『絶対的知識』からの逃走|私は確実にトワプリをゲームキューブで遊んだ
自分が実際に体験したことを話す。
行った店の話。
食べた料理の話。
見た景色の話……。
なのに相手は「ちがうよ?」と、その話を全面的に否定してくる。
そう、私はゲームキューブで【ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス】を遊んだという話を友達にした。
そしたら、「え、Wiiでしか遊べないよ?」という『全否定』をくらった。
意味がわからない。
中古でソフトを買って、ゲームキューブを引っ張り出して…そんな経緯も話したのになぜか認めない。
「…実際遊んだんだけど、ゲームキューブで」
そう言っても頑なに譲らない。
1ミリも意味がわからない。
私は「実際に遊んだ」という『体験』を話した。
友達は「Wiiでしか遊べないはず」という『記憶』を話している。
友達の知識は、自分で積み上げたものだから『自分で確かめた』という感覚がある。
自分で調べたこと
自分が体験したこと
自分が記憶していること
友達の『頭の辞書(固定概念)』には、こうして自分で得たものだけが『正しい知識』として記載されている。
私の体験談は、受け取るしかない情報だから友達にとっては『確かめようがない』もの。
…友達はゲームキューブ版を見たことがないのかもしれない。
実際、ゲームキューブ版のトワプリは実店舗にソフトが並ばなかった。
『Wii版』
全国のゲームショップで一般発売
『ゲームキューブ版』
任天堂ホームページでのオンライン限定販売
『トワプリ=Wii』という情報が刷り込まれているとしたら…ゲームキューブで遊べるという事実が友達の辞書にはないのもうなずける。
だから、“私からの情報は自分の記憶と合わない”から「おかしい」と思って「Wiiでしか遊べないよ?」とか言い出した可能性は高い。
どう頑張ってもWiiには見えない黒くて取っ手がついてる四角いハードでトワプリをやったというのに。
ソフトのパッケージの右上に『NINTENDO GAME CUBE』と確実に書いてあるというのに。
もしかすると、自己肯定感の問題もあるかもしれない。
友達は「自分が違うかも」と思ってはいたかもしれない。
でも私の情報に負けたくないから認めない。
認める=負け
知らなかった=恥
訂正される=立場が下がる
知らない知識を受け入れることは、その『正しさ』が崩されるということ。
それは、自分の存在価値ごと揺らいでしまうことを意味する。
「こうだから」
「違うから」
こう決めつけることで『正しい知識を持っている自分』を感じて安心したい。
…のかもしれない。
私がもっと畳みかければ、トワプリはゲームキューブでもできると認めさせることはできたと思う。
ネットには『正しい情報』がたくさんある。
トワプリでいえば、ゲームキューブ版の攻略方法やWiiとの仕様のちがいとか、さまざまな情報がある。
それを見せつければ、さすがに納得したはずだ。
でも私は、頑なに否定された時点ですごくめんどくさくなっていた。
説得する気も起きなくなった私は、あとは友達が話していることをただ聞き流して適当な理由をでっちあげ、予定より早く帰った。
私の体験は1ミリも受け入れられず、真っ向から完全否定された。
『自分の辞書』という思い込みは、だれの中にも多少はあるものだとは思う。
でも目の前の人が「実際に遊んだ」って言ってるのに、受け止めもしないで自分の知識よりも下に置くのは違うんじゃないか。
無意識なんだろうけど、意識すれば自覚はできる。
なのにその無意識を自覚しようとしない。
これが問題。
知識と体験どっちが正しいとかじゃなく、『目の前の人の話を受け入れる姿勢があるか』が大事だと思っている。
もしまた似たような人に出会っても、何度か言って受け入れないならもう畳みかけることはしない。
私の経験上、自覚がない上に、一度受け入れなかったらずっとそのままであることがほとんどだった。
適当に聞き流して会話を終わらせる。
そして、フェードアウト。
だから私は、この友達と二度と会っていない。

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