E203 Kaye Ballard - In Other Words
月へ行く前のワルツ
シナトラが宇宙へ飛ぶ前、キャバレーで密かに歌われた原曲の魔法。
いやぁ、音楽ってのは本当に数奇な運命を辿るものだよねぇ。
「Fly Me to the Moon」って曲、誰でも知ってるでしょ? ジャズのスタンダードであり、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のエンディングで若い世代にもすっかりお馴染みになった。でもさ、この曲が最初からあのタイトルで、あの軽快なスウィングのリズムだったと思ってる人が多いんじゃないかな。
実は違うんだよ。もともとは1954年に、バート・ハワードっていうキャバレーのピアニストが書いた曲でさ。最初は「In Other Words(言い換えれば)」っていう、なんとも控えめなタイトルだった。しかもリズムは3拍子、つまりワルツなんだよね。
今回は、その正真正銘の「最初の録音」であるケイ・バラード(Kaye Ballard)のバージョンについて語ろうかと思う。シナトラのアポロ計画的なド派手なテイクもいいけど、このオリジナル版には、まだ月が「遠くてロマンチックな作り話」だった時代の、しっとりとした湿度があるんだよ。今の若い人たちにもね、完成されたポップアイコンの「へその緒」みたいなこの音源に、ちょっと耳を傾けてみてほしいんだよね。まあ、俺はこう思うけど、どう感じるかは人それぞれだからね。いいじゃないの、そういうの。(記: 森田和義)
基本情報
作詞者:Bart Howard (バート・ハワード)
作曲者:Bart Howard
編曲者:不明
プロデューサー:不明
発売日:1954年4月
レコード会社:Decca Records
収録スタジオ:Decca Studios, New York
レコーディングに参加したアーティスト
Kaye Ballard (Vocals),
Sy Oliver and His Orchestra
チャート状況
発売当時のビルボード・チャートで1位を獲ったような、わかりやすいメガヒットじゃないんだよね、実は。当時のニューヨークのキャバレー界隈で「なんかいい曲があるぞ」って口コミでジワジワ広がっていったタイプの曲。だから累計何百万枚売れた!みたいな派手な記録はこの時点ではない。ただ、この曲自体は後に何百人ものアーティストにカバーされて、1999年には「ソングライターの殿堂(Songwriters Hall of Fame)」のタワー・オブ・ソング賞を受賞することになる。そのすべての起点、ビッグバンの瞬間がこの録音なんだよ。
楽曲のエピソード
だいたいね、人間ってのは「最初から完成図が見えてる」なんてことは稀なんだよ。バート・ハワードは当時、ニューヨークのキャバレー『ブルー・エンジェル』で伴奏ピアニストをしていてさ。パブリッシャーから「ちょっとキャッチーな曲を書いてよ」って言われて、たった20分で書き上げたらしいんだよね。
その時、彼の中には明確なコンセプトがあった。「AABA」の形式とか、そういう理屈じゃなくて、ひたすら言葉を紡ぐようなメロディ。コード進行を見てみると、もう見事な『サイクル・オブ・フィフス(5度圏)』なんだよ。Am7からDm7へ行って、G7からCmaj7へ着地する。この流れるようなツー・ファイブ・ワン(II-V-I)の連続ね。音楽理論でいうところのモーダル・インターチェンジなんかも絡みつつ、重力が自然に下へ下へと向かっていくような、逆らえない引力がある。これが、まるで恋に落ちていくときの「抗えなさ」を見事に音で表現してるんだよねぇ。
で、録音とサウンドデザインの話なんだけど。1954年のDeccaスタジオのモノラル録音。今のJ-POPみたいにLUFS(ラウドネス値)がパンパンに張った、波形が海苔みたいに真っ黒な音とは真逆。DR(ダイナミックレンジ)が広くて、息づかいがそのまま残ってる。マイクはおそらく当時のリボンマイクか初期の真空管コンデンサーだろうね(推測だけどさ)。トランジェント(音の立ち上がり)が丸くて、ハイパス/ローパスでガッツリ帯域を削るような現代のミックスじゃないから、中低域がすごくふくよかなんだ。
ボーカルの帯域バランスも絶妙でさ、真空管サチュレーションの温かみが声の芯にギュッと集まってる。なんか昔の純喫茶の、布フィルターで淹れたちょっと温めのコーヒーみたいな匂いがするんだよな。録音の空気が湿ってるっていうかさ。
リズムとグルーヴも面白い。さっき言った通り、最初は3/4拍子のワルツなんだよ。4/4拍子のスウィングじゃないの。このワルツってのがね、俺の感覚だと、雪駄を履いて神楽坂の石畳を下ってるみたいなリズム感なんだよね。タッ、ツッ、ツッ…って、少し後ろに重心が残る感じ。ドラムとベースの相互作用も、ビートを推進させるっていうよりは、歌い手の感情の波に合わせて揺れてる。オーケストラ・アレンジも、ストリングスが過剰に泣き叫ばず、管楽器が品よく合いの手を入れる。
歌詞についてだけど、パブリッシャーは最初から「Fly Me to the Moonをタイトルにしろ」って言ったらしいんだよ。でもハワードは「いや、それじゃ直接的すぎる」って突っぱねた。彼にとってのサビ、一番言いたかったことはそこじゃなかった。
曲の中で彼は、
"In other words, I love you."
って歌わせてる。これだよ。月へ連れて行ってとか、星たちの間で遊ばせてとか、散々ポエティックな比喩を並べ立てた後で、「別の言葉で言えば、愛してるってことなの」って照れ隠しみたいに落とす。この構成が見事なんだよね。全編の歌詞のストーリーや隠された比喩なんかを知りたい人は、Google検索で曲名を調べてフルサイズの歌詞を読んでみてよ。言葉遊びの粋が詰まってるから。
アーティストの歴史
ケイ・バラードって人はね、もともとブロードウェイやテレビ、コメディの世界で活躍したエンターテイナーなんだよ。ジャズ・シンガーというよりは、ミュージカル女優としての血が濃い。だから彼女の歌唱は、ビブラートの幅も広くて、ベルティング(地声での力強い発声)も使って、言葉の子音と母音を演劇的にはっきりと発音する。可読性が異常に高いんだよね。
この「In Other Words」の初録音は、彼女にとって「歴史に名前を刻んだ瞬間」ではあったんだけど、残酷な見方をすれば、彼女自身がこの曲でスーパースターになったわけじゃない。後にペギー・リーが歌い、フランク・シナトラがクインシー・ジョーンズの魔法(4/4拍子への改変と分厚いビッグバンド・アレンジ)によって宇宙規模のヒットにしちゃったからね。
でもさ、「大きな転機らしいけど、当人はどうでもよかったんじゃない?」って気がするんだよ。彼女はその後もコメディアンとして、舞台で人を笑わせ、泣かせ続けた。最初に月へ手を伸ばしたのは彼女だけど、彼女自身は地に足を着けて、劇場という空間を愛し続けた。歴史の文脈とか系譜の中で、あえて「メガヒットを出さなかったオリジナル歌手」という立ち位置にいるのが、逆に人間臭くていいじゃないの。俺はそういう人、嫌いじゃないね。
評価
この録音の評価って、当時の視点と現代の視点でパックリ分かれると思うんだよ。
長所はね、なんといっても「告白の音楽」としての純度の高さ。ワルツの揺れが、ためらいや胸の高鳴りを見事に表現してる。シナトラのバージョンが「俺と一緒に月へ行こうぜ!」っていう自信満々なエスコートだとしたら、ケイ・バラードのバージョンは「月へ飛んでいけそうな気分なの…つまり、あなたのことが好きなの」っていう、内に秘めた熱情の吐露なんだよね。
でも、あえて構造的な弱点を指摘するなら、「ポピュラー音楽としての推進力の欠如」だろうね。3拍子特有の停滞感があって、バックビート(裏拍)の強烈な推進力がない。それに、彼女の演劇的な歌唱は、良くも悪くも「聴き手に注目を強要する」ところがある。今のBGM的に消費されるプレイリスト音楽の中で流れてくると、ちょっと仰々しく聞こえちゃうかもしれない。フェイズコヒーレンス(位相の整い方)なんかはモノラルゆえに完璧なんだけど、現代の耳からすると空間の広がり(ステレオ感)がないから、窮屈に感じる人もいるはずだ。
隣接ジャンルである当時のジャズボーカルの潮流(エラ・フィッツジェラルドやサラ・ヴォーンのような器楽的アプローチ)と比較しても、少し舞台寄りすぎる。でもさ、それこそが「反論の可能性」であって、この仰々しさ、生々しさこそが、キャバレーという密室のエンターテインメントの真髄なんだよ。
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あとがき
いや、なんでこんな話してんだっけ? そうそう、ワルツの話だよ。
このケイ・バラードの「In Other Words」を聴いてるとね、なんか、フランソワーズ・サガンの小説の端っこに出てきそうな、アンニュイだけど心の中は燃えている女の人の姿を思い出すんだよね。深い意味はないんだけどさ。ちょっと思い出したから言ってみただけ。
音楽史的な意義で言えば、この曲は「名曲がいかにして形を変え、時代を生き延びるか」の最高のサンプルだよね。3拍子のキャバレーソングが、4拍子のスウィングになり、やがてボサノバになり、アニメのエンディングになり、そして実際にアポロ10号や11号のミッションで宇宙空間で再生される。
でも、すべての始まりは1954年の春、ニューヨークの湿った空気の中で録音されたこのワルツなんだよ。「50年後に残ってたらすごいよね」なんて言うけど、もう70年以上残ってるんだからさ。やっぱり音楽ってのは、計算じゃなくて、その時の匂いとか温度をパックしたものが、結果的に時代を超えるんだろうねぇ。まあ、この話、ついてきてる人いるのかね?(笑)
ベースが急に背中を押してくる感じ、みんなも自分の耳で確かめてみてよ。
Before Sinatra flew to the moon, Kaye Ballard waltzed there. The raw, cabaret soul of a 1954 classic.?
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