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「言い訳している」「時間を損している」は、事実ではなく私の翻訳だった。

システムの移行リハーサルで、タイムチャート上は実施予定だった作業が実施されず、しかも下記のような状態。

・実施できないと判明した時点で報告なし
・毎日の会議で「問題はありませんか?」と確認しても「問題ありません」
・リハ終了後に未記入の実績時刻を見て、私が発見して指摘

私はかなりイライラしました。
しかし、後から考えると「作業を実施できなかったこと」だけに怒っていたわけではありませんでした。


私は「失敗」より、「問題を問題として扱わないこと」に強く反応する

予定どおりできないこと自体は、仕事なら普通にありますし、計画変更もあります。私が強く反応するのは、前提が変わったのに共有されず、それが「問題なし」と扱われるという状態です。

つまり、
「変更」に怒っているのではなく、変更が起きているのに、問題として共有されないこと
に強く反応していました。


繰り返されると、私の中で「今回」ではなく「パターン」になる

ただ、私は最初からイライラするわけではありません。

指摘した
→ 理由を説明した
→ 改善をお願いした
→ また似たことが起きる

という蓄積で感情が強くなります。

頭の中では、今回の説明だけでなく、過去数回分まで同時に再生されているような状態です。

なぜ、そうなるのか?

一つの仮説として、私が習慣化や継続を重視しているため、
同じことが繰り返される
という事実に、私は必要以上に大きな意味を与えやすいのだと思います。

そのため、
「今回はなぜこうなった?」が、
「またか」や「何度言えば分かるのか」になりやすい。


そして今回、もう一段掘ってみると、この「またか」のあとに、自分の中で別のことが起きていると気づきました。

私は、相手が実際にしたことだけを見ていたわけではありませんでした。
そこに、自分なりの意味をかなり早い段階で付け加えていたのです

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