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葵をまとう巫女王――「食わず女房」から、卑弥呼の源流が見えてきた

「食わず女房」の記事に、ある方から想像力を高めるコメントをいただいた。

そこには、台湾や中国大陸の南東沿岸部――浙江、福建、広東、海南島にかけての地域では、ヨモギ、芍薬、アイリスなどが「浄化の草」として用いられる、と書かれていた。

さらに台湾では、それに加えて、塩、米、熱湯も使うのだという。

そのコメントを読んだとき、わたしの中で、何かがふっとつながった。

日本の菖蒲。
蓬。
葵。
茅。

これらは、ただの季節の飾りではない。
ただの祭の小道具でもない。
草の香りによって、身体を守り、家を守り、共同体を守るための、古い祈りだったのではないか。

「食わず女房」は、飯を食べない女房を望んだ男のもとへ、美しい女がやって来る昔話である。

けれど、女房は本当は食べていた。
それも、顔の口ではなく、頭の上に開いた大きな口で。

いくつかの形では、正体を見られた女房は山姥や鬼女となり、男を連れ去ろうとする。
男は逃げ、菖蒲と蓬の茂みに身を隠す。
すると鬼女は近づけない。

菖蒲と蓬の香りが、異界のものを退ける。

最初、わたしはこの話を、男の欲望と観測の物語として読んだ。
「食べない女房がほしい」という身勝手な願いが、食わず女房という怪異を呼び寄せたのではないか、と。

けれど、旧暦五月五日の季節感を考え、中国や台湾に残る浄化の草の文化を知ると、この話はさらに大きな東アジアの祓いの流れの中に見えてくる。

旧暦五月五日は、今の五月五日のような爽やかな季節ではない。
今年なら六月十九日。
梅雨の湿気が濃くなり、草いきれが立ち、水の匂いが近づき、病やもののけの気配が生々しくなるころである。

その季節に、菖蒲や蓬を軒に挿す。
強い香りの草で、家と身体を守る。

さらに、夏越の大祓では茅の輪をくぐる。
京都の祇園祭は、疫病退散の祈りを背景に持つ。
葵祭では、葵の葉が神事の象徴として身にまとわれる。

菖蒲、蓬、茅、葵。

それらは、ばらばらの植物ではない。
旧暦の身体感覚に戻せば、湿った季節に人の命を守る、祓いの草としてつながって見えてくる。

そして、その先に、わたしは「巫女」の姿を見た。

葵祭の斎王代のような姿。
白く整えられた顔。
重ねられた衣。
葵を身につけ、神域を進む女性。
そのまわりに従う童女たち。

現代の目で見れば、それは平安王朝の雅な行列である。
けれど、もう少し深く見ると、そこにはもっと古い記憶が眠っているように思える。

草をまとう女。
神に仕える女。
共同体の穢れを受け止め、見えないものと人間のあいだに立つ女。

それは、卑弥呼の源流に触れているのではないか。

卑弥呼を、ただ王座に座る女王として考えると、どこか遠い。
けれど、草をまとい、香りをまとい、祓いを司る巫女として見ると、急に身体感覚が近づいてくる。

卑弥呼とは、王権の中心にいた女性というだけではなく、見えないものと交信し、共同体の不安や穢れを引き受ける存在だったのではないか。

中国の史書には、卑弥呼は「鬼道に事えた」と書かれる。
その言葉には、中国側から見た異民族へのまなざしも含まれているだろう。
けれど、そこには少なくとも、倭の社会において、女性の霊的な力が政治や共同体の中心にあったことがうかがえる。

さらに、中国の古い文化、とくに楚や江南の世界には、香草をまとい、魂を招き、神霊と交わる巫の文化があった。

楚辞の世界には、香り高い草が満ちている。
蘭、芷、杜若。
身を清め、魂を招き、神に近づくための草。

日本の菖蒲や蓬の祓いも、そうした東アジアの香草文化と、どこかで響き合っているのかもしれない。

もちろん、卑弥呼と楚を直接つなぐことはできない。
歴史として断定するには、慎重でなければならない。

けれど、文化の匂いとしては、確かに通じるものがある。

長江流域。
楚。
江南。
福建。
台湾。
海の道。
九州。
倭。

その流れの中で、草を使って祓う文化、巫女が神と人のあいだに立つ文化が、海を越えて響き合っていたのではないか。

そう考えると、葵祭の斎王代の姿は、ただの王朝装束ではなくなる。

それは、平安の衣の中に封じられた、古代巫女の記憶である。
卑弥呼へとさかのぼる、草をまとう女の姿である。

葵をまとう巫女王。

この言葉が、わたしの中に浮かんだ。

その姿は、実在の誰かを再現するものではない。
斎王代でもあり、卑弥呼でもあり、楚の巫女でもあり、倭の巫女王でもある。
そして同時に、わたし自身の中に眠っていた「祓いをまとう女」の像でもある。

草の香りをまとい、神域を進む女。
その背後には、菖蒲、蓬、葵、茅が揺れている。
さらに遠くには、台湾や中国南東沿岸部の浄化の草がある。
塩、米、熱湯の祓いがある。
東アジアの湿った季節を生きてきた人々の祈りがある。

「食わず女房」から始まった話は、思いがけず、卑弥呼の源流へと流れ込んでいった。

鬼女を祓う菖蒲と蓬。
夏を越える茅の輪。
都を守る葵。
疫を鎮める祇園祭。
そして、草をまとう巫女王。

これらはすべて、見えないものと向き合ってきた人々の知恵なのだと思う。

怖いものをただ退けるのではない。
病や穢れや異界の気配を、草の香りで受け止める。
人の身体と、家と、都と、共同体を守る。

その中心に、巫女がいた。

卑弥呼とは、そういう存在だったのかもしれない。

権力者というより、祓いをまとう女。
支配者というより、草と沈黙と祈りを身に受ける女。
人々の不安を受け止め、見えない世界へ声を届ける女。

わたしは、その姿を、いつか自分らしい絵にしたいと思った。

人の写真を借りるのではなく、わたし自身の感覚で立ち上げる。
AIとの対話を通じて、香草と祈りと巫女王の記憶を、ひとつの作品にする。

それは歴史の再現ではない。
わたしの中で観測された、古代の祈りの姿である。

葵をまとう巫女王。

その女は、緑深い神域を歩いている。
白い顔に、静かな眼差しをたたえている。
手には草を持ち、衣には香りが宿っている。
まわりには童女たちが従い、空気には初夏の湿り気が満ちている。

その姿の奥に、卑弥呼がいる。

そして、もっと遠くには、海を渡った香草と巫女たちの記憶がある。

昔話は、旧暦に戻すと匂いを取り戻す。
祭は、草を見直すと祈りを取り戻す。
そして巫女の姿は、東アジアの水脈に戻すと、卑弥呼の源流を思い出させる。

わたしは今、その香りの先に立っている気がする。

葵、菖蒲、蓬、茅。
そして、海を越えて響く浄化の草たち。

そこから、次の作品が生まれようとしている。

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