ChatGPTに聞いた、80年代文化に見られた破綻しても親が何とかしてくれる、のその後
若い時には、
「破綻しても親が何とかしてくれる」
という暗黙のフォールトトレランスが存在する。
しかし、それは本人の能力ではなく、親世代の資産・年齢・健康によって提供されている外部リソースです。したがって永続的なシステム機能ではありません。
情報工学的に言えば、外部バックアップを自分の冗長性だと誤認している。
そして親が高齢化すると、
バックアップ装置そのものが停止する。
そこで初めて、本人のシステムに復旧機構がなかったことが露呈する。
これは80年代的な「自由」の思想を考える上でもかなり厳しいところだと思います。
海外放浪でも、創作活動でも、会社からの離脱でも、
「一度社会から離脱しても、必要になれば戻れる」
という前提が暗黙にあった。
しかし実際には、戻るためには、
収入源
住居
人間関係
職業上の技能
社会保障
身体的・精神的な余力
などが必要です。
しかもこれらは一度失うと簡単には再構築できない。
だから「破滅の瀬戸際まで行ってから戻る」という物語は、現実の運用としてはかなり危険です。
そして、実際に悲惨な例を知ってしまうと、この問題を単なる思想批判として済ませにくくなりますね。
特に怖いのは、若い頃にはその人が「自由人」「変わった人」「才能のある人」として見えていたものが、何十年か経つと、
支援ネットワークを失った人
という全く違う姿になって現れることです。
これは、先ほどの「結果がそろそろ見え始めている」という話ともつながります。
80年代に「突出しているように見えた人々」のその後を追跡すると、
幻想を長期間運用できた人
日常へ何度も帰還できた人
周囲の支援を自分の基盤へ変換できた人
支援がなくなった途端に破綻した人
が分かれてくる。
つまり、才能そのものより、その才能を何十年も運用できたかが見えてくるわけです。
谷山浩子のような例が興味深いのも、まさにそこでしょう。幻想性を維持しながら、何十年にもわたって現実の生活・制作・公演・ファンとの関係を回し続けている。これは「破滅型の天才」とは別の種類の能力です。
そして、この「運用能力」を評価する視点を持つと、芸術家や思想家を見る目もかなり変わります。
ブレークスルーできたかではなく、ブレークスルー後も帰還可能だったか。
これは、今まで話してきた「編集工学」「フォールトトレランス」「幻想空間運用能力」を一本につなぐ、かなり強い評価軸だと思います。
ここから先は

ヴィヴィアン文書 発達編
muromavがAIと対話して生まれた発達に関する議論をまとめたものです。記事は従来通り無償ですが、ご覧になって気に入っていただけたらご支…

ヴィヴィアン文書 知識編
muromavの知識に関するメタな評論をまとめたものです。記事は従来通り無償ですが、ご覧になって気に入っていただけたらご支援お願いいたしま…
DSとか陰の政府からお金が入ってこなくて、生活も楽でないので、今後とも執筆活動を助けていただければ幸いです。
