「一抹の不安がよぎる⚡」に魅せられた男の話
印刷会社の営業をしていた頃
制作部の先輩に
ケンイチさんという方がいました。
10才ほど年上でしたが
とても穏やかで優しい方。
その上、職歴も長く経験もあるので
得意先から何か困ったことを頼まれたときは
よくケンイチさんに相談していました。
営業部の先輩たちも
彼のことをただの仕事仲間ではなく
友達のように接していました。
そんな彼にはひとつ悩みがありました。
「俺は学がないからなぁ…」
ちなみに本人以外は
そんなこと全く気にしていません。
しかし当の本人は
仕事仲間がみな大卒であることに対して
自分が高卒であることを
とても気にしているようでした。
そんなある日、ふと手にした小説で
彼はこんな一文を見つけました。
一抹の不安がよぎる
「イチマツ ノ フアン?」
(何これ。)
調べてみたところ…
ほんの少しだけ解消されずに残っている、不安の念。または不安要素。
(おお、なんかこれ。
サッと使えたら、頭良さそうじゃない?)
ケンイチさんは、いつかこの言葉を使って
学があるところを見せてつけてやろうと決意したのでした。
そして時は過ぎ…
6月にさしかかった頃
営業部の先輩の一人が
ケンイチさんに声をかけてきました。
「ケンイチさん、
今週末から鮎釣り解禁なんですよ。
一緒に行きましょうよ。」
「おっ、いいねぇ。」
釣り好きなケンイチさんの顔から
思わず笑みがこぼれます。
しかし、すぐにあることを思い出し…
「あっ。でも、待って。」
慌てて手元の携帯電話で何かを調べ始めます。
(あぁ、やっぱりだ。)
天気予報では、今週末は雨になっていました。
するとそこでケンイチさんが気づきました。
(あれっ。これ今じゃない…?
まさに、これ一抹チャンスじゃない!?
ここで「一抹の不安がよぎった」ら、
頭良さそうに見えるよね!)
「いや~。今週末行きたいんだけどね…」
イチマツ ノ フアン…
イチマツ ノ フアン…
イチマツ ノ フアン…
頭の中で何度も繰り返す…
よしっ!
少し間をおいてゆっくりと口を開く。
「行きたいんだけど…
でも……
イチモツに不安があるからなぁ!」
(よしっ!言ってやったぞ!)
誇らしげに胸を張るケンイチさん。
当然、釣りに誘った先輩は
感心する素振りを全く見せない。
それどころか
いつも冗談を言って笑う彼が
心配そうな顔でその姿を見つめる。
「なんか、すみません。
鮎釣りは今度にしましょうか。
今週末、病院行った方がいいですよ。」
(えっ、病院ってどういうこと?)
「だって、彼女さんも心配するでしょうし。」
(あれっ?なんか誤解されてる?
なんで、彼女が心配するの?
それともオレ、ホントに病院行かなきゃいけないの…?)
ケンイチさんの心に
はじめて一抹の不安がよぎった。
