E102 The Band/The Night Drove Old Dixie Down
ザ・バンドのセルフタイトル2ndアルバム(通称「ブラウン・アルバム」)は、19世紀農村アメリカを切り取った意欲作だ。当時のロックは長いギターソロやサイケ色に溢れていたが、このアルバムは古いフォークやカントリーの血を引き継ぎつつ、R&Bや初期ロックンロールを大胆に融合して“全く新しい”サウンドを作り上げた。このレヴォン・ヘルムの切々とした歌声で語られる「The Night They Drove Old Dixie Down」は、そのアルバムからの代表曲だ。南北戦争末期の南部を背景に、敗北する南軍兵士の人生と嘆きを鮮烈に描き出す物語は、当時のリスナーに衝撃を与えた。(記:蛮楠烈太)
基本情報
作詞・作曲:ロビー・ロバートソン
編曲:ザ・バンド(メンバー全員)
プロデューサー:ジョン・サイモン
発売日:1969年9月22日(アルバム『The Band』と同日)
レコード会社:キャピトル・レコード
収録スタジオ:ロサンゼルス・ハリウッドにあるサミー・デイヴィスJr所有のプールハウス(通称「クラブハウス」)とニューヨークのザ・ヒットファクトリー
参加ミュージシャン(ザ・バンドのメンバー):
レヴォン・ヘルム – ドラム、リード・ボーカル
リック・ダンコ – ベース、バックボーカル
ガース・ハドソン – オルガン、クラヴィネットなど
リチャード・マニュエル – ピアノ、バックボーカル
ロビー・ロバートソン – ギター
チャート状況
ザ・バンド自身のシングルとしてはA面曲「Up on Cripple Creek」に隠れて地味だったが、ジョーン・バエズのカバーが1971年に大ヒットした。バエズ版は全米Billboard Hot 100で最高3位、キャッシュボックスでも3位を記録し、大人向けチャート(AC)では5週連続1位を獲得。またイギリスでも6位、カナダ3位、オーストラリア5位となり、同年のBillboard年間シングル総合20位にもランクインした。加えてバエズ版は1971年10月にRIAAゴールド認定(100万枚売上)を受けている。つまりオリジナルもカバーも含めて、世界中で反戦ソングの金字塔として認知されたと言えるだろう。
ロビー・ロバートソンはこの曲の構想に約8ヶ月を費やしたという。最初はメロディだけ頭にあって歌詞がなかったが、ヴァージニア州出身のドラマー、レヴォン・ヘルムの助けでウッドストックの図書館で南北戦争の歴史を調べ、南軍の英雄リー将軍も敬意を込めて描くことを心に決めたという。結果、貧しい南部兵士バージル・ケインの視点で「1865年の冬、鉄道を破壊されて飢えて……」と歌い始める印象的な歌詞が完成した。アルバム『The Band』の曲の一つとして収録され、ロバート・ボーマンによればこのアルバムは「古きアメリカーナ」をテーマにしたコンセプト作とも評価されている。
ザ・バンドはこの曲をライブでも頻繁に演奏し、1972年のライブ盤『Rock of Ages』や1976年のツアー(ボブ・ディランとの共演)を収めた『Before the Flood』などにも収録された。特に1976年の解散コンサート『ラスト・ワルツ』では、この曲をセットリストの終盤で披露。マーティン・スコセッシ監督による同名ドキュメンタリー映画でも印象的に収録され、観客の心を揺さぶる場面となった 。特に1976年の解散コンサート『ラスト・ワルツ』では、この曲を最後に披露。マーティン・スコセッシ監督による同名ドキュメンタリー映画でその感動的な演奏が記録されている。後年ヘルムはコンサートでこの曲を拒んでいたが、それはスコットランド人歌手ジョーン・バエズのアレンジを気に入らなかったためとも言われている。一方、バエズ自身は初めレコード盤を耳コピで歌詞を書き写し、正確さを期して後に歌詞を修正したとRolling Stone誌のインタビューで語っている。
ザ・バンドはもともと1950~60年代にロカビリー歌手ロニー・ホーキンスのバンド「ホークス」として活動していたグループだ。1960年代半ばには「レヴォン&ザ・ホークス」としてボブ・ディランのバックバンドに起用され、1966年の電気ロック移行ツアーや1967年の「ベースメント・テープ」を残した。1968年に出したデビュー作『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』で批評家の度肝を抜くと、翌1969年のセルフタイトル作で本格的に独自路線を確立したのだ。彼らは三人の個性的なリード・ボーカリスト(ヘルム、ダンコ、マニュエル)と、万華鏡のように次々変わる楽器編成を武器に、まさに「各曲ごとに異なる音世界」を作り出している。中でもロビー・ロバートソンはギターとソングライティングの才に秀で、ガース・ハドソンは“ワンマン楽団”とも呼ばれる超絶技巧のキーボーディストだ。
興味深いのは、彼らが1969年にサンフランシスコの本格スタジオではなく、ハリウッド郊外のサミー・デイヴィスJr所有のプールハウスでレコーディングを行ったことだ。ロバートソン自身が「ベースメント・テープの自由な空気を再現したかった」と語るように、当時のレコード会社に反してあえて「クラブハウス方式」を採用。配信も休憩も時計に縛られず、アナログテープにバンド全員が輪になって音を刻み込んだのである。その結果、録音には住宅のコンクリート壁や暖炉の乾いた響きまでが余韻として残り、生のセッション・フィールがストレートに伝わってくる。こうした反骨精神は後のラスト・ワルツ(1976年)での“最後の雄姿”にも見られ、バンドの黄昏期すら伝説的なカタルシスに昇華した。
初出時の批評では、そのリアリズムと人間味に目を見張った者が多かった。ローリング・ストーン誌のラルフ・J・グリーソンはこの曲について「歴史への圧倒的な臨場感を伝える」と絶賛し、黒澤明の『赤い勲章』になぞらえるほどの力作と評した。今なおロック史の金字塔とされ、ローリング・ストーン誌の“オールタイム500大ソング”にも選出されている。一方で、21世紀に入って歌詞の内容を疑問視する声も上がっている。ターニャ・ネーシス・コーツらは一時「南部の失敗者を美化し、亡霊めいた共感を示しているのでは」という見方をしたが、これは歌詞の主人公が奴隷所有者ではなく単なる貧乏白人で、作者自身がカナダ人である点からすると解釈に誤解があると論じる向きもある。要は、この曲は物悲しくもニュートラルな歴史の証言であって、決して人種差別を礼賛する歌ではない。反戦的な視点から南北戦争末期の「悲劇」を描いた叙情詩であり、作詞者もまたヘルムも奥深い同情心を持って歌っているのだ。そう考えれば、この曲の評価はむしろ普遍性を増す。
荒涼とした歴史絵巻を、これほど魂を揺さぶる形で音にした曲は他にない。壮絶なギターとハーモニカ、太いドラムのリズムの中を、ヘルムの声がガラスを割るように響き渡る。リスナーの心には、戦火で焦土と化した故郷と、最後まで立ち尽くす「南部の男」の哀しみが焼き付く。ロックの巨人たちに認められた名曲としても、聴けば生命力のような畏怖が心を貫く名編だ。まさに音楽が人生そのものだと感じさせる一曲――時代を超えて耳元で鳴り続ける、南部の魂の叫びである。
