都会から田舎へIターンした音ゲーマーの今
零.注意
この文章は文字ばかりです。合間に写真を載せてますが見辛いことこの上ありません。それでもよろしければお時間かけてご覧いただけますと幸いです。
この注意は公開後に追記させていただきました。
一.はじめに
私はゲーマーである。それと同時に国家資格で生計を立てる33歳一般社会人である。
…と言ってもちゃんと学校に行って勉強していれば7,8割で合格できるものであるから医者や気象予報士みたいに狭き門をくぐったわけではない。
ゲーマーと言えどもよく遊んでいるのはゲームセンターに置いてある音楽ゲームだ。基本何でも触るがKONAMI製のものを遊ぶことが多い。元々コミュ障気味であった自分が音楽ゲーム繋がりの友人が増えていくことにより社会人として生活できるくらいには克服できた。感謝でしかない。



懐かしさを覚えたあなたはSANc 0/1
家で遊ぶゲームは時期によって変わるがほぼ何でも触る。最近では2ヶ月前に購入したスト6がホットだ。今更かよと思う人もいるだろうが理不尽を味わいたいという理由で買った。負けても感謝を口にするくらいの気持ちで遊べてるので適性があるのかもしれない。
前置きが長くなったが、そんな私は都会に約14年+15年過ごしていた。なぜこのように分けたかと言うと、学生時代諸事情で3年間長野に住んでいた頃があったからだ。駅周辺ではなく山の麓の住宅地であったためポツポツと田んぼがある環境のためギリギリ田舎と言ってもいいのではないかな…と思う。
そして去年、仕事や家庭の事情など様々な理由があり都会から鳥取県に引っ越した。
ニ.なぜ鳥取に?
ここは完全に私の過去の話が多くなるため興味がない人は飛ばして良い。むしろ飛ばしてくれ。書いた後だが本当に長い。
前述した通り、私はKONAMI製の音楽ゲームを遊んでいる。この事から察しが付く人はいると思う。
ひなビタ♪というコンテンツがある。SEGAの音楽ゲームを触ったことのある人でも聞いたことがあるかもしれない。耳にすることがありそうな曲としてちくわパフェだよ☆CKPが思い当たる。
そのひなビタ♪の聖地となっている場所が鳥取県倉吉市にある。10年前に仮想姉妹提携都市を結んだことで一部で盛り上がった。
その地には現在でもお店にキャラクターのパネルが設置されているところがある、しなんなら今でも増えてたりする。細く長いコンテンツになっている。
私も都会にいた頃旅行に何度か来ていた。コロナが流行る前には年2.3回来ていた頃もある。始めは聖地巡礼がメインでコンテンツがあるところを巡って楽しんでいた。
ある旅行で台風の影響により飛行機が飛ばず五泊六日をしたことがあった。あまりに時間がありすぎたため、ひなビタ♪を一度忘れて"倉吉"という土地を巡る旅にした。パネルの置いてない老舗料理店、近隣の温泉スポット。中でも足湯をしながら温泉卵を作れるスポットがあるため業スーで卵と白だしを購入してタクシーで向かったが肝心のタオルを忘れたため足湯に入れず原っぱで足を組みながら池を眺めていたあの日を忘れていない。温泉卵はおいしかった。
この時鳥取県にはまだまだ魅力的なスポットがあるのではと思うようになった。いつか住んでみたいなと思い始めたタイミングはここかもしれないが年寄りになってからかな〜と思っていた。
ある日、パワハラにより退職をした。
辞めてすぐに同じ職に就きたい、という気持ちは全くなくフリーターとして1年近くを過ごした。バイトしてる時以外は家でゴロゴロしてるかゲーセンに通うかの人間になっていた。ああ、このまま別の仕事…それこそバイトから正社員になればいいんじゃないかと思っていた時期もあった。
苦しかった。何にもなりきれていない自分に対しても、周囲の目も、将来への期待も。
そんな人間に成り下がった自分は、何を考えたのか倉吉に一人旅行することに至った。少ない貯金を切り崩してまで行きたい理由は特になかった。行って少し気分が晴れればいい、それくらいにしか思っていない金の浪費行為であった。
様々な地を回っても初日は心ここにあらずではあったのを覚えている。惰性で散策していたに近かった。
真っ昼間に温泉に入っていたとき、男性が入ってきた。
湯船に浸かるなり私に話しかけてきた。細かい内容を思い出せないが近くに住んでいるのかくらいのことから話していた気がする。話をしていく中で私は何を思ったのか、今の自分の状況まで話すことになった。全く見ず知らずの人、初対面なのにこんな話をしていいものなのか後々考えたら疑問でしかないがあの時の自分は震える声と涙を隠しきれず思いの丈を吐き出していた。全部を聞いてくれた。
今の自分ができる範囲のことをやりなさい
こんなことを言われた気がする。ニュアンスだけこんな感じでもっと話が長かった気がするが、当時のことを思い出すと真っ先にこの言葉が浮かぶ。
ひとしきり話したら湯船に悩みが全部溶け出したようなスッキリした感覚になった。バスの時間も近かったからかすぐに上がらなきゃいけない事態になったため全裸で男性に一礼し風呂場から去った。
このことがきっかけで自分ができることは手に入れた資格で人の役に立つこと、さらに言えばいつか鳥取の人たちのために仕事をしたいと思うようになった。
旅行から帰ってきてからはこれまでの生活に就活が追加された。ええ、ゲーマーなのでゲーセンに行かないという選択肢はなかった。辞めるのだ、殴らないでなのだ。
一度リタイアしているからかなかなか決まらなかったが半年後無事に就職を果たした。あれから7年経ってるの本当に時間の流れってやばいな。
それから2つの職場を経験したがコロナ禍になったこともあり旅行に行ける頻度が激減した。むしろいけない立場になったからこそ仕事に対して一層向き合えた期間だった。この期間もなければまた職を転々としていたかもしれないため人生って分からん。
ということでなんで鳥取に来たかという問いには以下のように返答したい。
私にこの仕事を誇りと認識させてくれた人のいる土地への感謝と義を果たすため

三.転職と引っ越しの懸念点
いざ転職を決めたとき、鳥取に住む懸念点はは以下のように考えていた。
・仕事
・家族への説明
・一人暮らし耐性
・孤独
まず仕事から見ていく。と言いつつハローワークの求人票をみる限りそこまで大きい差は感じられなかった。
職務内容もこれまで就いてきた職場で行ってきたことをすべて行うようなものであったため、力をいかんなく発揮すれば大丈夫だろうと踏んだ。
給与面もむしろプラスに感じた。手取りこそ変わらないがボーナスが一月分多かった。学生のときには一月分なんて大きく変わらんと思っていたバカだったが、社会人になって痛感している。あの頃の自分には一月分のバイト振り込みを止めさせる出来事があったらもっと違う人生を歩んでいたかもしれない。
後になって実感することではあるが、引っ越しをするということは職場の近くに居を構えればその分たくさん寝れる。都会にいた頃は電車とチャリを使って1時間半かけて職場に行っていたが今ではチャリ5分だ。空気もおいしい。車社会ではあるがこの距離をチャリで移動するからこそ劇的に太らないで済んでいるのかもしれない。寝れるの最高。
また、面接官の方々の大きな疑問であるどうして鳥取なのか?という部分を答えるのには前述の理由を答えることで充分なものになったと考えている。それと同時に答えのゴールはどこにあるかという疑問と責任感も生まれた。今はそれを探している最中である。
なんにせよ全部真実とまでいかなくても、その土地での経験が面接で有効なカードになるということがわかった。
では就職先が決まったので家族への説明をどうするか、という点だ。
あまり多くは言えないが、家族仲は決して良い方とは言えない。父母もそうだが何より祖父が一番ネックであった。
自分は長男という立ち位置であるために、いずれ家の立場の上に立つものであれという祖父の考えにクソほどの嫌気をさしていた。
就職先決まったけど鳥取だから家出ていくわ。
そう、事後報告だった。どうせ事前に説明しても納得をしてもらえない性格なのは分かりきっていたし時間が限られている就活と並行して説明は難しいと判断したり
結果、今からでもやめろだのお前じゃ無理だの色々言われた。何より祖父からこの家から出てくのなら二度と敷居をまたぐなと言われたのは結構きた。後に撤回となったがこんなこと言う人間のもとにすぐ帰りたくないという気持ちもあるのが今の原動力の一分になってるのかもしれない。
過保護な親にも引っ越し後は連絡を送ってくるなと釘は指した。お互い親離れ子離れをしないといけない時期と考えたし遅い反抗期が今になってきたのかもしれない。ちなみに引っ越してすぐに着信が届いたためキレた。
都会にいた時1年間一人暮らしをしていた。そのときは基本コンビニ飯だったこともありあまり健康的な生活とは言えずぷくぷく太った。まぁ今のほうが数キロ重いのだが…
その時を知ってる友人からどうせ自炊できないんだから冷蔵庫とかレンジは最低限でいいだろwwwとの意見を頂いていた。これまでの生活スタイルを見てたからこそ仕方なかった。
それはそれで悔しかったので冷凍庫がでかい冷蔵庫とオーブンレンジを買った。後には引けないレベルのことをやることで自炊しろよ?俺?と圧をかけることにした。
結果としても1年間しっかり自炊生活をおくれている。疲れているときは流石にコンビニやスーパーになるがすごく疲れたときは逆に料理をする生活になった。最近作ったのはハヤシライスとナスとオクラの揚げびたし。
何より自分で作ることにより満足感を得る。いいね。太らないようにしないとね。
洗濯掃除も一定頻度で行えてるから良い。なんとかやれてるな。
最後に孤独だ。当たり前だがこれまでずっとリアルで遊んでた友人たちとも気軽に遊べない距離になる。孤独感を感じる部分をどのように埋めるか、ここがこれまでの悩みで一番大きかったたかもしれない。
結論として、ネットで繋がってる部分はそのまま生かして新しいホームゲーセンや旅行のときに行ってたお店の常連になって知り合いを増やすことにした。
今では友人関係も幅が広がり、知り合いも干支が一つ以上離れた人たちとも仲良くなれて生活の基盤も大きくなった。それと同時に感謝の気持ちを常に持つようになったことで精神的にも強くなれた。
旅行に何度も来たことで私のことを知ってもらえたり、長いこと来ないときは社畜とまで影で言われていたくらいには認知をしてもらえていた。だからこそ初対面なのに噂はかねがね…等なぜか名前だけ知られている人間になれていたからか話がしやすい環境になっていた。本当にありがたかった。
都会の友人たちもたまに連絡取ってる人もいればゲームのリザルト送って反応してもらったりたまに通話をしたりできている。あまり引っ越す前と変わらないな?直接会えない寂しさもあるが今度会う時に見た目が変化してるか、してないか楽しみにしてもらうことにする。
このことから懸念点は杞憂に終わるケースが多かった。また、コミュニケーションの大切さを再認識するいい機会になったし自分が変わらなければいい生活も遠のくのだなと感じた。引っ越し一つでこんなに考えるものなのか?と思うが文章にしなかったら頭バナナくらいにしか思ってなかったただろう。

四.いまとこれから
この文面を書いた場所は旅行中に知った喫茶店とこの地に来て散策してる最中に見つけた飲食店だ。前者は毎週のように通ってのんびりしたひとときを過ごせる憩い、後者は通いすぎてお祭りの出店の準備をボランティアでお願いされるくらいになった。
こんなにコミュ力高くなっちゃって学生時代の自分では想像できない生活を送っている一方で、若者が都会に流れていく影響で働き手が不足している現実を感じている。今の職場も半年経たずに上司が消えて常勤が私だけの部署になってしまい補充の人員がはいらない。昔ならドウシヨドウシヨ………と狼狽えていただろうが、自分がどこまでできるか、周りに影響力を与える存在になれるか等考えるようになりこれまでの経験値を活かすことができている。
その中でも今自分が何をなすべきか、求められるためにはどのように振る舞うかをすごく考えて生活をするようになった。環境の変化で人は変わると言うが、自分的にはかなり良い方で変わった気がしている。感謝。
1年でここまで変わるとも思っていなかったし次の1年間でどんな変化が生まれるか、どのような出会いがあるか楽しみである。

五.まとめ
つらつら思いの丈を並べてきたが最後に大切だなと思ったことをまとめる。
・コミュニケーション力は必要
一人だけで生きていける人は一握り。ある程度自分のことも気軽に話せるようなラフさがあればいいかも。友達も作れれば困ったときにすごい助かるがギブアンドテイクを忘れないように。
・自分の好きな料理店をみつける
行きつけのお店を作れれば心にゆとりが生まれる、気がする。料理店に限らず行ったら元気をもらえるお店は作るべき。
・最低限の自炊はできるように家庭科の授業は復習する
自分の好きな味付けで飯を作れると心が豊かになる。(断定) そのためには料理を少しできるようにはなっといたほうがいいかもしれない。
・就職希望者は"田舎"で区切るな 働く人たちはどこにいても同じプロフェッショナル
都会田舎関係なくそれぞれの場所で仕事をしている。そこには田舎だから遅れている、都会だから最先端、そういったことは決してない。どこに行っても自分ができるパフォーマンスを発揮することが大事。むしろ都会から移住し働く人はこういったことができそうと感じたときに環境整備して企業にプラスになることをしていくほうがいい。
中には今のままでもいい等意見があると思うが、そういった人たちを説得してこそ輝くものがあるのかもしれない…

六.最後に
この1年は公私充実した期間となったことは間違いない。いい出会い悪い出会い色々あったがすべて経験値にするくらいにはプラス思考でいられてる。
心が絶不調時代に出会ったあの男性に会えていなければこんなnoteを書けなかっただろう。私にとっては神様にあったかの印象だがこのnoteを見てくれた人たちに少しでも力を分けられたらと思う。
自分用にまとめたものだがまた来年、大きなことがあったら書こうと思う。

