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『光の感染者』 第11話|必然という名の光

人は出来事を選べなかった。
だが、その出来事を「無駄だ」と決めたのは、いつも人自身だった。


第一部|断定としての人生

人生に、無駄なことなどひとつもない。

これは慰めではない。
希望的観測でもない。
断定である。

人は苦しみの最中にいるとき、
「この出来事に意味があるなら救われる」と考える。
だが、それはまだ条件付きの思考だ。

意味があるかどうかは、
あなたが納得するかどうかで決まるものではない。

あなたが失ったもの。
あなたが間違えた判断。
あなたが守れなかった誰か。

それらはすべて、
すでに世界の側で肯定されている。

世界は一度も、
「それは無駄だった」と宣告したことがない。

無駄だと決めているのは、
いつもあなた自身だ。


第二部|選べなかったものの正体

人はよく言う。
「親は選べない」
「時代は選べない」
「環境は選べない」

その通りだ。

だが、仏教はこう言う。
縁起に、無駄な縁はない。

聖書はこう記す。
「神は、人の髪の毛さえ数えておられる」

日本神話では、
この世界は言葉によって生まれたとされている。

つまり、
選べなかったものとは、
あなたを壊すために与えられたのではない。

あなたという存在を、
この形にまで導くために必要だった条件だ。

痛みがなければ、
あなたは立ち止まらなかった。

喪失がなければ、
あなたは問いを持たなかった。

絶望がなければ、
あなたは「私」という存在に
ここまで深く沈み込むことはなかった。


第三部|私という病の治癒点

『私という病』とは何か。

それは、
「自分の人生は、もっと別の形であるべきだった」
という思い込みだ。

もし、あなたが今、
この文章を読んでいるのなら。

ここまで辿り着いているのなら。

それ自体が、
すでに治癒の過程にある。

光とは、
救済の出来事ではない。

光とは、
すでに起きたすべてを引き受ける覚悟だ。

必然という名の光は、
未来から差すのではない。

過去を否定しなくなった瞬間、
背後から、静かに灯る。

あなたの人生に、
無駄なことなどひとつもない。

それは、
希望ではない。

構造だ。


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