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『普通』ってだれが決めると思う?|人類共通の“普通”なんて存在しない

「普通」ってよく使われるけど、“だれ”が決めたんだ?

  • 学校に行ってない

  • 将来の夢がない

  • 障がいがある

  • バツイチ

  • 仕事してない

  • 長続きしない

  • 友達少ない(いない)

  • 趣味がない

  • 学歴がない

  • 年齢の割に〇〇してない

ほかにもあると思うけど、世間の『普通』と比べたときに「自分って“普通”じゃないのかも」って思うことがある。


うちはきっと、世間から見たらみんな『普通』じゃない。

私:バツイチ
息子:不登校
我が父:車椅子

バツイチ、不登校はひと昔前よりも『普通』寄りになってきてるかもしれない。

でもそこに、突然の“車椅子”が出てくると「大変だね」と言われる確率が上がる。


職場のおばちゃまに「あんた苦労してるんだねぇ、大変でしょう」と言われた。

私、大変だったんだ!?

と思いつつも、なにが『大変』なのかピンとこなかった。

私に『苦労』した記憶はない


不登校は確かに苦労したけど、それは初期のころだけでいまはしてない。

離婚したことは私にとっては「おめでとう」だし、私が産まれる以前から父は歩けない。


“不登校”と聞くと、

「学校に行くのが“普通”」
「親が色々しないといけないから“大変”」

などの考えが浮かんでくるんだと思う。

当初は確かに『大変』だった。
学校に行くのが『普通』だと思ってたし、一時期は家の空気が最悪だった。

でもいまは、私の『普通』を変えたから重苦しい空気はなくなった。

息子はいろいろと葛藤してるけど、ずっと暗い顔をしてるわけでもない。

悩むエネルギーを筋肉にぶつけ、最近は家で筋トレに励んでいる。
誕生日プレゼントは『懸垂機』がいいと言う。

そろそろシックスパックを拝めそう。


“車椅子”と聞くと、

「歩けるのが“普通”」
「めんどう見ないといけないから“大変”」

などの考えが浮かんでくるんだと思う。

そして『介護』も連想するんだと思う。
確かに程度によっては『大変』な人もいる。

でも我が父は、自分でご飯食べるし、作るし、風呂も入るし、用も足すし、車も運転する。

なんなら、スイーツ作ってエンジョイしてる。

日常生活に支障はほぼない。
高いところにある物が取れないくらい。


私が言われた「大変」という言葉は、おばちゃま自身の『基準』からきている。

「学校に行くのが“普通”」
「歩けるのが“普通”」

そこから私の背景を想像した言葉だと思う。

でも、それはおばちゃまの『普通』であって、私の『普通』ではない。


『普通』というのは、

  • ルール

  • マナー

  • 常識

などからなんとなく決まり、世間から見たときに『多数派』のものが基準になりやすいのかもしれない。

そしてそれを自分の『感性』にあてはめて『自分の普通』に仕立て上げる。

結局のところ、自分の物差しで『普通』をはかっている

自分が「これが普通」だと思っていても当事者がそう思っていなければ、その『普通』はその人には当てはまらない


『普通』の基準は、人それぞれ。

だから私は人に『普通』を使いたくない。

でも、「普通は…」とか言っちゃうことがある。

相手が息子ならまだいい。

「これがオレの普通だから」と返ってくるから、「確かに!」と返して解決。

“確かに”で済まない場合は、なにがどうでこうだと説明する。
うっかり他のだれかに使ってしまったときは、言い直す。


あんまりにも道徳から外れてなければ『普通』なんてどれでもいいと思っている。

世間の『普通』は案外あいまいなもの。

だからこそ、だれかの『普通』ではなく、自分の『普通』を生きていけたら少しラクになれるのかもしれない



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