにくいかもしれません。要は、コルヘアは1977年の手紙で、余計なこと、すなわち、「RSHAに「特別処置」とは何だ?と尋ねたら、「ルブリン地区に定住したユダヤ人」のことだ、と言われた」と述べていたのです。しかし、それでは辻褄が合わなくなるのです。つまりは、その手紙の嘘がバレてしまい、やはりコルヘアは「特別処置」の意味を知っており、「特別処置」はユダヤ人絶滅を意味するとしか解釈できないことがわかったのです。詳しくは以下を。
註:コルヘア報告の「V. ユダヤ人の疎開」が主要な論点となりますが、そこで最も着目すべき項目4で、
Es wurden durchgeschleust
durch die Lager im General-
gouvernement.................... 1 274 166 Juden
とドイツ語で記述されています。これを、Holocaust Controversiesの著者らが英訳すると以下の様になっています。
The following numbers were sifted
through the camps in the General
Government ............. ........ 1 274 166 Jews
以上をDeepLにかけると次の様になります。
ドイツ語→彼らは総督府の収容所を通じて送られた。
英語→総督府の収容所でふるいにかけられた数字は以下の通りである。
一見して、かなり違う文章に見えます。特に、ドイツ語では「通じて」なのに、英語で「ふるいにかけられた」となってしまいます。英語の「sift through」は、確かに辞書では「選り分ける、より分ける、えり分ける」などの意味となっていて、単に「通じて」の様な意味は出てきません。しかしながら、ここで扱っている内容は、それら収容所は単に、ロシア東部にユダヤ人を送るための「通過収容所」だったとするものなので、「ふるいにかける」ではおかしいのです。少なくとも、否定・肯定の議論において、それら絶滅収容所では、アウシュヴィッツの様な「選別」に関する議論はありません。ゾンダーコマンドなどの収容所内で必要な労働力を除き、純粋なそれら絶滅収容所では「選別」などされていないからです。それに、ドイツ語の「durchgeschleust」は日本語では「通った」の様な意味になるはずなので、英訳はかなり違和感があります。
どうしようか、非常に迷いましたが、以下ではドイツ語(「通った」の意味)に準ずることとしました。したがってその部分だけは英訳に準じてはいないのでご留意下さい。本来は、英訳を日本語訳する場合、こういった厳密な言葉の使い方に関する議論をしている記事の場合、できる限り素直に訳すべきなので…。
追記(2026.7.17):
上記の英訳で「sifted through」とされたところについて、現在では生成AIが十分すぎるほど使える為、英訳の適切さを判定してもらったところ、やはり「durchgeschleust」をそのように訳すことは誤訳であるという評価になりました。翻訳者はHolocaust Controversiesブログサイトの執筆者の一人であるロベルト・ミューレカンプ氏ですが、ロベルトはこちらの情報によればポルトガル人だそうで、英語ネイティブではない為、誤訳になった可能性はあります。ただし、ロベルト氏の名誉のために言っておけば、コルヘア報告の英訳分全体の英訳状況の評価はChatGPTによるところ、95%は正しいとのことです。でも肝心なところで誤訳になっているのはちょっといただけません。
以下、当該箇所のChatGPTの評価です。
ここが最大の問題です。
ドイツ語:Es wurden durchgeschleust durch die Lager
英語:were sifted through the camps
評価
誤訳に近い。
durchschleusen は 辞書では「to channel through」、「to pass through」、「to route through」という意味です。例えば「人をある施設経由で送る」という意味。
ところが「sift through」は「ふるいにかける」「選別する」です。
英語では全く別の動詞です。したがって、この箇所は意味が変わっています。
★(五つ星評価で星一つ)
▼翻訳開始▼
リヒャルト「知らなかった」コルヘア
ドイツの統計学者リヒャルト・コルヘア博士は、「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終的解決」に関する統計報告で知られている。これらのレポートの原文はこのサイトにあり、それぞれの英訳はHCフォーラムのこのスレッド(投稿 03/28/12 10:09:44は「長い」バージョンで、03/28/12 10:10:42は「短い」バージョンである)にある。
この2つの報告書が誰に宛てたものであったかは、ここに転記されている書簡に記されており、その翻訳は私のHCフォーラムへの投稿03/28/12 10:12:49にある:16ページの「長い」版は全国指導者SSハインリヒ・ヒムラーに、6ページ半の「短い」版はヒトラー自身に宛てたものであった。
コルヘア報告は、その主題である「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終的解決」に関する歴史的研究にとって重要な文書とみなされている。したがって、ジェラルド・ライトリンガー著『最終解決』の第二次改訂増補版の534頁には、次のように書かれている:
議論の余地のある数字を扱う上で、計り知れない価値を持つ資料がひとつあて、それは、1943年3月にヒムラーに提出された『コルヘア報告書』(ニュルンベルク文書、NO 5192-4)である。この報告書は、例えばポーランドの重大なケースのように、カウンターチェックが欠如している場合でも信頼性が想定されるほど、多くのカウンターチェックと一致している。コルヘアはアクチュアリー(註:actuary=「保険数理士」としか翻訳では出てこないが、「統計専門家」が正しいと思う)であり、アイヒマンのオフィスに保管されていた再定住者リストからバランスシートを作成するために、ヒムラーに雇われた。彼は自らを「全国指導者SS統計検査官」と称しており、彼の最初の報告書、「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終的解決」という見出しの16枚のステンシルが施されたシートは、1943年3月23日、ヒムラーの秘書ルディ・ブラントに送られたが、数字は1942年末を越えて作成されていなかった。文書中のさまざまな数字の合計が試みられ、ロシアとセルビアが省かれた結果、「特別処理」を含めて、死亡、国外追放、移住したユダヤ人187万3549人という数字に達した。そしてコルヘアはこう締めくくった:政権を掌握して以来、1933年には1000万人を超えていたヨーロッパのユダヤ人の数は半減した;400万人以上の減少はドイツの影響によるものだ。
コルヘアの著作は、少なくとも西ドイツの裁判所で行われたNS犯罪裁判の一つ、ボン地方裁判所で行われたハインリヒ・Bらに対するナチ裁判(ヘウムノ絶滅収容所での犯罪を扱った裁判)でも証拠として使われた。この裁判では、コルヘアの「長い」報告書は、手持ちの証拠の重要な一部であり、裁判所は、この収容所の作戦の第一段階で殺された最低人数を確定したが、それは以下の判決文からの抜粋が示すとおりで、 これは私のHCフォーラムの投稿 03/18/12 00:48:57 にある:
1943年1月1日までに殺されたユダヤ人の一覧表は、証人コルヘア博士が、当時、全国指導者SSの統計査察官として作成した『ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終解決』に関する統計報告書に掲載されている。この報告書には、「ヴァルテガウの収容所を通った」合計145,301人のユダヤ人が記載されている。ここには次のように記されている:
「4.東部地域からロシア東部へのユダヤ人の輸送:.......... 1 449 692ユダヤ人
総督府の収容所を通った人数は以下の通り。1 274 166名のユダヤ人
ヴァルテガウの収容所を通った......145 301人のユダヤ人」
コルヘア博士が述べているように、145,301人という数字は、彼の報告書のこの部分にある他の数字と同様、RSHAから与えられたものである。したがって、それは信頼できるデータのように思われ、グライザーの書簡、RSHAのメモ、そして確立された部分的な数字によって裏付けられている。コルヘアが使った「輸送」と「通った」という用語に関しては、RSHAが最初に「特別処置」という、より透明性の高い用語を選んだ後、ヒムラーの個人的スタッフが、カモフラージュのために、彼に明示的に指示したものである。どの用語も、ユダヤ人の殺戮を意味していることは明らかである。
コルヘア自身、戦後、自分の名前を冠した報告書を快く思っていなかったのは当然で、できる限り距離を置こうとしたようだ。1977年7月25日、デヴィッド・アーヴィングのウェブサイトに転記されている彼の手紙が、ドイツのニュース雑誌『ディア・シュピーゲル』に掲載されたとされている。この手紙は、コルヘアの報告書がナチスの大量殺戮の記録ではないという「修正主義者」の主張の主軸となっており(ヴィルヘルム・シュテークリヒ、『アウシュビッツの神話(註:このリンクは閲覧不能)』;シュテークリヒ、『ホロコースト修正主義に対する最初の反応(註:このリンクは閲覧不能)』;ロベール・フォーリソン、『論文史家への反論(註:このリンクは閲覧不能)』;ゲルマー・ルドルフ、『ホロコースト犠牲者:統計分析 W・ベンツとW・N・サニング―の比較(註:このリンクは閲覧不能)』;「エルンスト・ツンデルのカナダ「偽ニュース」裁判における証拠「600万人は本当に死んだのか?」報告書 ――1988年 バーバラ・クラスカ編集」)、以下に翻訳され、続いてコメントされる。
『Der SPIEGEL』31号、1977年7月25日、12ページ:
以前はプラハにいたが、現在はロンドンにいる、人種的迫害を受けた作家として知られるH・G・アドラーは、1960年、自著『テレージエンシュタット1941--1945』の第2版の序文で次のように書いている:「コルヘア博士を 「SS統計家」と呼ぶのは正確ではないことを明言しておく、彼は決してSSのメンバーではなかったし、国家社会主義時代における彼の行為に対して更生しているからだ」『Der SPIEGEL』誌は、残念なことに、私が1943年春にヒムラーの命令でユダヤ人犠牲者の数を計算したというイギリスの歴史家アーヴィングの主張を掲載している。実際、これらのデータは、私が数字や単語を変更することは許されないという条件のもと、国家保安本部(Reichssicherheitshauptamt - RSHA)から、テキストを含めて完全に完成された状態で提供された。
私が、100万人以上のユダヤ人がヴァルテガウの収容所で特別処置によって死亡したと述べたという記述も不正確である。この文脈での「死亡」という言葉には抗議しなければならない。
私がRSHAに電話でこの言葉の意味を尋ねたのは、まさに 「Sonderbehandlung」(特別処置)という言葉がきっかけだった。すると、ルブリン地区に定住しているユダヤ人たちだという答えが返ってきた。
ブランズウィック
リヒャルト・コルヘア博士
ラウル・ヒルバーグが、コルヘアが1977年にまだ生きていて手紙を書けることに驚きを示したにもかかわらず、また、「修正主義者」が虚偽の文書を捏造したり、それに頼ったりした記録がかなりあるという事実にもかかわらず、この手紙が本物であると仮定してみよう。
また、コルヘア博士が、自分が報告した大量殺人の否定に耽っていたのではなく、単に、i)RSHAから提供されたデータの文脈における「Sonderbehandlung」の意味を知らなかった、ii)この用語を明らかにしようとした、iii)無害な説明(「ルブリン地区に定住していたユダヤ人」)を受けた、iv)この説明を額面どおりに受け止めた、その結果、自分が何の数字を集計しているのかわからないままであった、と思い込もうとしていたと仮定してみよう。
この主張は信用できるだろうか?
コルヘアが引用した手紙の信憑性を示すために、彼の報告書の中で言及していたのは、「長編」版の9ページ、第V章の第4項目であり、原文では次のように書かれている:
4. Transportierung von Juden aus den
Ostprovinzen nach dem russischen
Osten: ............................1 449 692 "
Es wurden durchgeschleust
durch die Lager im General-
gouvernement..................... 1 274 166 Juden
durch die Lager im Warthegau..... 145 301 Juden
拙訳では次のようになる(HCフォーラムの投稿(2012年03月28日 10:09:44)):(註:英訳は省略して日本語訳のみとする)
4.東部地域からロシア東部へのユダヤ人の輸送: ............................ 1 449 692 "
総督府の収容所を通った人数は以下の通り ..................... 1 274 166人のユダヤ人
ヴァルテガウの収容所を通った..... 145 301人のユダヤ人
上で引用した判決文(註:このリンクは存在しません)にあるように、これは当初の文言ではなく、コルヘアがヒムラーの個人スタッフから口述された1943年4月10日付の書簡の文言は次のようなものであった(拙訳、HCフォーラム投稿2012年3月28日 10:11:44参照):
親衛隊全国指導者
個人スタッフ
日記No.
-V.
指揮所 1943年4月10日
[スタンプ:国家機密事項]
複写二枚
二枚目
統計検査官、党同志コルヘアへ
ベルリン
親衛隊全国指導者は『ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終的解決』に関するあなたの統計報告書を受領した。彼は、「ユダヤ人の特別処置」がどこにも言及されていないことを希望している。9ページの項目4では、次のような表現にして欲しい:
「東部地域からロシア東部へのユダヤ人の輸送: ............................
総督府の収容所を通った人数は以下の通り .............
ヴァルテガウの収容所を通った......」
別の表現を使ってはならない。
私は、親衛隊全国指導者がすでに署名した報告書のコピーを送り返すとともに、この9ページを適宜変更して送り返すよう要請する。
親衛隊中佐
コルヘアが当初提出した文言がどのようなものであったかは、残念ながらわかっていない。そこで、どのような可能性があるのか、また、それぞれの可能性が、i)上記の1943年4月10日の手紙と、ii)1977年のシュピーゲル誌へのコルヘアの手紙とされるものと、どのように一致するのかを見てみよう。最終的な文章との違いは、それぞれの選択肢で強調されている。
代替案a)
「東部地域からロシア東部へのユダヤ人の輸送..........................
総督府の収容所で特別処置された人数は以下の通り .............
ヴァルテガウの収容所を通った......」
これが本来の表現であれば、ヒムラーの個人的なスタッフが段落全体の表現に口を出す理由はなかっただろう; 「特別処置された」(sonderbehandelt)という用語を「通った」(durchgeschleust)という用語に置き換える指示で十分だっただろう。 1943年4月10日の書簡の表現(「彼は、いかなる場所でも『ユダヤ人の特別処置』が言及されないことを望んでいる」)も、原文が「特別処置」(Sonderbehandlung)という名詞を含んでおり、「特別処置された」(sonderbehandelt)という動詞形(のみ)を含んでいないことを示している。したがって、代替案a)がコルヘアの当初の文言であったとは考えにくい。
コルヘアが1977年に主張したとされるように、ユダヤ人たちに実際に何が起こったのかを知らなかったと仮定した場合、RSHAからこのような文言を受け取ったコルヘアはどのような反応を示しただろうか? 彼は「特別処置された」という言葉の意味について質問することはなかっただろう。ユダヤ人の最終目的地である「ロシア東方」への移送が明記されていたのだから、報告書の目的にとって重要なのはこの点であったし、最終目的地に移送される前に、被収容者が収容所でどのような「特別処置」を受けたかは、この文脈では重要ではない。それにもかかわらず、好奇心がコルヘアに尋ねることを促したとすれば、1977年の彼の主張によれば、彼は「ロシア東方」への輸送の主張と矛盾する情報を受け取ったことになり、彼の目的がヒムラーに正確に報告することであったなら、その矛盾を解決しないままにしておくことはできなかったはずである。つまり、「ルブリン地区に定住していたユダヤ人である」というRSHAの説明を鵜呑みにしたというコルヘアの主張は、もし代替案a)が彼の文章の本来の表現であったなら、何の信憑性もないことになる。はっきり言って、それは嘘である。
代替案b)
「東部地域からロシア東部へのユダヤ人の輸送、特別処置を含む..........................
総督府の収容所を通った人数は以下の通り......
ヴァルテガウの収容所を通った......」
これが本来の表現だったら、ヒムラーの個人的なスタッフが段落全体の表現に口を出す理由はなかっただろう; 「特別処置を含む」(einschließlich Sonderbehandlung)という用語を削除する指示で十分だったはずである。1943年4月10日の書簡の文言(「彼は、いかなる場所でも「ユダヤ人の特別処置」が言及されないことを望んでいる」)も、原文には「特別処置」という用語の直後に「ユダヤ人の」という用語が含まれてたことを示しており、この代替案で仮定された構文ではなかったはずである。したがって、選択肢b)がコルヘアの当初の文言であったとは考えにくい。
RSHAからこのような文言を受け取ったコルヘアはどのような反応を示しただろうか? もし彼が「特別処置を含む」を、「特別処置」がユダヤ人を「ロシア東方」に移送する過程の範囲内の何らかの手続きであるという意味で理解していたのなら、好奇心に促されたのでなければ尋ねなかっただろう。しかし、もし彼が回答を求めて、それが「ルブリン定住」(のユダヤ人の意味)だと受け取っていたとすれば、ヒムラーに正確に報告するためには、何名のユダヤ人が「ロシア東方」に移送され、何名が代わりに総督府ルブリン地区に定住したのかを調べなければならないという問題に直面したはずである。もし、彼が「特別処置を含む」を、「特別処置」が「ロシア東方」への移送以外の目的地であるという意味で理解していたとすれば、おそらく、「特別処置」の意味を尋ねただけでなく、「ロシア東方」に移送されたユダヤ人と「特別処置」を受けたユダヤ人の内訳をすぐに要求し、そのような内訳を入手したか、あるいは、優秀な職業統計家として、残念ながら入手できなかったことを指摘したであろう。だから、代替案b)もコルヘアのシュピーゲル誌に対する主張とは相容れない。
代替案c)
「東部地域からロシア東部へのユダヤ人の輸送、特別処置を含む:..........................
総督府の収容所を通って特別処置された人数は以下の通り.............
ヴァルテガウの収容所を通って.........」
このオリジナルな表現は、ヒムラーの個人スタッフによる「訂正」をより複雑なものにするため、誤解を避けるために、段落の望ましい表現をそのまま書き写すことが推奨されるように思われた。しかし、1943年4月10日の書簡が言及している「ユダヤ人の特別処置」という表現は、元の文言には含まれていないことになり、この選択肢もあり得ないと思われる。
もし、この文言を目の前にして、何らかの理由で「特別処置」の意味を尋ねたとしたら、コルヘアは困惑しただろう。というのも、彼は、「ロシア東方」に移送されたかルブリン地区に定住した144万9692人のユダヤ人のうち、127万4166人+14万5301人=141万9467人が後者に属し、144万9692人から141万9467人を引いた3万225人だけが「ロシア東方」に移送されたと結論せざるを得なかったからである。 つまり、これらのユダヤ人の大多数は「ロシア東方」に移送され、ルブリン地区に定住したのは少数派であったということである。そのため、コルヘアは、この表現は誤解を招くものであり、この段落で言及されているユダヤ人の大半は、実際には総督府から追放されたのではなく、総督府のある地区に定住していたことを指摘する必要があったことになるのではないだろうか? ルブリン地区には、ゲットーにも強制収容所にも収容されていないユダヤ人が1,419,467人いたのに対して、ゲットーには約20,000人しかおらず(「長い版」第VI章参照)、ルブリン強制収容所には男性4,683人と女性2,659人がまだ生存していた(第VII章参照)というのは、むしろ信じられないことだと彼は思ったのではないだろうか? そして、もしこれらのユダヤ人が、あらゆる基準や定義においてヨーロッパの一部であるナチス占領地、ポーランド総督府にいたのであれば、どうして彼は、第V節の「疎開の合計」の下に、また、「長い」版の第X章のヨーロッパ・ユダヤ人の減少の主要な位置づけ(「特に人口の多い東部領土における疎開が部分的に原因」)の下に、これらのユダヤ人を数えたのであろうか。だから、この代替案c)の下でも、コルヘアのシュピーゲル誌に対する主張はかなり疑わしくなってしまう。
翻訳者註:ルブリンとはドイツ占領下のポーランド総督府の三つの地方のうちの一つである。

代替案d)
「東部地域からのユダヤ人の特別処置、またはロシア東部への輸送: ............................
総督府の収容所を通った人数は以下の通り......
ヴァルテガウの収容所を通った......」
この選択肢は、1943年4月10日の書簡にある「『ユダヤ人の特別処置』がいかなる場所でも言及されないことを希望する」という記述と矛盾しない。しかし、なぜ「訂正」が段落の最初の部分の望ましい文言を書き写すことに限定されなかったのかは説明できない:
「東部地域からロシア東部へのユダヤ人の輸送: ............................」
が、変更のない次の部分も含まれている:
「総督府の収容所を通った人数は以下の通り......
ヴァルテガウの収容所を通った......」
したがって、d)の代替案もあり得ない。
コルヘアとしては、代替案b)の第二のシナリオと同じように、「特別処置」とは何かを尋ねるだけでなく、「ロシア東部」に移送されたユダヤ人と「特別処置」を受けたユダヤ人の内訳をすぐに要求し、そのような内訳を報告書に含めるか、残念ながら入手できなかったことを指摘せざるを得なかったであろう。代替案d)は、コルヘアのシュピーゲルの主張の正直さを代弁するものではない。
代替案e)
「東部地域からのユダヤ人の特別処置、またはロシア東部への輸送: ............................
総督府の収容所で特別処置された人数は以下の通り.............」
この選択肢は、1943年4月10日の書簡と完全に整合的であろう。なぜなら、この書簡には、「ユダヤ人の特別処置」という用語が明確に記載されており、また、この段落を「正しく」表現する方法をコルヘアに明確に指示する目的で、この段落全体を書き写すことが少なくとも推奨されると思われるからである。
しかし、1977年にコルヘアがシュピーゲル誌に対して主張したとされる内容とは、代替案c)でこの主張が成り立たないのと同じ理由から、両立しない。
代替案f)
「東部地域からのユダヤ人の特別処置: ............................
総督府の収容所を通った人数は以下の通り .............
ヴァルテガウの収容所を通った.....」
この代替案は、1943年4月10日付の書簡に照らし合わせると、代替案d)と同じ理由であり得ないと思われる。
コルヘアとしては、「東部地域」のユダヤ人144万9692人がルブリン地区に定住したという「明確化」と、第V節のタイトルと文脈、長い版の第VI、VII、X節での発言とを、どのように整合させることができたのであろうか。コルヘアのように帳消しにできなかったユダヤ人の数が、他の2つの選択肢よりも30,225人(1,419,467人ではなく1,449,692人)多くなることを除けば、結果としての報告書の矛盾は、代替案c)およびe)の場合と同じであろう。
代替案g)
「東部地域からのユダヤ人の特別処置: ............................
総督府の収容所で特別処置された人数は以下の通り .............
ヴァルテガウの収容所を通って.....」
この選択肢は、1943年4月10日の書簡と完全に整合的であるだけでなく、コルヘアが「ユダヤ人の疎開」の下に列挙した手続きのこの部分がいったい何であったのかについての他のすべての証拠と整合的な唯一の選択肢でもある。これらすべての文書資料、人口統計学的証拠、目撃証言、物的証拠は、これらのユダヤ人が(少数例ではあるが、おそらく、この段落で述べた144万9692名のユダヤ人の合計と、さまざまな収容所に関する部分的数字の合計との差に相当する)居住地で跳ね飛ばされたか、(多数例では)「総督府の収容所」(ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ、ルブリン・マイダネク)か「ヴァルテガウの収容所」(ヘウムノ)に行き着いたことを示しており、もしそのようなことが起こったとすれば、膨大な書類と何千何万という目撃証言が期待されるが、これらのユダヤ人が1943年10月4日の書簡が要求した場所(註:「ロシア東部」のこと)に連行されたという証拠はない。 もちろん、コルヘアが『シュピーゲル』誌に向かって主張したとされるRSHAの「ルブリン地区に定住した」という説明を裏付ける証拠もない。
コルヘアに関しては、代替案f)と同じジレンマに直面することになる。つまり、彼の主張するシュピーゲルでの主張は、問題の段落の元の文言に関するこの最も可能性の高い選択肢の下では、他のどの選択肢の下でも説得力を持たないということだ。
コルヘアがRSHAの「ルブリン地区に定住した」という記述を信じたという主張の信憑性は、1943年4月10日の書簡に記された文言を使用するよう指示されていたことによって、さらに低下し、 もちろん、RSHAが彼に言ったはずのことと矛盾している。
彼はヒムラーのスタッフに、この明白な矛盾を指摘せざるを得なかったのではないか?
というのも、「東部地方」のユダヤ人に実際に何が行われたかに関係なく、つまり、「ロシア東部」に移送されたという主張は、報告書の中で彼らの実際の運命を覆い隠すためのものであるということが、指示(「別の表現を使ってはならない」)から明らかになったからである。
しかし、コルヘアはその実際の運命をどう予想したのだろうか?
表向きはヒトラーの庇護者の中で最も忠実であったヒムラーが、ルブリン地区に実際に住んでいた140万人以上のユダヤ人が、さらにゲットーや強制収容所に閉じ込められることなく、占領下のソビエト領土に移されたと信じさせることによって、最愛の総統を欺こうとしたというコルヘアの提案を受け入れない限り(国家元首への欺瞞であり、遅くともヒトラーのために報告書の「短い」版を作成したときには、コルヘア自身が直接関与していたことになる)、遅くとも1943年4月10日の指示を受けたときには、ユダヤ人の「特別処置」はルブリン地区への定住も占領下のソビエト領土への輸送も意味せず、RSHAもヒムラーも説明しようとしなかったことを意味することがコルヘア自身に明らかになったに違いないと結論せざるを得ない。
ヨーロッパにおけるドイツ人の勢力圏からすべてのユダヤ人を排除しようとする「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終的解決」という文脈の中で、殺すこと以外に何があり得ただろうか?
いずれにせよ、コルヘアのシュピーゲル誌に対する主張が本物だとすれば、はっきり言って非常に怪しいと言わざるを得ない。
コルヘアが大量殺人の集計を意識していたことは、報告書のさらなる部分からも明らかである。このように、「長い」版の9頁の第V章6節で、彼は次のように書いている(拙訳):
6. さらに、国家保安本部のデータによると、東方作戦開始以来、旧バルト諸国を含むロシア領内で…633,300人のユダヤ人が疎開している。
コルヘアは、この章で言及されている他のほとんどの「疎開者」の目的地であったロシア領に、どのようにしてユダヤ人を疎開させることが可能であったのか、説明していない。そして、これだけでは「疎開」が何を意味するのかがまだ明らかでないとすれば、コルヘアは「長編」の最終章Xで、次のように書いている(拙訳、強調部分):
この点で見落としてはならないのは、占領された東部領土でのソ連系ロシア人ユダヤ人の死亡は、その一部しか記録されていないのに対して、それ以外のヨーロッパ・ロシアや戦線での死亡はまったく含まれていないことである。
コルヘアがソ連系ロシア人ユダヤ人に言及しているのは、「長い」版では、上に引用した第V章9頁の第6項目だけであり、この項目の「疎開」という用語が、上に引用した箇所の「ソ連系ロシア系ユダヤ人の死」以外の意味をもっていないことは明らかで、コルヘアは、国家保安本部から渡された死者数は部分的な数字に過ぎないと指摘した。
コルヘアが自分が数字を集めていることを意識していたことを示すもう一つの一節は、「短い版」の最後にある次のようなものである(拙訳・強調):
合計すると、1933年以来、つまり国家社会主義政権の最初の10年間で、ヨーロッパのユダヤ人はそのストックのほぼ半分を失ったことになる。
その半分、すなわち1937年時点のヨーロッパ全体のストックの4分の1だけが、他の大陸に流出したと思われる。
この段落でコルヘアが述べている全体的な大きさの順序(1937年のヨーロッパにおける約1000万人のユダヤ人の「ほぼ半分」、すなわち500万人のユダヤ人)は、コルヘアの詳細な数字によって裏付けられているのではなく、コルヘアが明示的に述べているカテゴリーに関する、おそらくは経験的な推測(彼の集計には含まれていない「占領された東部領土」でのソ連系ロシア人ユダヤ人の死亡、その他のヨーロッパ・ロシアと戦線での死亡、ロシア国内からアジア地域へのユダヤ人の移動、ドイツ以外の中央・西ヨーロッパ諸国におけるユダヤ人の移住とユダヤ人の過剰死亡率)にすぎないし、そしておそらく、明示されていないカテゴリーについても同様である(「長い」版による1937年のポーランドの本来のユダヤ人人口330万人と、その文書に旧ポーランド領内のドイツ支配下にあったとして記録されている合計279万人との差は51万人で、おそらく過剰死亡か移住によって失われたものと思われる)。
しかし、上記の声明によれば、世界の他の大陸に行くことなくヨーロッパ・ユダヤ人の「ストック」として失われた約250万人に関して、コルヘアは、彼の詳細な数字を足し合わせても安全側にとどまることを選んだようである。
i)「長い版」第II章によると、旧帝国、オーストリア、ボヘミアおよびモラヴィア保護領における超過死亡率(82,776人、うちスデテンガウおよびダンツィヒを含む旧帝国61,193人、オーストリア14,509人、ボヘミアおよびモラヴィア保護領7,074人);
ii)「長い版」の第VI章第1節によると、テレージエンシュタット・ゲットーでの死亡率(87,193人から49,392人への減少、「主に死亡による」);及び
iii) 「長い版」の第V章と第VI章に従った1942年12月31日までの「疎開」。ただし、項目1(「バーデンとプファルツからフランスへのユダヤ人の疎開」)と3(「帝国地域と保護領からテレジエンシュタットへのユダヤ人の疎開」)を除く:
1.大ドイツ:124,051人
1a. (ドイツ帝国(スデテンランドを含む)(1): 60,763人
1b. (オーストリア)(2): 33,333人
1c. (保護領ボヘミアおよびモラヴィア)(3): 29,955人
2.ベルギー:16,886人
3.フランス 41,911人
4.ノルウェー 532人
5.ユーゴスラビア: 4,927人
6.オランダ 38,571人
7.旧ポーランド共和国 1,496,283人
7a.(東部地域)1,449,692人
7b.(ビャウィストク管区)(4): 46,591人
8.スロバキア:56,691人
9.バルト共和国を含むソビエト連邦: 633,300人
合計:2,413,152人
Note:
(1) II章1項目およびV章冒頭の「疎開」の合計(100,516)から、(a)VI章1項目に従ってテレージエンシュタットに強制送還された帝国からのユダヤ人(47,471)とそこに含まれるオストマルクからのユダヤ人の部分(14,222)とのバランス、および(b)V章1項目に従ってバーデンとプファルツからフランスに強制送還されたユダヤ人(6,504)を差し引いたもの: 100,516マイナス33,249マイナス6,504=60,763。
(2) II章2節とV章冒頭の「疎開」の合計(47,555人)から、VI章1節によるテレージエンシュタットへの強制送還者(14,222人)を差し引いたもの。
(3) II章3節およびV章冒頭の「疎開」の合計(69,677人)から、VI章1節によるテレージエンシュタットへの強制送還者(39,722人)を差し引いたもの。
(4) 「長い版」第V章第2節の「保護領とビャウィストク地区を含む帝国領から東方へのユダヤ人の疎開」の数字(170,642)から、私の表の第1節の数字(124,051)を引いたもの。
さて、コルヘアが指摘するように、上記のi)、ii)、iii)のカテゴリーに属する250万人のユダヤ人が、世界の他の大陸に移動しなければ、どうしてヨーロッパのユダヤ人の「ストック」から失われたのだろうか?
可能性はひとつしかない。それは、コルヘアが報告書を発表した時点で、上記のカテゴリーiii) に挙げられた「疎開者」の少なくとも圧倒的多数が、すべての既知の証拠によれば、カテゴリーⅰ)およびⅱ)に挙げられた人々と共有していた運命、すなわち「死」である。
このように、リヒャルト・コルヘア博士が、自分が何を報告しているのかよく知っていたこと、そして、「修正主義者」の説教者たちが信頼を置いている、後年になって主張された彼の反論は、正直とは言い難いものであったことに疑いの余地はない。
投稿者:ロベルト・ミューレンカンプ 日曜日、2007年4月29日
▲翻訳終了▲
以上の通り、ミューレカンプ氏による丁寧な推理は、見事だと思います。私自身、コルヘア氏が1977年に「「特別処置」とはルブリンへの定住者」と述べたというのを見た時、どーもなんか変だな、という感触がありました。ルブリンに定住させる計画自体はあった様ですが、実施されなかったことは修正主義者ですら否定しません。そんな事実はないことがわかっているからです。しかし、実施されなかったその計画自体の有無をコルヘアが知らなかったとしても、ロベルトが代替案c)で述べている様に、人数的におかしいのです。第5章4項は「東部地方からロシア東部へのユダヤ人の輸送」を述べたものだからです。もちろん、そのおかしいと思った感触を調べるには上でロベルトがやった様に草案がどうだったかを推理する必要はあります。
ところで、上では述べられていませんが、「特別処置」はコルヘア報告に残っています。
Evakuierungen insgesamt
(einschl. Theresienstadt und
einschl. Sonderbehandlung)............1 873 549 Juden
疎開者数合計(テレージエンシュタットと特別処置を含む)
................. 1,873,549人のユダヤ人
ヒムラーが使わない様に指示したという「ユダヤ人の特別処置」ではありませんが、この箇所にある特別処置は、第5章にはこれ以外どこにも記述がないので、そのまま読む限り意味がわからないものとなっています。コルヘアが述べた様に「ルブリンへの定住」だと聞いていたのなら、少なくともそう書き換えられている、あるいは「特別処置」を「疎開」に含めて削除したはずです。それが書き換えられず削除もされていないのは、コルヘアの説明が嘘であることを強く示唆していると思います。彼は、「特別処置」の意味を十分知っており、実際にはRSHAには何も尋ねず、ただ指示のままに書き換えただけなのだと思います。そして、「疎開者数合計」の箇所に「特別処置」の記述が残っていたことにヒムラーもそのスタッフも気づいていなかった。ヒムラーは、第5章の4項が「絶滅収容所」についてであることを当然知っており、そこだけが問題で、それら絶滅収容所を「特別処置」する収容所ではなく「通過収容所」にしなければならない、と考えたからだと思います。
さらに、ロベルトは書いていませんが、おそらく「ヴァルテガウの収容所を通った」も「ヴァルテガウの収容所で特別処置された」と書いてあったのではないでしょうか? なぜなら「疎開」も「特別処置」も、ユダヤ人絶滅を表す言い換え用語であり、RSHAはその言い換え用語を用いた上で数字が書かれた文書を、そのままコルヘアに渡していただろうからです。
いずれにしても、特別処置(や疎開)がユダヤ人絶滅を意味することはわかっているので、コルヘアがたとえ本当に何も知らなかったとしても、コルヘア報告がユダヤ人絶滅の証拠の一つであることに違いはありません。どっちにしろ、疎開させられた140万人のユダヤ人の証拠などどこにも一切ないのですから。
