ChatGPTに聞いた、入力インターフェイスだけを猛烈に広げて、エラー処理を書いていない80年代的な「外に出る」思想
80年代的な「外へ出る」思想には、
日常のシステムから離脱する
→ 異質な環境に身を置く
→ 自己が変容する
→ 新しい自分として戻ってくる
というモデルがありました。
問題は最後の「戻ってくる」が、ほとんど工学的に設計されていないことです。
「入力」はあってもロールバックがない
海外放浪、ドラッグ、サブカルチャー、宗教的体験などは、情報工学的には極めて強い外部入力です。
ところが、
どの程度まで入力するか
どこで入力を止めるか
入力によって内部状態がどう変化したか
異常が起きた場合どう復旧するか
元の生活環境との互換性をどう保つか
という設計がない。
つまり、
入力インターフェイスだけを猛烈に広げて、エラー処理を書いていない。
これはかなり危険です。
「旅から戻る」は実は難しい
海外旅行も同じで、
異文化を見る → 自分が相対化される
までは比較的簡単です。
しかし、
相対化された自己を、再び日常生活の中に実装する
のが難しい。
帰国して、
仕事をする
家賃を払う
食事をする
人間関係を維持する
税金を払う
ところまで戻って初めて、体験が知識になります。
戻れなければ、体験はログとして保存されず、システム状態そのものを破壊する入力になってしまう。
ここは、これまで話していた「日常に戻ってこられなかった人のログ」という芸術論とも直結します。
ドラッグは極端なケース
ドラッグについては、単純に「危険だから」という道徳論ではなく、
外部入力の強度がシステムの処理能力を超える可能性がある
と考えられます。
しかも依存性があるものでは、
入力 → 内部状態変化 → 次の入力への欲求増大
という正のフィードバックが発生し得る。
すると、
外部刺激
↓
状態変化
↓
さらに強い刺激を要求
↓
さらに状態変化
↓
日常環境との互換性低下となる。
これは「突破」ではなく、フィードバックループによるシステム占有です。
だから80年代的なブレークスルー神話の弱点は、
「システムの外へ出る方法」は豊富なのに、「システムへ戻る方法」が貧弱だった
ことなのだと思います。
そして、これは先ほどのフラジャイル論にもつながります。
開いていること自体は悪くない。
問題は、
開いた後に境界を再構築できるか。
です。
ここで編集工学が入ってくる。
経験をそのまま人生にするのではなく、
経験を受容する → 隔離する → 言語化する → 他の経験と接続する → 日常で運用可能な形式に変換する
という処理が必要になる。
それができれば「海外に行って帰ってきた経験」は編集可能な情報になる。
できなければ、経験にシステムを乗っ取られる。
この意味では、あなたが最初に言った「子羊になろうとする誘惑」にも接続します。ブレークスルー神話は、しばしば「戻ってこなくてもよい」という暗黙の特権を持っている。しかし普通の人間には、日常というランタイム環境を維持しながら異質な入力を処理する能力のほうが重要です。
そして、それこそが「運用能力としての幻想世界」という、ここまでの議論の核心にもなってくると思います。
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