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食わず女房は、なぜ菖蒲を恐れたのか――女の身体を封じた男が見た、旧暦五月五日の量子怪談

「飯を食わん女房なら、養うのが楽でええ」

昔話というものは、ときどき、人間のいやらしい本音を、何でもない顔で差し出してくる。

『食わず女房』も、まさにそういう話である。

ある男が、飯を食べない女房がほしいと願う。
すると、たいそう美しい女がやってくる。

美しく、よく働き、しかも飯を食べない。

男にとっては、これ以上ないほど都合のよい女房である。
けれど、昔話はそんな都合のよさを、決してそのまま祝福しない。

女房は何も食べないはずなのに、家の米はどんどん減っていく。

不審に思った男が、ある日、こっそり女房の様子をのぞく。
すると女房は、髪をほどき、頭のてっぺんに開いた大きな口で、おにぎりをむしゃむしゃ食べていた。

ここで、話は一気に怪談になる。

食べないはずの女が、食べていた。
それも、顔の口ではなく、頭の上の口で。

なんとも恐ろしく、なんとも象徴的である。

けれど、これはただの「怖い女房」の話なのだろうか。

わたしには、そうは思えない。

これは、男の身勝手な欲が、異界の女を引き寄せた話ではないだろうか。

男は、女房がほしかったのではない。
自分に都合のいい幻がほしかったのである。

美しくあれ。
働け。
家を守れ。
けれど、食べるな。
欲しがるな。
腹を持つな。
身体を感じさせるな。

そういう願いが、女房の頭の上に、もうひとつの口を開かせた。

食わず女房は、どこかから勝手にやって来た怪物ではない。
男の欲望が、この世に呼び寄せた「欲望のかたち」だったのではないか。

女房が化け物だったのではない。
化け物じみていたのは、「食べない女がほしい」と願った男のほうだった。

ここに、ジェンダーの視点が入ってくる。

「食べない女房」とは、家父長制が夢見た理想の女である。

美しく、従順で、家を守り、労働し、しかも自分の欲望や身体性を主張しない女。

しかし、そんな女は存在しない。

人は食べる。
女も食べる。
命あるものは、みな食べる。

そこを否定したとき、身体はどこかで裂ける。
隠された食欲は、隠された場所から現れる。

女房の頭に開いた口は、抑圧された女の身体そのものに見える。

顔の口では食べない。
つまり、社会に見える場所では欲を見せない。

けれど、隠された場所では、命はむさぼるように食べている。

食欲とは、生きたいという声である。

それは食欲だけではない。
性欲、怒り、疲れ、野心、自由への願い、ひとりの人間として生きたい感覚。
そういうものが「女らしさ」の名のもとに封じられると、別の場所に口が開く。

あな、をかし。

昔話は、やさしい顔をして、なかなか意地が悪い。

そして、この『食わず女房』は、五月五日の菖蒲の節句とも深く関係している。

ただし、ここでいう五月五日は、今の太陽暦の五月五日ではない。

昔の五月五日は、旧暦の五月五日である。
今の暦に直せば、だいたい六月上旬から中旬ごろ。
つまり、爽やかな青空の下で鯉のぼりが泳ぐ季節というより、梅雨入り前後の、湿り気を帯びた季節である。

空気は重くなり、草は濃く茂り、水の匂いが立ちのぼる。
虫も、病も、湿気も、もののけの気配も、どこか近くなる。

その季節に、菖蒲と蓬を軒に挿す。

今では「男の子の節句」「菖蒲は尚武に通じる」と説明されることが多い。
もちろん、それも後の時代には大切な意味になったのだろう。

けれど、もっと古いところでは、菖蒲も蓬も、強い香りを持つ魔除けの草である。

あれは飾りではない。
家を守り、身体を守り、湿った季節に近づいてくる邪気や病を祓うためのものだった。

『食わず女房』のいくつかの形では、正体を見られた女房が山姥や鬼女の姿となり、男を桶や背負い籠に入れて山へ連れ去ろうとする。

男はすきを見て逃げる。
追いかけてくる女房から逃れるために、菖蒲と蓬の茂みに身を隠す。

すると、女房はそこへ近づけない。

菖蒲と蓬の香りが、異界のものを退けるのである。

ここに、旧暦五月五日の本来の湿り気がある。

菖蒲の節句とは、ただ勇ましい男の子の日ではなかった。
湿気と病ともののけの季節に、香りの草で命を守る日だった。

そして、ここからさらに、量子力学的な解釈ができる。

男は「食べない女房がほしい」と願った。

つまり、男は現実をそう観測したのである。

「女とは、こうあってほしい」
「女房とは、こういう存在であってほしい」
「食べず、欲しがらず、自分に尽くす存在であってほしい」

その観測が、現実の波をひとつの形へと収束させた。

量子力学では、観測によって状態が決まる、という考え方がある。
もちろん、昔話をそのまま物理学で説明するわけではない。

けれど、物語の読み方として見れば、これはとても示唆的である。

男は、女をひとりの人間として観測しなかった。
「食べない女房」という、自分に都合のよい役割として観測した。

その結果、現れたのは、人間の女ではなかった。

食わず女房である。

つまり、男の観測が歪んでいたから、現実も歪んだ姿で立ち上がったのである。

女房は最初から怪物だったのか。
それとも、男のまなざしが、彼女を怪物として固定したのか。

この問いは、現代にもつながっている。

人は、相手をどう観測しているのか。

女を、女としてしか見ない。
母を、母としてしか見ない。
妻を、妻としてしか見ない。
男を、強くあるべきものとしてしか見ない。
子どもを、親の期待を満たす存在としてしか見ない。

そのとき、相手の本来の可能性は、ひとつの役割に閉じ込められる。

ほんとうは、もっと多様な状態が重なり合っていたはずなのに。

やさしさもある。
欲もある。
疲れもある。
怒りもある。
美しさもある。
醜さもある。
静けさもある。
叫びもある。

人間とは本来、ひとつの役割に収まりきらない、揺らぎを持つ存在である。

それなのに、「お前はこういう存在であれ」と観測された瞬間、その人はその役割の中へ押し込められる。

女房は、「食べない女」として観測された。
だから、食べる口を顔に持つことができなかった。

表の口では食べられない。
けれど、命は食べずにはいられない。

その矛盾が、頭上の口となって現れた。

これは、量子的に言えば、抑圧された可能性が、別の経路から現実化した姿なのかもしれない。

観測されなかった身体。
認められなかった欲。
存在してはいけないとされた腹。

それらは消えたのではない。

ただ、見えない場所に潜っただけである。

そして、ある日、髪をほどいたとき、そこに口が開く。

怖いのは、女の身体ではない。
身体をなかったことにする観測のほうである。

この話において、菖蒲と蓬が祓っているのは、単なる鬼女ではないのかもしれない。

それは、歪んだ観測そのものではないだろうか。

「女は食べないほうがいい」
「女は欲を見せないほうがいい」
「女は身体を感じさせないほうがいい」
「女は男にとって都合よくあるべきだ」

そういう観測が生み出した怪物を、菖蒲と蓬の香りが祓う。

理屈ではない。
道徳でもない。
香りである。
草である。
身体である。

旧暦五月五日、今でいえば六月半ば。
梅雨の気配が濃くなり、草いきれが立ちのぼるころ、軒先に挿された菖蒲と蓬は、こう語っていたのかもしれない。

食べることを恥じるな。
身体を嫌うな。
欲をなかったことにするな。
命は、匂いを放って生きている。

だからこそ、菖蒲湯に入る。
香りをまとう。
身体を祓う。
そして、自分の命をこちら側へ連れ戻す。

『食わず女房』は、怖い昔話である。

けれど、その奥には、女の身体をめぐる古い知恵がある。

食べる女が怖いのではない。
食べる女を怖がるまなざしが、怖いのである。

欲を持つ身体が穢れているのではない。
欲を持たないふりをさせることが、身体を歪ませるのである。

そして、量子力学的に言えば、これは観測の物語でもある。

相手をどう見るか。
自分をどう見るか。
そのまなざしが、どんな現実を立ち上げるのか。

男は「食べない女房」を観測した。
すると、食べない女房が現れた。
けれどそれは、男が望んだ理想の女ではなく、男の欲望の歪みを映した異形だった。

願いは叶った。
けれど、その願いの底が濁っていた。

昔話は、そこを見逃さない。

わたしたちは、他者を勝手な理想で観測してはいないだろうか。

女だから。
男だから。
母だから。
妻だから。
先生だから。
子どもだから。
こうあるべきだと、誰かの命を小さな箱に閉じ込めてはいないだろうか。

そして、自分自身に対しても、同じことをしてはいないだろうか。

わたしはこうでなければならない。
この身体でなければならない。
この性でなければならない。
この役割を果たさなければならない。

そうやって、自分の揺らぎを消そうとしたとき、心や身体のどこかに、もうひとつの口が開く。

その口は、叫んでいる。

わたしは、ここにいる。
わたしにも、腹がある。
わたしにも、欲がある。
わたしにも、生きたいという声がある。

五月五日の菖蒲と蓬は、そんな声を祓うためにあるのではない。

むしろ、取り戻すためにある。

身体をこちら側へ戻す。
命をこちら側へ戻す。
歪んだ観測から、自分を解き放つ。

梅雨の闇に、草の香りが立つ。
女房の頭の口が開く。
男は逃げる。
菖蒲が揺れる。
蓬が匂う。

そのとき昔話は、ただの怪談ではなくなる。

身体を取り戻すための、古い祈りになる。

そして、こう言っているようにも聞こえる。

都合のいい幻を愛してはならない。
生きている身体を見よ。
揺らぎを持つ命を見よ。
その人を、役割ではなく、ひとつの宇宙として観測せよ。

それができたとき、食わず女房は、もう怪物ではなくなるのかもしれない。

彼女はただ、腹を空かせたひとりの女だった。

食べることを許されなかった、ひとつの命だった。


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