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『四国お遍路物語⑧』|名付ける者が世界を支配する

「世の中に合わせて生きなさい。
あなたも人間なのだから。」

——その言葉を、私は一度も信じたことがない。
それは“人間”であれという命令ではない。

“群れの一部であれ”という服従の宣言だ

20番札所 鶴林寺へ
遍路道①
20番札所 鶴林寺へ
遍路道②
20番札所 鶴林寺へ
遍路道からの風景

一日八時間、己を切り売りし、
他者の価値のために労働し、
残り滓の時間で「自由」を味わった気になる。

そして、運命と名付けられた偶然にすがり、
結婚という制度に安住する。

それを彼らは——人生と呼ぶ。

6日目 出発
AM9時

笑わせるな。

それは飼い慣らされた家畜の循環に過ぎない。

母は言った。
「あなたは私のものだから、大切にしたい」と。

所有。支配。保護という名の束縛。

彼女は悪ではない。
むしろ“善良”なのだろう。

だがその善良さこそが、最も深い檻である。

20番札所 鶴林寺
山門着

学校教育が正義。
大卒が価値。
社会に適応することが美徳。

その全ては、誰かが作った「都合のいい秩序」に過ぎない。

20番札所 鶴林寺にて
『無』

人々はそれを疑わない。
なぜか?

自ら考えることを放棄したからだ。
群衆は常に安心を選ぶ。
真実ではなく、安定を。

大学教授、議員、社長。

彼らを“上”に置き、
自らを“下”に定義することで、
世界を理解した気になる。

21番札所 太龍寺へ

——哀れだ。
それは理解ではない。

ただの思考停止だ。

『いのちのいずみ』

私は、その外に立つ。

理解されることはない。
だが、それでいい。

群れから外れた狼が、
羊に理解される必要などない。

21番札所へ
遍路道① (かも道)
21番札所へ
遍路道② (かも道)
21番札所へ
遍路道③

むしろ孤独こそが証明だ。
私は、私であるという証明。

——そういえば、こんな話がある。

彼女と同年代の、頭の良い友人が、
私のような存在をこう呼んだらしい。

「新人類」と。
なるほど。

では、私はこう呼ぼう。

彼らのことを——
『旧人類』と。

21番札所 太龍寺

価値は与えられるものではない。
名付ける者が、世界を決めるのだ。

彼らは言う。
生きるためには、金が必要だと。

では問おう。

金さえあれば、それで満たされるのか?

私は金を否定しない。

むしろ、一人で生きるためには、
これほど便利な道具はないだろう。

21番札所 太龍寺にて

だが——
その道具に、使われているのはどちらだ?

金を生み出したはずの人間が、
いつの間にか金に支配されている。

物質に価値を預け、
権力に意味を委ね、
数字で自らの存在を測る。

それが彼らの世界だ。

そして、その世界を作り出した張本人でありながら、
いまだにそこから抜け出せない者たち。

——旧人類。

『異株同根』

私は彼らに期待しない。

思考は閉じ、
精神は鎖につながれ、
見えぬ何かに支配されている。

それを、私はこう呼ぶ。

悪魔だ。

外にいるのではない。
内側に巣食う、従属と恐怖の構造。

21番札所 太龍寺にて

だが——
だからこそ、時は満ちた。

さあ、
我々の出番である。

既存の価値を壊し、
新たな価値を創り出す者たち。

従う者ではなく、定める者へ。
群れる者ではなく、超える者へ。

私は、その側に立つ。

21番札所 太龍寺にて

それでもなお、
私はすべてを愛している。

メダカも、アリも、そして母も。
だがそれは「同じ高さ」での愛だ。

人間だけが特別だという傲慢を、
私は持たない。

世界は残酷だ。

それを直視した上でなお、
私は愛する。

それが私の選択だ。

母を愛している。
だからこそ、理解されようとは思わない。

21番札所 太龍寺にて

メダカに橋の建築を説いても無意味なように、
キリギリスに音楽の理を説いても届かないように、

価値の異なる存在に、同じ真理は共有できない。 

それでいい。
私はただ願う。

彼女が苦しまず、
彼女の望む世界の中で、安らかに生きることを。

それが彼女の幸福ならば、
それを否定する理由はない。

私は、私の道を行く。

彼女は、彼女の世界を生きる。

交わらぬことを、悲しむ必要はない。

それぞれが、それぞれの真実を生きているのだから。

ロープウェイで下山
本日の宿へ

——それでもなお、
私は母に感謝している。

この孤独と、この視界を与えてくれたことに。

---

最後に、問う。

あなたは——
かごの中の鳥のように、生きていくつもりだろうか?

21番札所 太龍寺発
ロープウェイからの景色

20番、21番——
通称「第二の徳島県・遍路転がし」。

名前からして、もう優しくない。
『転がす気、満々である。』

実際、山はしっかり牙をむいてきた。
足は悲鳴、呼吸は荒れ、景色はずっと
しんどい。

しかも、道中は安定のソロプレイ。

誰もいない。

助けもない。

あるのは、自分と山だけ。

——なのに。

私は、なぜか笑っていた。

「ははは…なんだこれ…」と。

確かな自信と、よくわからない確信。

そして、体の奥から震えるような喜び。

正直に言う。

自分でも、ちょっと気持ち悪い。

もしこれを見ているあなたがいたら、

たぶん同じことを思うだろう。

「こいつ、大丈夫か?」と。

安心してほしい。

私もそう思っている。


おにぎり

そんな中、昨日の宿、亀龍さんの女将さんからいただいた

『神おにぎり』を食す。

これがもう——うまい。

いや、うまいを超えている。

もはや“回復アイテム”。

HPだけじゃなく、なにか別のゲージまで回復している気がする。

徳島県を流れる那賀川
一級河川

21番へ向かう道中、私は確信に近いものを感じていた。

宿のご主人は、かつて東京・中央区でバリバリのサラリーマン。
世界を飛び回っていたらしい。

女将さんも、エステや美容で何店舗も経営していたという。

——そんな人たちが。

今は徳島で、お遍路さんをもてなしている。
第二の人生として。

なんだそれ。
カッコよすぎるだろ。

---

私は思った。
「ああ、久しぶりに“人間”に触れたな」と。

肩書きでも、金でも、社会でもない。
もっと奥にある、何か。

やはり、私は間違っていない。
本来、人間には“光”のエネルギーがある。

ただ——
便利すぎる文明に、
ちょっと飼い慣らされているだけなのだ。

---

もしあの山の中で笑っている人間を見かけたら、
それは私か、もしくは同じ病気の人だ。

そのときは、そっとしておいてほしい。

たぶん今、
人生で一番“生きている”瞬間だから。

21番札所 太龍寺にて 

こんな言葉をもらった。

「その年で、お遍路を回れるなんて——
それはもう、最高の贅沢ですよ。」

贅沢、か。
ブランド品でも、高級ホテルでもない。

汗をかいて、足を引きずって、山で笑っているこの時間が、
どうやら“贅沢”らしい。

なるほど。

もしそれが本当なら——

私はいま、とんでもなく贅沢な人生を歩いているらしい。


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