声がアンサンブルになる: ミルス・ブラザーズ、ボズウェル・シスターズ、インク・スポッツ、ゴールデン・ゲート・カルテット
1930年代のアメリカでは、スウィングのビッグバンドが勢いを増し、大勢の楽器奏者が作り出す厚いサウンドが人々を踊らせていた。
その一方で、もっと小さな編成で、まったく違う方法で音楽を組み立てる歌手たちもいた。
複数の声をそろえて美しいハーモニーを作るだけではない。高い声と低い声に別々の役割を持たせ、ときにはリズムを刻み、ときには楽器の役割まで声で引き受ける。
声そのものを、一つのアンサンブルとして組み立てる音楽である。
その表現は、世俗のポピュラー音楽だけで育っていたわけではなかった。
黒人教会でも、複数の声を重ね、掛け合い、リズムを生み出す歌唱文化が長く受け継がれ、1930年代には新しい感覚を取り込みながら発展していた。
世俗と宗教という異なる場所で、それぞれ別の目的を持ちながら、声を組み合わせること自体が音楽の個性になっていく。
声でバンドを作る
⸻ ミルス・ブラザーズ
ミルス・ブラザーズは、オハイオ州ピクアで育った四人の兄弟だった。
父ジョンは理髪店を営みながら、自身もバーバーショップ・カルテットで歌っていた。バーバーショップとは、四つの声部がそれぞれ役割を分け、無伴奏で緊密なハーモニーを作る歌唱スタイルである。19世紀末から20世紀初頭のアメリカでは、アフリカ系アメリカ人の間でも盛んに歌われていた。
兄弟たちは幼い頃からこうしたハーモニーを身近に聴き、自分たちでも歌うようになる。

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やがて彼らが身につけたのが、声で楽器の音をまねる技術だった。
きっかけについては、兄弟の一人であるハリーが演奏の際にカズー(口にくわえて声を出すと、膜が振動して独特の音になる小さな楽器)を忘れ、声でトランペットをまねたことから始まったという逸話が残っている。いずれにせよ、兄弟たちはトランペットやトロンボーン、チューバなどの音を声で再現し、それを歌と組み合わせて自分たちのスタイルにしていった。
1920年代末にはシンシナティのラジオ局WLWに出演するようになり、その演奏が評判を呼ぶ。1930年代初めにはニューヨークへ進出し、全国放送のラジオやレコードを通じて広く知られるようになった。
その特徴が鮮やかに現れているのが、1931年の「Tiger Rag」である。
もともと初期ジャズの定番曲だったが、ミルス・ブラザーズの録音では、実際の楽器はギターだけで、管楽器のように聞こえる音の多くを四人の声が作っている。
歌っていたかと思えば、次の瞬間には声がトランペットや低音楽器に変わる。高い声と低い声がそれぞれ違う動きをしながら絡み合い、小さなジャズ・バンドのようなサウンドを作っていく。
初期のレコードには、使用している楽器がギターだけであることがわざわざ記されたほど、その模倣は聴き手を驚かせた。
「Tiger Rag」は大きな成功を収め、すでにラジオで注目を集めていたミルス・ブラザーズの人気をさらに押し上げた。彼らはその後、レコードや映画にも活動の場を広げていった。
人種隔離が当たり前だった時代に、黒人のヴォーカル・グループが白人を含む幅広い聴衆から人気を得たという点でも重要な存在だった。
やがて彼らの音楽は、楽器の物まねそのものより、滑らかなハーモニーとポピュラー・ソングを中心とする方向へ移っていく。それでも、複数の声にそれぞれ別の役割を与え、声だけで一つのアンサンブルを組み立てるという発想は彼らの大きな特徴として残った。
声でジャズを組み替える
⸻ ボズウェル・シスターズ
ミルス・ブラザーズが声で管楽器を再現していた同じ頃、三人の女性が、別の方法で声をジャズの中へ組み込んでいた。
マーサ、コニー、ヴェットのボズウェル三姉妹である。
三人は1914年に家族とともにニューオーリンズへ移り、そこで育った。幼い頃にはクラシック音楽の教育を受け、マーサはピアノ、コニーはチェロ、ヴェットはヴァイオリンを学んでいた。
しかし、彼女たちが暮らしていたニューオーリンズでは、すでにジャズが街の音楽として育っていた。家族も音楽好きで、三姉妹は劇場や街でさまざまな音楽に触れ、やがてクラシックよりもジャズへ強く惹かれていく。

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1920年代には、当時人気だった寄席形式の大衆ショー「ヴォードヴィル」の舞台やラジオに出演し、楽器を演奏しながら歌っていた。1925年には最初のレコードも録音している。
やがて三人の特徴になったのは、単にきれいな三声のハーモニーを聞かせることではなかった。
一つの曲の中でテンポを変え、リズムの置き方を変え、調を変え、ときには意味を持たない音節を歌う。三人の声も高音、中音、低音と固定されているわけではなく、曲の中で役割を入れ替えながら、一つのサウンドを作っていった。そこには、ニューオーリンズで身につけたジャズの感覚があった。
1931年に録音された「It's the Girl」では、その特徴が鮮やかに現れている。
三人の声は緊密に重なりながら、曲は途中でテンポや調を変えていく。旋律をそのまま三声でなぞるのではなく、言葉の置き方やリズムまで細かく組み替え、声とバックの楽器が一緒になって演奏を動かしていく。
ハーモニーは整っている。しかし、その整った響きの中で、三人の声はジャズ・バンドの楽器のように自由に動いている。
1931年にニューヨークへ進出すると、ボズウェル・シスターズは全国放送のラジオやレコードを通じてさらに人気を広げた。ドーシー兄弟をはじめ、当時の一流ジャズ・ミュージシャンたちとも数多く共演している。
三人での活動は1936年に終わったが、その歌唱は後の女性ヴォーカル・グループへ大きな影響を残した。1940年代に人気を集めるアンドリュース・シスターズは、ボズウェル・シスターズのスタイルから強い影響を受けたことを公言している。また、コニー・ボズウェルの歌は、若き日のエラ・フィッツジェラルドにも大きな影響を与えた。
三つの声を動かし、入れ替え、リズムやテンポまで組み替えることで、声そのものをジャズのアレンジの一部にすることができたのである。
声で恋愛を語る
⸻ インク・スポッツ
一方、インディアナポリスでは、のちにインク・スポッツとなる若者たちが活動を始めていた。
彼らも最初から、後に有名になる静かな恋愛バラードを歌っていたわけではない。
1930年代前半のインク・スポッツは、ギターやウクレレを弾きながらテンポの速い曲を歌い、ときには声で楽器の音もまねる、ジャズやヴォードヴィルの影響を受けたグループだった。レコードも作ったが、なかなか大きな成功には結びつかなかった。
転機の一つとなったのが、1936年にビル・ケニーが加入したことだった。

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細く高く伸びるテナーを持つケニーがリードを取るようになり、グループの音楽は次第に変わっていく。そして1939年、「If I Didn't Care」で、その新しい方向性が決定的な形をとった。
短いギターのイントロに続いて、ケニーの高く柔らかな声が旋律を歌う。ほかのメンバーは前へ出ず、その背後を静かなハーモニーで支える。そして途中では、ホッピー・ジョーンズの深い低音による語りが現れる。
歌われるのは恋愛の迷いや不安である。
高いリードと低い語り、その間を埋めるハーモニー。それぞれの声に違う役割を与えることで、一人の感情がグループ全体から立ち上がってくる。
「If I Didn't Care」は大きなヒットとなり、インク・スポッツはこの形を自分たちのスタイルとして確立した。その後も恋愛を題材としたバラードを次々と成功させ、1940年代を代表する黒人ヴォーカル・グループの一つとなっていく。
そして、高いリード・ヴォーカルを中心に置き、低い声と柔らかなハーモニーで支えるそのスタイルは、後に登場する多くの黒人ヴォーカル・グループにも影響を与えた。
ミルス・ブラザーズが複数の声で小さなバンドを作ったとすれば、インク・スポッツは複数の声を使って、一人の恋愛感情を立体的に聞かせたのである。
宗教歌を躍動させる声
⸻ ゴールデン・ゲート・カルテット
こうした世俗のヴォーカル・グループがレコードやラジオで人気を広げていた頃、宗教歌の世界でも、声のアンサンブルは独自の発展を続けていた。
その背景には、19世紀後半のジュビリー・シンガーズに代表されるジュビリーの伝統と、黒人社会で育っていたバーバーショップ・ハーモニーがあった。
20世紀に入ると、そうした歌唱文化を受け継いだ男性カルテットが南部各地に広がった。教会や地域社会では、異なる高さの声を組み合わせ、リードにほかの声が応答し、低音が全体を支える歌唱が磨かれていった。
1930年代になると、その中から、より強いリズムやシンコペーションを取り入れるグループが現れる。その代表が、ヴァージニアで結成されたゴールデン・ゲート・カルテットだった。

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彼らはジュビリーの整ったハーモニーを受け継ぎながら、言葉を鋭く区切り、声を跳ねさせ、ときには楽器のように使った。そこには同時代のジャズやポピュラー音楽の感覚も入り込んでいた。
1938年に録音された「John the Revelator」では、その特徴がよく分かる。
一人が問いかけるように言葉を投げ、ほかの声が短く応える。そのやり取りが次々と入れ替わり、伴奏楽器を使わなくても、声そのものから強いリズムが生まれていく。
歌われているのは聖書を題材とした宗教歌である。しかし、その演奏は静かに祈りを捧げる合唱とはかなり違う。複数の声が会話し、競い合うように動くことで、音楽そのものに勢いが生まれていた。
ゴールデン・ゲート・カルテットの音楽は、教会の中だけにはとどまらなかった。
ラジオやレコードを通じて広い聴衆に知られるようになり、1938年にはニューヨークのカーネギー・ホールで開かれた「From Spirituals to Swing」にも出演した。そこではブルース、ブギウギ、ジャズなど、さまざまな黒人音楽と同じ舞台に立っている。
一方で、彼ら自身も世俗の音楽から影響を受けていた。ミルス・ブラザーズの声の使い方は、ゴールデン・ゲート・カルテットのハーモニーにも影響を与えていたとされる。
教会音楽と世俗音楽は、きれいに切り離された二つの世界ではなかった。
信仰のために歌うことと娯楽のために歌うことの間には確かな境界があったが、その両側で活動する歌手たちは、ラジオやレコード、ステージを通じて互いの音を耳にしていた。
1930年代にさまざまな形で成熟した声のアンサンブルは、戦後になるとさらに枝分かれしていく。女性ヴォーカル・グループ、R&Bやドゥーワップ、そしてゴスペルへ。複数の声に異なる役割を与え、一つのサウンドを組み立てるという発想は、その先のポピュラー音楽にも受け継がれていった。
