音楽はどうやってデータになったのか
完璧な音は作れるのか
⸻ CDとデジタルオーディオの時代
カセットテープとウォークマンによって、音楽はどこへでも持ち歩けるようになった。
しかし、アナログの記録媒体には避けにくい弱点があった。
レコードは傷やほこりの影響を受けやすく、再生を重ねれば少しずつ摩耗する。カセットテープも、繰り返しの再生や経年、保管状態によってテープが摩耗したり伸びたりし、音質が変化することがあった。さらにコピーを繰り返せば、そのたびに音は少しずつ劣化してしまう。
音楽を、もっと雑音が少なく、再生によって摩耗しにくい形で残すことはできないだろうか。
その可能性を開いたのが、音を数字として記録するデジタル技術だった。
デジタル録音では、連続する音を一定間隔で読み取り、その瞬間ごとの大きさを数字に置き換えて記録する。この技術はCDとともに生まれたものではなく、1960年代から放送局や研究機関で開発が進められていた。
しかし、音を数字に変えるだけでは新しい音楽メディアにはならない。大量のデータを小さな媒体へ記録し、傷や汚れがあっても正確に読み取れる仕組みが必要だった。
その頃、コンパクトカセットを世界へ広めたオランダの電機メーカー、フィリップスは光ディスク技術を、ソニーはデジタル録音や誤り訂正技術をそれぞれ蓄積し、両社ともデジタル音楽ディスクの研究を進めていた。
両社はそれぞれ独自の方式を研究していたが、異なる規格を市場へ出せば混乱を招く。そこで競争だけでなく、世界共通の規格を共同で作る道を選んだ。
1979年から会議を重ね、音質、収録時間、ディスクの大きさ、誤り訂正など数多くの検討を繰り返した結果、両社の技術を組み合わせた新しい方式が完成する。
こうして1980年、後に「レッドブック」と呼ばれる音楽用CDの基本規格が定められた。
音は1秒間に4万4100回測定され、それぞれ16ビットの数値として記録される。ディスクの直径は12センチ、収録時間はおよそ74分となった。
この74分という長さは、「ベートーヴェンの交響曲第9番を一枚に収めるため」とよく語られる。ソニーの社史やフィリップス側の後年の記録には、第九を一枚に収められる長さが検討材料になったことが記されているが、規格の決定にはディスクの大きさや記録密度など、さまざまな技術的条件も関わっていた。第九だけが74分を決めたわけではないと考えられている。
1982年、最初のCDプレーヤーと音楽CDが発売された。
コンパクトディスク、CDである。

Photo: Atreyu / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
CDは盤面の微細な凹凸をレーザーで読み取り、その情報を音へ戻して再生する。レコードのように針が触れないため、通常の再生で記録部分が摩耗しにくく、小さな読み取りエラーも誤り訂正によって補われる。
さらに、レコードやカセットでは、聴きたい曲まで針を移動したり、テープを早送りしたりする必要があったのが、CDでは曲番号を選ぶだけで目的の曲へ移動できるようになり、音楽を聴く操作そのものも大きく変わった。
CDは当初こそ高価だったが、1980年代から1990年代にかけて急速に普及していく。
新作だけでなく過去の名盤も次々とCD化され、人々はレコードやカセットで持っていた作品をCDで買い直した。レコード会社にとっては、膨大な旧作が再び商品になることを意味していた。
こうしてCDは世界の音楽市場を支える中心的なメディアとなっていく。
しかし、CDがもたらした本当の変化は、円盤が小さくなったことではなかった。音楽が、物理的な溝や磁気ではなく、数字の列として記録されるようになったことである。
アナログ録音では複製するたびに音が少しずつ変わってしまう。一方、デジタルデータは正しく読み出せれば、何度コピーしても同じ情報を保つことができる。CDの普及によって、原理上は複製を重ねても劣化しないデジタルデータとして記録された音楽が、一般の人々にも広く届くようになったのである。
それでも、人々が手にしていたのは、依然として工場で製造された一枚の円盤だった。
音楽はデータになった。しかしまだ、「物」として買い、「物」として所有するものだったのである。
音楽を小さなディスクに録音できるのか
⸻ MDと携帯音楽の分岐
CDが普及しても、カセットテープがすぐに姿を消したわけではなかった。
CDは音質がよく、聴きたい曲をすぐに呼び出すことができた。しかし、自分の好きな曲を選び、録音して持ち歩くためのメディアとしては、カセットテープがまだ広く使われていた。
CDを買ったりレンタルしたりして、好きな曲をカセットへ録音する。何枚ものアルバムからお気に入りの曲だけを集め、自分だけのテープを作る。CDの時代になっても、そんな音楽の楽しみ方は残っていた。
そのカセットテープに代わる新しい録音メディアを目指して、ソニーが開発したのがMD、MiniDiscだった。

Photo: Nixdorf / Wikimedia Commons / GNU FDL
1992年に発売されたMDは、小さなディスクをカートリッジに収めたデジタル音楽メディアである。
カセットのように自分で音楽を録音できながら、テープを早送りしたり巻き戻したりする必要はない。聴きたい曲をすぐに呼び出し、録音した曲を消したり、曲順を入れ替えたり、タイトルを付けたりすることもできた。
「好きな音楽を選んで、自分用のメディアを作る」というカセットの使い方を残しながら、その不便さの多くをデジタル技術で取り除いたのである。
MDは特に日本で広く普及した。1990年代後半になると、家庭用のコンポにもMDデッキが搭載され、録音したMDを小型のMDプレーヤーで持ち歩くというスタイルが定着していく。
CDからMDへ音楽を録音し、何枚ものMDをケースに入れて持ち歩く。MDは、カセットテープが担ってきた「録音して持ち歩く」という役割を引き継ぐ存在になった。
そしてMDに記録されていた音も、すでにデジタルだった。
ただし、小さなディスクに十分な長さの音楽を収めるため、CDの音声データをそのまま記録するのではなく、データ量を減らす音声圧縮の技術が使われていた。
音楽は数字になり、そのデータ量を減らして持ち歩くことまでできるようになっていたのである。
それでも、音楽を持ち歩くという行為そのものは、カセットの時代とそれほど変わってはいなかった。
聴きたい音楽を一枚のメディアへ録音する。
聴きたいものが増えれば、持っているディスクも増えていく。
外出するときには、その中から何枚かを選んで持っていく。
記録されている音はデジタルになっても、音楽はまだ、一枚一枚の「物」に収めて持ち歩くものだったのである。
音楽はどこまで小さくできるのか
⸻ MP3と音声圧縮
CDによって、音楽は数字として記録されるようになった。
しかし、そのデータ量は決して小さくなかった。
CDでは、高い音質を保つために、一秒間に何万回も音を測定し、その結果を細かな数字として記録している。それをそのままコンピューターへ保存すれば、数分の一曲でも当時としてはかなり大きなデータになる。
音楽の聴こえ方を大きく損なわずに、データ量だけを減らすことはできないだろうか。
その研究は、CDが普及する以前から進められていた。
ドイツでは、後にフラウンホーファー研究所へつながる研究者たちが、限られた通信回線でも高品質な音声を送るための技術を研究していた。
そこで利用されたのが、人間の耳の性質である。
音の中には、人間には聞き取りにくい成分がある。また、ある大きな音が鳴っていると、その近くにある小さな音が聞こえにくくなることもある。
そうした知覚しにくい部分に使う情報量を減らせば、聴いたときの印象をできるだけ保ちながら、音声データを大幅に小さくすることができる。
こうした研究をもとに、1980年代末から国際的な標準化が進められ、1990年代初頭にMPEG-1 Audio Layer IIIと呼ばれる音声圧縮方式が生まれた。
後にMP3と呼ばれる方式である。
MP3では、音質の設定によって違いはあるものの、CDに収められている音声に比べて、データ量を大きく減らすことができた。
それまで一曲の音楽は、コンピューターにとって決して小さなものではなかった。
しかしMP3なら、同じ記憶装置により多くの曲を保存できる。
通信回線を通じて音楽データをやり取りすることも、現実味を帯びてくる。
ここで起きた変化は、単に音楽ファイルが小さくなったということだけではなかった。
CDもMDもデジタルメディアだったが、音楽は一枚のディスクと強く結びついていた。MP3は、音楽データを大幅に小さくすることで、それをコンピューター上のファイルとして扱うことを現実的なものにした。
そのファイルは、別のフォルダーへ移すことも、別の記憶装置へコピーすることもできる。
アルバムの中の一曲だけを取り出して扱うこともできる。
音楽は、特定の一枚のディスクと結びついている必要がなくなったのである。

CDによって音楽は数字になった。
MP3によって、その数字は「ファイル」として自由に扱えるほど小さくなった。
音楽と「物」との結びつきが、大きくほどけ始めたのである。
音楽は自由にコピーできるのか
⸻ MP3、インターネット、Napster
MP3は、インターネットで音楽を交換するために生まれた技術ではなかった。
しかし1990年代、パソコンとインターネットが急速に普及すると、この圧縮技術はインターネット上で急速に広がっていく。
一曲の音楽を、扱いやすい大きさのファイルとしてコンピューターに保存できる。そのファイルは、別のコンピューターへコピーできる。そしてインターネットにつながっていれば、遠く離れた相手へ送ることもできる。

音楽は、一枚のCDやMDを手渡さなくても、データだけを移動させることができるようになったのである。
さらに、CDから音楽をコンピューターへ取り込み、MP3などのファイルへ変換することもできた。
アルバム一枚を一つのまとまりとして扱う必要もない。一曲ごとに名前の付いたファイルとして保存し、好きな場所へ移動し、コピーすることができる。
レコードやCDの時代にもシングル盤はあり、一曲だけを買うことはできた。しかしここでは、一曲が一枚の物理メディアから切り離され、それ自体で移動できるデータになったのである。
そして1999年、その性質を一気に世界へ広げるサービスが登場する。Napsterである。
Napsterでは、利用者が自分のコンピューターに保存している音楽ファイルを、インターネットを通じて他の利用者と共有することができた。
聴きたい曲を検索すると、そのファイルを持っている別の利用者が見つかり、そこから自分のコンピューターへダウンロードする。
それまで音楽を手に入れるには、レコード店へ行ったり、CDを買ったり借りたりする必要があった。
Napsterでは、世界のどこかにいる見知らぬ人が持っている音楽を、自宅のパソコンから探し出して手に入れることができた。
その手軽さは、多くの人を引きつけた。
しかし同時に、大きな問題も生み出した。
そこで共有されていた音楽の多くは、市販されている楽曲を権利者の許可なくコピーしたものだった。
大手レコード会社などはNapsterを提訴し、デジタル時代の著作権をめぐる大きな争いへと発展していく。
CDによって広く普及したデジタル音楽には、アナログ録音にはなかった特徴があった。
正しくコピーできれば、複製を重ねても同じデータを保つことができる。MP3によってそのデータは小さくなり、インターネットによって世界中へ送れるようになった。
この二つが結びついたとき、音楽を複製することの意味は大きく変わった。
かつてカセットテープのダビングには、実際にテープを走行させて録音する時間が必要だった。
しかし音楽がファイルになれば、コピーするのに演奏時間は関係ない。
一つのファイルから、同じ内容のコピーを次々と作ることができる。
音楽は「物」から離れたことで、かつてないほど自由に移動できるようになった。
その自由さは、音楽を届ける新しい可能性であると同時に、それまでの音楽産業の仕組みを揺さぶる力にもなったのである。
音楽を全部持ち歩けるのか
⸻ MP3プレーヤーとiPod
MP3によって、音楽は一つのファイルとして扱えるようになった。
しかし、それだけですぐに人々の音楽の聴き方が変わったわけではない。
1990年代後半には、MP3を再生できる携帯型プレーヤーが登場していた。
それまでのようにCDやカセット、MDを持ち歩くのではなく、コンピューターから音楽ファイルを転送し、小さな機器の中に保存して聴くという新しい仕組みである。
しかし、当時のMP3プレーヤーはまだ多くの人にとって身近な存在ではなかった。
記憶容量は限られており、音楽を入れるためにはパソコンを使ってファイルを管理する必要があった。製品ごとに操作方法も異なり、携帯型デジタル音楽プレーヤーの市場はまだ発展途上にあった。
一方で、CDプレーヤーやMDプレーヤーは依然として広く使われていた。
特に日本では、1990年代後半から2000年代初頭にかけてMDが普及しており、CDから好きな曲を録音して持ち歩くというスタイルが定着していた。
音楽をデータとして扱う技術は存在していた。
しかし、そのデータを誰もが自然に使える形には、まだなっていなかったのである。
その状況を大きく変えたのが、2001年にAppleが発売したiPodだった。

Photo: Aaron Logan / Wikimedia Commons / CC BY 2.5
初代iPodは5GBのハードディスクを搭載し、Appleはその容量を象徴する言葉として、
「1,000 songs in your pocket」(ポケットに1000曲を)というメッセージを掲げた。
これは単に、多くの曲を保存できるという意味ではなかった。
それまで人々は、今日はどのCDを持っていくか。どのMDに録音しておくか。どのカセットを選ぶか。というように、聴く音楽を物理的なメディア単位で選んでいた。
しかしiPodでは、自分が持っている音楽のコレクションそのものを、小さな機器の中へ入れて持ち歩くことができる。
音楽を「何枚持ち歩くか」ではなく、「自分のライブラリをどう管理するか」という考え方へ変わったのである。
さらにiPodの大きな特徴は、iTunesとの連携だった。
パソコン上で音楽を管理し、iPodへ自動的に転送する。
複雑なファイル操作を意識することなく、自分の音楽を整理し、持ち歩くことができた。
iPodの大きな意味は、すでに存在していたデジタル音楽の技術を、iTunesとの連携を含めた一つの使いやすい体験としてまとめたことにあった。
音楽は、一枚のCDやMDを選んで持ち歩くものではなくなった。自分だけの音楽ライブラリを、いつでもポケットの中から呼び出せるものになったのである。
データになった音楽をどう売るのか
⸻ iTunes Music Storeとデジタル販売
MP3によって、音楽は一つのファイルとして扱えるようになった。しかし、その自由さは音楽産業に大きな課題を突きつけた。
CDから取り込んだ音楽ファイルは、簡単にコピーできる。
インターネットを通じて、世界中へ送ることもできる。
1999年に登場したNapsterは、その可能性と問題を同時に明らかにした。
利用者は膨大な音楽ファイルへ簡単にアクセスできるようになった一方で、そこで交換されていた楽曲の多くは、権利者の許可を得ずに共有されたものだった。
音楽業界は、デジタル時代に音楽をどのように届け、どのように対価を得るのかという問題に直面したのである。
必要だったのは、デジタル音楽の便利さを失わず、正規に音楽を購入できる仕組みだった。
その答えの一つを示したのが、Appleが2003年に開始したiTunes Music Storeだった。一曲単位で音楽を購入し、そのままiPodへ転送することができた。販売された楽曲には、MP3ではなくAACという圧縮形式が使われていた。
一曲単位で音楽を買うこと自体は、シングル盤の時代から珍しいことではない。ここで変わったのは、一曲が物理的な商品ではなく、検索して購入し、その場で機器へ取り込めるデジタルデータになったことだった。
音楽を買うために店へ行く必要はない。CDという物を手に入れる必要もない。欲しい曲を探し、購入し、すぐに聴く。音楽販売の仕組みそのものが変わり始めたのである。

iTunes Music Storeの大きな意味は、音楽の検索、購入、管理、そしてiPodへの転送までを、一つの正規の流通経路として結びつけたことにあった。
すでに存在していたデジタル音楽を、消費者が安心して購入し、管理できる仕組みにしたことが大きな意味を持っていた。
音楽は、店頭に並ぶ円盤から、インターネット上で購入できるデータへ変わっていった。
しかし、その時点ではまだ、人々は音楽を自分のものとして所有していたのである。
音楽は所有するものなのか
⸻ ストリーミングが変えた音楽との距離
CDによって、音楽はデジタルデータとして記録されるようになった。
MP3によって、そのデータは一つのファイルとして扱えるようになった。
iPodによって、人々は膨大な音楽ライブラリを持ち歩けるようになった。
そしてiTunes Music Storeによって、音楽はインターネット上で購入できる商品になった。
しかし、これらの変化には共通した前提があった。
音楽は、自分のものとして所有する。
CDを買う。音楽ファイルを購入する。購入した曲を自分の機器へ保存する。
形は変わっても、音楽を手元に置いておくという考え方は残っていた。
その前提を大きく変えたのが、ストリーミングサービスだった。
ストリーミングでは、音楽ファイルそのものを購入して手元に保存しておかなくても、インターネットを通じて音楽を再生することができる。

ダウンロード販売が広がっていく一方で、別の仕組みもすでに生まれ始めていた。2001年にはRhapsodyのような、定額料金で多数の楽曲へアクセスできるサービスが登場し、音楽を一曲ずつ購入して所有するのではなく、サービスが用意した楽曲の中から好きなものを聴くという仕組みが少しずつ形になっていった。
その流れの中で、2008年にSpotifyがサービスを開始した。
Spotifyは、膨大な楽曲を検索してすぐに再生できる仕組みに、広告付きの無料プランと定額制の有料プランなどを組み合わせ、ストリーミングを日常的な音楽体験として広げていった。翌2009年にはモバイル端末にも対応し、その後サービス地域を世界へ拡大していく。さらにプレイリストやレコメンド機能も発展し、音楽を探す方法そのものを変えていった。
音楽を聴くために、CDを探す必要はない。
音楽ファイルを購入する必要もない。
自分の機器に何千曲ものデータを保存しておく必要さえない。
インターネットにつながっていれば、聴きたい曲を検索し、その場で呼び出すことができる。
音楽は「持っているもの」から、「必要なときにアクセスするもの」へ変わっていったのである。
変わったのは、音楽の持ち方だけではなかった。
CDやダウンロード販売では、基本的には自分で作品を選び、購入して、自分のコレクションを作っていく。
ストリーミングでは、最初から膨大な楽曲が同じ場所に存在している。
検索すれば、過去の作品から最新の曲まで、すぐに見つけることができる。
プレイリストを使えば、自分が所有していない曲も含め、アルバムやアーティストの枠を越えて膨大な楽曲を自由に組み合わせることができる。
さらにレコメンド機能は、これまでに聴いた音楽をもとに、まだ知らない曲を薦めてくれる。
自分で音楽を探すだけでなく、音楽の方から自分のもとへ届けられるようになったのである。
一方で、新たな課題も生まれた。
ストリーミングによる収益がアーティストや権利者へどのように分配されるのか。
膨大な楽曲の中で、どの曲が聴き手の目に触れるのか。
プレイリストやレコメンドを決める仕組みが、音楽との出会いや聴かれ方にどのような影響を与えるのか。
音楽が「所有する商品」から「アクセスするサービス」へ変わったことで、音楽を届ける側にも、新しい問題が生まれている。
1877年、エジソンの蓄音機によって、演奏された音を記録し、後から再び音として聴くことが可能になった。
それからおよそ150年。
音楽は記録され、複製され、放送され、映像と結びつき、持ち運ばれ、数字になり、ファイルになり、そして今では、世界中の膨大な楽曲を一瞬で呼び出せるものになった。
その歩みは、新しい機械が次々と登場しただけの歴史ではない。
音楽をどう残すのか。どう届けるのか。どう手に入れるのか。そして、どう出会うのか。
技術が変わるたびに、人と音楽との関係そのものが少しずつ変わってきたのである。
音楽の形は、これからも変わり続けるだろう。
しかし、人々が音楽を求め続ける限り、その歴史もまた、続いていくのである。
